第5話「再会」
目が覚めると、凜はバークに乗って大きな街の中を進んでいた。そこは、弱者の村とはかけ離れた光景だった。石畳の道路が整備され、それに沿って二階建ての石造の建物がいくつも並んでいた。お店のようなものもあり、人で賑わっていた。道路には、馬車(バーク車と言った方が適当か)が行き交っていた。
街の人は、凛の勝手なイメージではあるが、中世の西洋の人たちのような、女性はワンピース、男性はシャツにズボンといった洋服を着ており、弱者の村の人たちの着物に比べるとはるかにセンスがよかった。顔立ちも、西洋人のような顔立ちの人が多かった。そして、その目は皆赤黒い光を放っていた。きっとこの目が強者の証なのだろう…腕だけでなく、体中を縄で縛られ身動きできない凜は、ぼんやりそんなことを考えていた。
バークは、噴水のある大きな広場を通り、その奥にある五階建てくらいのやや大きな建物の前で止まった。凜は繋がれた縄を引っ張られ、その建物の中に連れて行かれた。
建物の最上階まで上り、廊下の突き当りにある大きな扉を強者が開いた。
「とっとと入れ」
凜は背中を蹴られ、つんのめるようにして部屋の中に入っていった。
そこは、会社の社長の執務室のような部屋で、来客用のソファーと机が手前にあり、奥に大きな執務机があった。そこに、四十代前半くらいだろうか、まだ若い、柔和な顔つきをした強者が座っていた。
「クロムニク様、魔力の効かない弱者の女を連れて参りました」
クロムニクと呼ばれた、おそらくこの街の総督であろうその男は立ち上がり、変わらず柔和な笑みを浮かべたまま凜に近寄ってきた。クロムニクは赤いマントを羽織っており、体躯が良かった。凜の全身を舐めるように見つめてから、突然、凛に右の手のひらをかざした。すると、そこから赤黒い光が放たれた。この人、モダニアがなくても魔力を使えるなんて…凜もさることながら、凜を連れてきた強者も、クロムニクのこの突然の行為に驚いている様子であった。
「確かに。魔力が効きませんね。これは非常に興味深い」
クロムニクは赤黒い瞳を大きく開き、顔中に笑みを広げた。その湿っぽい嫌らしさに、凜は寒気を感じた。
「私を殺すんですか」
凜はかろうじて声を絞り出した。クロムニクは突然声を立てて笑い出した。
「とんでもない。そんなもったいない事しませんよ。魔力が効かないなんて、この世界では無敵です。その理由を調べ尽くすんですよ。あなたの体の隅から隅まで、徹底的に」
凜は恐怖のあまり目の前が真っ暗になった。それだったら、殺された方がましだ。
「とりあえず、しばらくここの地下牢に入れておきましょう。国王様には、私から報告します」
凜は再び強者に引っ張られ、地下牢に投げ込まれた。牢屋には窓一つなく、やっと凜が横になれるほどのスペースしかなかった。体の縄は解かれたが、厳重に鍵をかけて閉じ込められた。
石の床から冷気が這い上がってきた。ひどく黴臭くて吐き気がする。強者に蹴られた背中が痛み出した。凜は壁にもたれかかり、膝を抱えて顔を膝に突っ伏した。おばあちゃん、スターター、ごめんね。早速約束果たせそうにないよ…。「ディル…助けて…」決して届かない声が漏れた。それは、そのまま嗚咽に変わっていった。
どのくらい時間が経ったのだろう。廊下から足音が聞こえてきた。凜が顔を上げると、牢の鍵が開錠された。中に入ってきたのは、クロムニクであった。その顔にはやはり笑顔が張りついていた。
「あなたをここから逃がします。あまり表沙汰にしてはならないものですから、今のうちに早くお逃げなさい」
凜はその言葉の意味を理解できず、ただクロムニクを見上げることしかできなかった。
「動けないのですか?なら、私が外まで連れて行きましょう」
クロムニクは凜の腕をつかんだ。凜は、反射的にその手を振りほどいた。
「どうして急に…」
クロムニクは微笑んだ。
「さっきはあんなこと言いましたがね、あなたを調べたところで、私たちがあなたと同じような力を得られるかどうかは分かりません。そんな僅かな可能性のために、あなたを犠牲にするのはあまりにも可哀相です。あなたは、家族のもとに帰りなさい」
この世界に、弱者の命を守ろうとする強者などいるのだろうか…凜にはこのクロムニクの言葉が俄かには信じられなかったが、どんな理由にせよ、ここから抜け出せる千載一遇のチャンスが到来したのである。これを逃すわけにはいかなかった。
凜はクロムニクに連れられ、裏口から建物の外に出た。外はすっかり夜になっていた。そこには、ここに凜を連れてきた強者とは違う強者が二人、バークにまたがりクロムニクを待っていた。
「この者たちがあなたを村まで送り届けます。さあ、乗ってください」
クロムニクは凜を強者のバークに乗せると、「落ちたら危ないですから」と言って、凛の腰に縄を巻き、それをバークの鞍に縛り付けた。その直後、バークは走り出した。
しばらく走ると、街を抜け、建物がまばらな農道に出た。凜には全く見覚えのない景色であり、弱者の村に向かっているのなら、遠くに死の森が見えてもいいはずなのに…凜は、何気なくスターターにもらった方位磁石を取り出した。すると、それは進行方向を指し示していた。弱者の村は西の果てにあるはずだ。強者たちは、弱者の村とは真逆の東に向かって進んでいた。
「私をどこに連れて行くつもりなの」
「馬鹿野郎。今さら気付いても遅いんだ」
前にいる強者は笑いだした。凜は突発的にバークから飛び降りようと思ったが、腰に巻かれている縄に気付き踏みとどまった。今逃げようとしたら、バークに引きずられて大怪我を負ってしまう…凜は唇を噛んだ。その通りだ。強者を一瞬でも信用してしまった私が馬鹿だったのだ。
すると、凛の乗ったバークの後方を走っていたもう一人の強者のバークが突然うなり声を上げ、バタリと倒れたような音がした。凜が振り向くと、バークの足に何本か矢が刺さっており、乗っていた強者は地面に投げ出されていた。
「ん?なんだ」
強者も異変に気付き振り向くと同時に、どこかから矢が飛んできて、凜が乗っているバークの足に刺さった。バークは声を上げ、その場に立ち止まった。すると後方から、また違ったバークの足音がこちらに迫ってきた。迫ってきたバークには、人が二人乗っていた。暗がりでその顔は見えなかったが、前に乗っている人が刀を抜き、凛にそれを振りかざした。
凜は悲鳴を上げ、咄嗟に目をつむった。刀を持った人のバークは凜の横を通り抜けて行った。凜は無傷であった。目を開けると、凛とバークを縛り付けていた縄が切られていた。
「なんだあの野郎」
強者は二人に向かってモダニアを放った。二人はそれをかわし、代わりに矢が強者に放たれ、強者の腕と腹に刺さった。強者は思わず腹を抱えた。その瞬間、二人が乗ったバークが前から凜に迫ってきて、前に乗った人が通り抜けざまに凜を抱きかかえ、そのまま凜を自分のバークに乗せたのだ。
凜を乗せたバークはさらにスピードを上げた。凜は、今自分を抱きかかえている人の顔も、周囲の景色も見ずに、ただ振り落とされないようにその人にしがみつくことだけで精一杯だった。
しばらくすると、バークは徐々にスピードを緩め、ついに止まった。そこはエルマドワ国の領土からだいぶ外れた、何もない小高い丘の上であった。
「もう平気だ。降りろ」
男の無愛想な言葉と声にはっとして、凛は目を開き、自分を抱きかかえている男の顔をのぞき込んだ。
「ディル!どうして?」
「いいから、とっとと降りろ」
ディルにせかされたので、凛は落ちるようにバークから降りた。
「リン、怪我はない?」
ディルの後ろから、ジュンタが降りてきて凜に駆け寄った。ジュンタは弓矢を背負っていた。
「ジュンタも!二人が助けてくれたのね。でもどうして私のことが…」
「リンがあの街に連れて行かれるところをたまたま見たんだ。それで、ディルとずっと後をつけてきたんだ」
凜はディルを見つめた。
「本当にありがとう。二人がいなかったら、私、解剖されてたかもしれない」
「え、解剖?」
ジュンタは目を見開いた。凜は、弱者の村が襲われてから二人に助けられるまでの経緯を話した。
「弱者の村がなくなっちゃったなんて…。そしたら、リンにも帰る場所がないんだね」
ジュンタは悲しそうに笑った。
「私もって、ジュンタの故郷はどうなったの?」
「きっと、弱者の村が襲われたときに森の外で起きていた戦は、新王軍がジュンタの村を襲ったときのものだ。俺たちが向かったときには、村は戦場になっていて近付くこともできなかった。それから、ジュンタは勝手に俺についてくるようになった」
バークから荷物を降ろし、ディルはその場に座った。凜とジュンタも、つられて座った。
「こんな風に言ってるけど、今回リンを助ける段取りを組んだのはディルなんだ。僕が昔戦で弓矢を使わされてたことを話したら、それは使えるって」
ディルはジュンタを睨んだ。
「勘違いしてそうだから言っておくが、俺はただこの前の借りを返したかっただけだ。お前を助けたいだなんて、微塵も思ってない」
凛は少しだけ顔を赤くした。
「こっちだって、そんなこと思ってて欲しいだなんて、微塵も思ってないんだけど」
「じゃあいい」
「本当に性格悪いんだから」
凛はディルに聞こえないように呟いたが、ディルは凛を睨んだ。
「それでさ、リンはこれからどうするの?」
ジュンタは変な気を遣って会話に入ってきた。少し大人げなかったかな…凜はちょっぴり反省した。
「おばあちゃんに、東の果てにあるリュウリンの墓場に行けば呪いが解けるかもしれないって託されたの。だから、そこに向かいたいんだけど、ディルも一緒なんでしょ?おばあちゃんが言ってたよ」
「それじゃあ、これからは三人で一緒に旅をすればいいね」
ジュンタが嬉しそうに笑ってディルの方をみた。しかし、ディルはため息をつきながら首を振った。
「だめだ。俺は誰とも組まない。俺は一人でリュウリンの墓場に向かう」
「どうして?一人より三人の方がいいじゃない。お互いに助け合えるんだから」
凜もジュンタに加勢した。
「そう思っているのはお前らだけだ。こっちは、お前らがいると迷惑なんだ」
「私たち、ディルの邪魔だけは絶対にしない。何でも言うこと聞く。それでもだめなの?」
「そういう問題じゃない」
ディルは髪をかき上げた。
「俺はな、追われてる身なんだ」
「ディル、何か悪いことでもしたの?」
ディルは、鼻で笑った。
「まぁ、そんなところだ。追っ手から逃げるのに、二人を連れて回るのは面倒なんだ。それに、もし俺と一緒にいるところを追っ手に見られたら、間違いなく殺される。自分の身のことを考えるなら、俺と一緒にいない方がいい」
「そんなこと言われたって、僕たちどうせ帰るところもないんだ。ディルと一緒にいなくたって、このままだとすぐに死んじゃうよ」
ジュンタは泣きそうになった。凜は、ジュンタの頭を撫でた。
「私たちには身寄りもないんだから、命の心配してくれなくてもいいよ。それに、一緒にいるって言っても、ただディルの後をついていくだけで良いの。ディルは私たちのこと、何も考えなくていいから。もし追っ手が来ても、置いて逃げていいから。だから、お願いします」
凛はディルの方に向き直り、深々と頭を下げた。ジュンタもそれに続いて頭を下げた。ディルは再び首を横に振ろうとしたが、ふとその動きを止めた。いや待てよ、こいつは逆に利用できるかもしれない…ディルの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
「そこまで言うなら、一緒に行ってやる」
この瞬間、凛とジュンタの顔にパッと笑顔が浮かんだ。だが、この笑顔に釘を刺すかのように、ディルは冷たく言い放った。
「ただし、条件がある。追っ手に見つかったときは、俺の言う通りにすること。いいな」
「はい!」
凛は顔をほころばせた。ディルは、そんな凛の笑顔をじっと見つめていた。それにしても、単純な奴らだ、俺が追っ手から逃げるための時間稼ぎに利用しようとしていることに、ちっとも気付いてない…。
「それじゃあさ、バークがもう一頭いた方がいいよね」
ジュンタは立ち上がり、バークに近付いた。よく見ると、それはペペであった。ジュンタがペペに何かを言うと、どこかへ走り去ってしまった。
「ペペが、今晩中にもう一頭仲間を見つけてきてくれるって」
「ジュンタ、すごい。バークとお話できるの?」
「うーん、なんとなくだけどね」
ジュンタははにかんだ。
「お前ら、明日は夜明けと同時にここを出る。だからもう寝ろ」
言いながらディルは羽織っているマントをはずし、乱暴に凛に投げ捨て、その場に寝転がった。いきなり投げてよこされたマントに困惑しつつ、凛はディルに意見した。
「明日、お昼頃出発じゃだめ?」
「さっき、俺の言うことなら何でも聞くって言っただろ」
凛ははっと息を呑み、思い切りふくれっつらをした。
「いじわる!」
マントを頭からすっぽりかぶって、凛は草が生い茂る地面の上に横になった。マントにはディルの体温がまだ残っていて、ほんのり暖かかった。
隣で、ディルがもう寝息を立てているのが聞こえた。それ以外に聞こえてくるのは、風に草がざわめく音だけだった。心地よい静寂の中で、凛の心は満たされていた。これから、今までとは比べ物にならないほどの困難が襲ってくるかもしれないにもかかわらず。
◆
「クロムニク様、大変申し訳ございませんでした」
二人の強者が、これ以上顔を擦り付けたら怪我をしてしまうのではないかというくらい、深々と土下座をしていた。
クロムニクは、無言で二人に近寄り、右手から赤黒い光を放った。二人は突然痙攣し始め、床をのたうち回った。
「いいのですよ、お前たちに頼んだ私が愚かだったのです」
すっかり床で伸びきってしまった二人の強者を踏みつけながら、クロムニクは言い放った。
「二度目はありませんよ。あの少女を先に国に渡すわけにはいきません。何としても居場所を突き止めなさい。いいですね」
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