再起動

 週が明けた月曜日。朝のニュースでも学校のホームルームでも無差別人間狩りのことが取り上げられた。特に第一エリアと波ヶ丘のある第二エリアでは被害者数が指数関数的に増えており、登下校の際はできるだけ一人で帰るようにと波瀬は語った。

 おかしな世の中だと咲馬は改めて思う。不審者が出ると友達と一緒に帰りなさいといわれるものだが、人間狩りでは逆に危険なのだ。仲のいい友達と喋りながら帰ればそれだけ紫ノ糸を斬られるリスクが高まる。たとえば綱のように親密で絡まり合う糸は狙いにくく安全視する声が多かったのだが、近年のブラックソルジャーたちは腕を上げ、ミリ単位の調節で刀を振る者もいると聞く。磨き上げられた刃先の精度でいかなる状態の糸も斬り落とす、そんなおそろしい世の中がついに到来したのだ。

 放課後、いつものように竜生と十秋がこちらに手を振ってきた。

「じゃあ、あたしたち行くね」

「いつでも戻ってこい。俺たちはずっと待ってるからよ」

「ありがとう、二人とも」

 二人と別れ、咲馬は校門へ向かう。部活がなければこんなにも毎日が平穏、いや寂しいのかと感じずにはいられなかった。今日も竜生と十秋は道場で鍛錬する。

 途端に自分は何をしているのだろうと情けなくなった。今こそ世の中が自分の能力を必要としているのに、こんな大事なときに逃げ腰でいる。悦治は何もいわないが、さすがに失望しているのかもしれない。

 今日も勇気を出せず校外へ足を踏みだしたとき、ふと目の前を通り過ぎる親子の姿があった。まだ幼稚園ぐらいの少年と父親らしき男の姿だった。その二人の顔に、咲馬はふと既視感を覚えた。自分は、この親子にどこかで会ったことがある。

「あのう」自分でも気付かぬうちに声を掛けていた。

 相手の二人は同時に振り向き、こくりと首を傾げた。訝しげに口を開いたのは父親のほうだった。

「何か用──」いいかけた彼の目が丸くなった。「もしかして、君は……あのときの」

「やっぱり以前会ったことが?」

「覚えてるかな。ほら、飲み屋街で君はお父さんと剣を握ってたじゃないか。ゲームセンターの前にいた僕たちを助けてくれた──いやあ、こんなところで会えるなんて。波ヶ丘ということは、ソルジャー部だったんだ。僕たちは第二エリアに住んでるんだよ」

 ゲームセンターと聞いて、咲馬の記憶が蘇る。

「あのとき、被害に遭われた方ですね……」何といっていいものか、すぐには適切な言葉が出てこなかった。

 父親の隣にいる小さな男の子を見下ろすと、彼も咲馬のほうをじっと見つめてきた。

「おとうさんと、でんしゃのる!」

「まだ変なもやもやとした気持ちは消えずにいるんだけどね」父親の男が神妙な面持ちでいった。「あのとき君のお父さんからいわれた『二度と感情が戻ることはない』っていう言葉、最初は疑ってたんだ。確かに息子に対する気持ちを僕は失ってしまったのかもしれない。けど、一言で、紫ノ糸だけで表せるほど自分の愛情は単純なものではなかったんじゃないかとも思うんだ」そういい、彼は自分の息子を抱き上げた。きゃっと子どもは喜ぶ。「この子は幼稚園ではいたずらっ子で、先生を困らせてた。いや、過去形じゃなくて今も。もちろん親としてきちんと叱る。ソルジャーが近くにいれば、自分から息子に赤ノ糸が出ているというに違いない。そう考えるとさ、気持ちが前向きになって、紫ノ糸以外にも自分の愛情が他の色の糸に反映されてるんじゃないかって思うんだ」

 彼の言葉を聞き、咲馬は今までの自分の考え方が間違っていなかったと気付いた。赤ノ糸だからといって簡単に斬り捨てるべきではない。紫ノ糸で埋め尽くされた世界がゴールではないのだ。

「まだ息子を想う気持ち? みたいなのがよくわからないんだけど──」男は微かな希望を垣間見るように微笑む。「前よりちゃんと向き合えてる気がする。糸を斬られる前までは駄目でろくでもない父親だった。遊んでやった記憶なんて五本の指に数えるほどしかない。でも感情の糸を斬られてから、ちゃんと向き合って、もう一度愛情の糸を取り戻せたらいいなって思った。あのとき君のお父さんがいった言葉が忘れられない。『不可能ではないが、一から積み上げていく必要がある』と」

 被害者にもまだ希望は残されている。咲馬の胸に熱いものが込み上げた。

「人間狩りの被害者の会をつくって、みんなに希望を与えられるような場を僕は作りたい。みんな大切な誰かを想う気持ちを無残に斬られた人ばかりだと思うから、希望の光を灯してやる人が必要だと思ったんだ。それが自分にできること」

「立派だと思います。あなたの活動を待っている人たちが、きっと全国に、いや世界中にいるはずです」

「うん、君も。ソルジャー部はうちの地域の宝だ。特にレッドの素質をもつ子が入学した際にはちょっとした歓喜に包まれたっけ。これからも治安維持のため、よろしく頼む」

「ええ……」曖昧な返事しかできなかった。

「それじゃあ」男は軽く右手を挙げた。

「ばいばい、おにいちゃん」小さな手を振ってきた。

「またね」咲馬は思わず破顔し、そのまま二人が去っていく姿を呆然と眺めていた。

大きく息を吸い、吐き出した。

 やがて咲馬は後ろを振り返り、校門と再び対峙した。『波ヶ丘高校』と門に刻まれている。自分がやらなければならない。ビスである自分が逃げてどうするのか。それに、被害者にはまだ希望が残されているのだ。街を、人を守りたい──天を見上げ、誓うように固く拳を握った。強くならなければ。自分にしかできないことが。

 意を決し、道場のほうに向かって歩き出した。部室前に来ると、ちょうど稲葉が中から出てきたところだった。

「貴堂……」

「練習させてください、もう一度」

「いいのかい。せっかくソルジャーの義務なんか忘れて、自分の好きなように生きるチャンスを与えられたのに。僕は今すぐにでも退部届を出して、楽になりたいと思ってるんだけどな」

「自分にできることに賭けてみたい。与えられた能力を否定して、挙句に自分のことまで否定して…今までそんな人生だった。けどそれは甘えだったのかもしれません。与えられた才能があって、それを使おうとしないのは甘え。何も与えられず一人で悶々と苦しんでる人が多数なのに。さっき人間狩りの被害者と偶然会ったんです。親子で、父親はソルジャーでも何でもない普通の人です。その人は被害者を支援する集いを作るそうです。それが自分にできることだから、と」

 すると、稲葉の顔からヘタレに満ちた表情が消えた。

「貴堂が練習を積んだからって、すべての人を守れるわけじゃないと思う。自分の力が及ばなかったとき、君はその痛みに耐えられるのか。舞山さんのときみたいに、いちいち傷つくなら僕はそのまま退部することを勧めるよ……まあでも、その目を見るかぎり心配なさそうだけど」

 すると、道場のほうから木刀片手の羽野がやってきて、咲馬を見てから足を止めた。表情には一点の揺らぎもなかった。数秒間互いに見つめ合い、やがて咲馬のほうから切り出した。

「復帰させてください。迷惑をかけてすみませんでした」

「多くは語らずともわかる」羽野は部室のほうを顎で示す。「三分で着替えて道場に来い。今からお前を強化する」

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