第6話「灯影」

 ディルが予告した通り、三人は夜明けと同時に出発した。ペペが本当に連れてきたもう一頭のバークにディルと凜が乗り、ペペにジュンタと荷物を乗せて、走り出した。

 

 それから数日間は、何事もない日々が続いた。草原や小さな森を次々と抜け、バークに揺られながらひたすら東へ進んだ。

 ある日の昼下がり、目の前には見慣れぬ光景が広がっていた。そこには、砂漠があった。ディルは、バークのスピードを緩めていった。

「毒の砂漠…こんなところにまで広がってしまったのか」

「毒の砂漠?」凜は首をかしげた。

「あぁ。強者の呪いは人だけでなく、あらゆる生物の命を奪う。だから、戦争の跡地にはもはや植物は育たなくなり、砂漠と化す。しかもその砂は毒を含んでいる。それが毒の砂漠だ」

 ディルは、バークの踵を返した。

「戦争の規模が拡大すればするほど、毒の砂漠も広がっていく。このままだと、世界が滅びるのは時間の問題だ」

 この話、どこかで聞いたことがある…凛は、かつてスターターから聞いたリュウリンの伝説を思い出した。リュウリンが降る前、世界は旱魃によってほとんどが砂漠と化していた。しかし今は、強者の戦争によって、世界が毒の砂漠と化しつつある。

「少し遠回りになるが、北に向かう」

 

 そうしてしばらく進むと、毒の砂漠は見えなくなった。その代わりに、まだ煙がたちこめている戦の跡が見えてきた。その規模は大きく、人やバークの死体があちこちに転がっていた。今までに見たことのない惨状に、凛は思わずディルの背中に顔をうずめた。一方ディルはというと、そんな凛を気遣う様子は全くなく、そのど真ん中にバークを止めた。

「今夜はここで野宿する」

 凛は小さな悲鳴を上げた。

「嫌!絶対に嫌!」

「お前は一晩死体と一緒に過ごすのと、獣に食われるのとどっちがいいんだ」

 凛は思わず顔を上げた。周囲はいつの間にかオレンジ色の光に包まれていた。

「もうじき夜になる。東に行くには、あの森を抜けなければならないが、あの森は確か人食い動物の宝庫だったはずだ。そして、奴らのほとんどは夜行性だ。さぁ、どうする」

「…ここで野宿します」


 三人は、戦の跡地の外れにある、雑木林の傍の洞窟に向かった。バークから降り、三人がやっと横になれるくらいの小さな洞窟の中に荷物を降ろした。最近夜が冷え込むようになってきたので、ディルは薪を集めに林に向かった。残された凜とジュンタは、備蓄していた食糧を広げ、食事の準備をすることにした。

 

 ちょうどその頃、戦の跡地で一人の強者の男が金目のものを漁っていた。男は、黒髪を一つに束ね、ナイロンのような生地の着物を着て、顔中に無精ひげを生やしていた。その腰には刀を携えていた。ふと近くでバークの足音が聞こえたのでそちらに目をやると、若い女がバークにまたがっていた。しかも、なかなかの美人だった。男は手を止め、舌なめずりをしながらその女の一行に近付いた。茂みからのぞき見ると、女は洞窟の前で少年と二人きりだった。あんな上玉、抱いたことないな…男の体中に欲望が湧き上がってきた。傍にはガキしかいねぇ、今がチャンスだ。

 

 突然、洞窟の傍の茂みからカサカサと物音が聞こえたかと思うと、そこから一人の男が飛び出してきた。そして、男に背中を向けていた凜を背後から羽交い絞めにし、その首筋に刀を押し当てた。

「お前、何者だ!」

 叫びながらジュンタは弓矢を構えた。

「おいガキ。俺はこのお姉さんとこれから楽しいことするんだよ。邪魔すると、お姉さんの首から血が噴き出ちまうぞ」

「貴様は、残飯漁りの強者か」

 ちょうどディルが薪を抱えて帰ってきた。薪を放り投げ、強者と凜に近付き、鞘から刀を抜いた。

「おいおい、もう一人いたのかよ。貴様、さっき俺のことなんて言った?これ以上俺を怒らせると、本当にこの女ぶっ殺すぞ!今すぐその刀を捨てろ!」

 ディルは刀を捨てるどころか、握りなおした。

「馬鹿か貴様。誰がそんなことで刀を捨てるか」

「そんなこと?」

 思わず凜が叫んだ。「ディル本気なの?」後ろでジュンタも叫んだ。

「ディルは私が死んでもいいの」

「借りは返した。それから後のことなんて知るか」

「何それ、ひどい!私、ディルのこと買い被ってた」

「勝手に俺を買い被るな」

 強者は呆気にとられていた。

「てめえら、デキてるんじゃねぇのかよ」

「そんなことより、もう一度言ってやろう。貴様は残飯漁りの強者だ。強者のくせに、魔力が弱くて使いものにならないから、強者から見放され、戦にも加えてもらえず、戦の跡を漁ってそこで拾ったもので生計を立てている、くずみたいな強者がいると聞いたことがあるが、まさか本物に出会えるとは思わなかったな」

 ディルの言葉に空気が凍りついた。ことに強者は、顔を真っ赤にし、怒りで体が震え始めていた。

「強者の女からも相手にされないから、戦場で死にかけている女を襲うという話も聞いたことがある。貴様が今襲おうとしている女はあいにく死にかけてはいないから、相手にされないだろうな」

「貴様!ぶっ殺してやる!」

 強者はこう叫ぶと、凜を突き放し、ディルに向かって突進していった。強者が振り上げた刀を、ディルは易々と受け止めた。そして、しばらく刀の打ち合いが続いた。

 ディルは、力強い刀裁きで強者を追い込んでいった。意図的に強者を凜とジュンタから遠ざけ、雑木林のほうに追い詰めていった。そうしてディルは思い切り強者の刀を打ち払い、強者の手から刀が離れ宙を飛んだ。そのままディルは強者の胸倉をつかみ、体を木の幹に押し付け、刀で強者の左腕を一突きし、首筋に刃を押し当てた。

「命まで奪うつもりはない。今すぐここから立ち去れ」

 強者は呻き声をあげていたが、突然ニヤリと笑みを浮かべた。

「ディル、離れて!」

 後ろでジュンタが叫んだが、遅かった。「強者をなめんなよ」強者は右の手のひらをディルに向けた。風船が爆発するような音がしたと同時に、ディルはよろめいた。ディルの左肩から煙が立ち上がっていた。強者は魔力を使ったのだ。

 その隙をみて、強者は思い切りディルの顔を殴り、腹を蹴った。ディルはその場に倒れた。倒れたディルを、強者は何かを喚きながら、思い切り踏みつけ、蹴り続けた。

 すると、突然横から凜が駆け寄ってきて、そのまま強者に飛びついた。強者は凜と一緒に地面に倒れ込んだ。凜は、倒れた強者の上に馬乗りになり、拾った強者の刀の先を強者の喉元に突き付けた。

「これ以上ディルを傷付けたら許さない!このままこれ突き刺すから!」

 凜は目に涙を浮かべていた。強者は下品な笑いを浮かべ、凜の腰に右手を回した。

「その男は貴様を見捨てようとしたんだぜ」

「そんなことどうだっていいじゃない!私はディルを助けたいの!ディルがこれ以上傷付くのが耐えられないの!」

 直後、凜はディルに両脇を抱えられ、強者から引き離された。凜は驚いて後ろを振り向いた。

「これ以上の争いは無意味だ。立ち去れ、一刻も早く」

 ディルが冷たく言い放つと、強者は「くそっ」と悪態をついて、そのまま林の奥に走り去っていった。

 ディルは凜を離すと、そのまま倒れるように近くの木の幹にもたれかかり、苦しそうに腹をおさえた。口からは血が流れ、左肩からはまだ煙が立ち上っていた。

「ディル、大丈夫?」

 凜はディルに駆け寄った。しかし、ディルは凜を睨みつけた。

「お前は馬鹿か。あいつはお前を襲おうとしたんだぞ。それなのに、なんで自分から馬乗りになんかなったんだ。俺が引き離すのがもう少し遅かったら、あのままお前は襲われていた」

 凜の顔は真っ赤になった。

「ごめんなさい。必死だったの」

「自分を見捨てたやつなんかのために、なんでそんなに必死になるんだ」

 凜は思い切り首を振った。

「私が必死になるのは、ディルが大切な仲間だからだよ。ディルが苦しいと、私も苦しいの。それに、ディルは私を見捨ててなんかない。わざとあいつを挑発するようなことを言って、私から気をそらしてくれたんでしょ」

 凛は顔を少し赤らめて、にっこりと笑った。

「ありがとう。嬉しかった」

 その笑顔を見て、ディルの顔も少しだけ赤くなった。

「ディル!怪我は大丈夫?」

 腕いっぱいに手当ての道具を抱えて、ジュンタが駆け寄ってきた。ディルはため息をついた。

「あの男の魔力は大したことない。放っておけば治る」

 ディルは口をぬぐいながら洞窟に向かった。ジュンタは、まだそこに立っていた凜を見上げた。

「リン、すごくかっこよかった。ディルのこと、本当に好きなんだね」

 凜は顔を真っ赤にした。

「そんなんじゃないから。生意気なこと言わないの」

 凜は、ジュンタの頭をゴンと叩いた。


 今夜は特に冷え込んだ。弱まってきた焚き火の炎を、凛は一人見つめていた。隣でジュンタがすやすやと寝息を立てていた。いったい今何時くらいなのだろう…遠くで、獣の鳴き声が聞こえた。軽く睡魔に襲われた凛は、さっきから物音一つ立てないでいるディルを、かすかな焚き火の明かりを頼りにそっとのぞきこんだ。ディルはマントも羽織らずに、座ったまま静かな寝息を立てていた。

「この寒いのに、風邪ひいちゃうよ」

 凛は、隣に乱雑に置かれたままのマントを持ち上げた。このマント、間近で見ると、ところどころほつれていたり、破けていたりしていた。凛はマントを置き、制服のポケットをあさった。ブレザーの内ポケットに、凛が探していたものはあった。それは、ソーイングセットであった。ちょうどこの世界に迷い込んだ日の朝、家を出る直前に哲生のズボンのボタンが取れたので、慌てて縫い付けて、ソーイングセットをそのままポケットに入れて学校に行ったのだった。凛はこの偶然に心から感謝した。さっき凛を襲った睡魔はどこへやら、かすかな明かりを頼りに、凛は張り切ってディルのマントを繕い始めた。


 ディルの眠りは浅かった。うとうとしたと思ったら、すぐに目が覚めてしまった。焚き火の明かりが微かに残る薄暗がりのなか目を開くと、そこにはまだ起きて何かをしている凛の姿があった。凛が、自分のマントを繕っているということに、ディルは少ししてから気付いた。

 そのとたん、ディルの脳裏に再び凛の笑顔が浮かんだ。それは、眠りに落ちる前も、ずっと頭にこびりついていた。そして、目覚めた後も、ディルの心を捕らえて離さなかった。どうして俺を助けようとする?どうして俺のために苦しむ?さっき俺のことを仲間だと言った…仲間って何だ。良く分からない。だけど、妙に温かい…。

 焚き火の炎は、もはや消えかけていた。炭だけが、ぼうっと微かなオレンジ色の光と熱を放っていた。辺りはほとんど真っ暗で、冷え込みは厳しくなる一方だった。それでも凛は、かじかむ手をこすり合わせて、ディルのマントを繕っていた。手元がほとんど見えないので、何度も針で自分の指を刺した。「いたっ」という小さな声が、その回数だけ聞こえてきた。ディルは、そんな凛をじっと見つめていた。

「リン」

 ディルの声に、凛は思わず「ひゃっ」と小さな悲鳴をあげた。

「ディル、ずっと起きてたの?」

「いや。それより、お前はそんなことしてないで、もう寝ろ」

「あっ、これは…」

 縫いかけのマントに視線を落としながら、凛はなんだか恥ずかしくなった。

「別に、ディルのためにやってたわけじゃないから」

 ディルは笑った。

「それ、いつの間にお前の物になったんだ」

「え、ううん、そういう意味じゃなくて…」

 凛は少し困惑していたが、ディルの笑った顔を見たら、思わず笑みがこぼれた。

「それよりディル、もしかして寒くて目が覚めた?ごめんね、気付かなくて。今マント渡すから」

 凛は急いで玉止めをして、手探りではさみを探し、糸を切った。

「俺は寒くない。それはお前がかぶってろ」

「うそ。こんなに寒いのに、寒くないわけないでしょ。それにこれ、私のじゃないし」

 凛はマントをディルに手渡した。ディルはそれを受け取ると、バサッと広げ、片端を持ち上げた。

「入るか。暖かいぞ」

 凛は、自分の心臓がドクッと締めつけられたのを確かに感じた。顔を赤らめながら、とびきりの笑顔で頷いて、ディルの隣に座った。マントの中で、凛はディルの体温を感じた。

「ねぇ、ディル。さっき、私のこと初めて名前で呼んでくれたよね」

 唐突に凛が沈黙を破った。

「覚えてない」

 凛はくすっと笑った。

「私、すごく嬉しかったんだ」

 凛はこの言葉を最後に、ディルの肩に徐々にもたれかかりながら、寝息を立て始めた。

 ディルは、そんな凛を見るでもなく、眠りにつくでもなく、じっと炭のオレンジ色の光を見つめていた。炭は、いつまでもその光と熱を失わなかった。むしろ、その勢いは増していくようにさえ見えた。いずれは消えゆく運命にあるにもかかわらず…オレンジ色の光は、まるでその全ての力を余すとこなく振り絞るかのようにして、ゆらめきながらも燦然と輝き始めた。



「クロムニク様、これが少女が握っていた刀です」

 クロムニクは刀を手に取った。

 クロムニクの手下たちは、あらゆる国の戦場を放浪し、多くの情報をもっている「残飯漁りの強者」に目をつけ、魔力の効かない少女の情報を手に入れようとしていた。すると、幸運なことに、人食い動物が多く生息する森の近くにいた「残飯漁りの強者」が、その少女と思われる者と遭遇したという。その少女は自分の刀を握ったというので、そこからクロムニクに魔力で少女の残像を読み取ってもらうため、刀を持ち帰ってきたのである。

「間違いない、あの少女ですね。この気配は覚えておきましょう。どうやら東の方へ向かったようですね」

 クロムニクは刀を握って目を瞑っていた。残像は、クロムニクにしか見ることができない。

「ん?少女と一緒にいるこの男…」

 突然、クロムニクは顔をしかめた。しかし、次第に顔中に不気味な笑みを浮かべ始めた。

「これは面白いことになってきましたよ…少女は、驚くべきことに、ディアロス王子と一緒にいます。何としても捕まえなければなりませんね…」



「また新王軍に負けたのか!」

 歯ぎしりをし、椅子の肘掛けをドンドンと叩いているのは、エルマドワ国王、ドマルフ・エルマドワその人であった。小太りであったが、その顔はよく整っており、切れ長の瞳が印象的であった。瞳はどの強者よりも赤黒く、鈍い光を放っている。

「申し訳ございません。弱者も含めた兵士の訓練を徹底いたします。ところで父上、その新王軍なのですが」

 国王の前で跪いているのは、国王の息子であるカルディス・エルマドワであった。黒髪で鼻筋が通っており、美男子だったが、その赤黒い目は鋭く、人によっては恐怖を感じるほどであった。年齢はまだ十七でしかなかったが、王位継承者として相当高い地位にあり、国内で力を振るっていた。

「その頭が未だに明らかになっておりませんが、私が怪しいと睨んでいる者がおります。連日その者を監視させていますが、新王軍やイムロク軍との戦場によく現れており、不審な動きを見せています」

「誰なんだね、お前が睨んでいる者とは」

「はい…クロムニク総督です」

「なんだと?あの者は元々王族直属の家臣で城に仕えていたような人間だぞ。力もあり、人柄もよく、複数の街の総督を任せている男だ。そんな馬鹿な」

「お言葉ですが父上。そのような完璧にみえる者ほど、裏で何を考えているか分からないものです」

 国王は突然大声で笑いだした。

「その若さで随分と世の中を知り尽くしたようなことを言うのだな、カルディス。さすがは我が息子だ。よかろう、お前の好きなようにやってみるがよい」

 カルディスは頭を下げた。

「恩情に感謝致します。これからは私が直接クロムニクの動きを見張り、必ずや動かぬ証拠を掴んでみせます」

「あまり目立たぬようにやれ。それで…あの男の件はどうした。まだ見つからんのか」

 カルディスは視線を落とし、その鋭い目をさらに吊り上げた。

「申し訳ございません。直属の部下に昼夜を問わず探させているのですが、まだ手掛かりが掴めておりません」

「こっちの方も全力でやれ。我が国の一大事だ。それに、あの男はお前のたった一人の兄なのだからな」

 国王は、皮肉な笑みを浮かべた。

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