変装
学校を出た咲馬は家路につかず、十秋と一緒に海方向の駅を目指した。今日は家に帰る前に寄っておきたい場所がある。竜生も連れて行くか迷ったが、目的地を考えるとボロを出さないために黙っているほうが吉だと判断した。港湾線は港湾地区第一エリアから第七エリアまでの海沿いを行く線路であり、ナグア化学の巨大工場がある第二エリアは、波ヶ丘高校との距離も近く、『ソルジャーの街』と巷では呼ばれている。それに付随してソルジャー関連の会社であったり、ベンチャー企業が増えてきているという話だ。小さい頃から港湾線には世話になっているが、ビルの高さが活気づく途上国のように増したのはここ数年のことのように思う。
線路がカーブに差し掛かると、車窓から夕陽に照らされる太平洋が一望できた。その景色を十秋は眺めているが、今どんな顔をしているのかは通路側に座っている咲馬にはわからなかった。
「遠い昔の気がする。あたしの糸が斬られたこと」ぼそりと呟いた十秋は、変わらず窓の外に目を向けている。「梶尾のことは嫌いだよ。だけど心の底からどうしても嫌いにはなれない、何でだろうね。まるで過去のあたしが邪魔してるみたいに。咲馬くんがこんなに苦しんでるのに、ほんとはあたしも一緒に苦しんで寄り添わなきゃいけないのに、なんだか……変な気分」
十秋の弱音を聞くのが珍しく、咲馬は何と応えればいいのかすぐには言葉が出てこなかった。だがくるりとこちらを向いた十秋の表情は思いの外沈んでなどいなかった。
「ごめんね、いつも心配かけちゃって」
「ソルジャー部のみんながそばにいてくれるだけで僕は安心できる。家族以外に自分のこと思ってくれる人なんていなかったから。たぶん他のビスソルジャーも同じなんだろうな。だから、ありがとう。十秋の励ましはちゃんと届いてる」
うん、と十秋は静かに頷いた。
やがて目的の駅に降り立つと、構内を抜けてスマホの地図を頼りに歩いてゆく。第一エリアだ。工業色の強い第二エリアと比べ、この一帯は商業が栄えている。大きな河川が南北を貫き、古くは江戸時代から発展してきたらしい。そんなことを地理の先生がいっていた気がする。
コンビニや牛丼チェーン店、クレープ屋など飲食店の目立つ通りを抜け、さらに大型ショッピングモールも通り過ぎた先に七階建てのビルを発見した。
「この辺だな」咲馬は辺りを見渡し、やがて一軒の小さな店を少し離れたところに見つけた。『ジャンモリべんとう』の看板が掲げられている。あそこが目的地だった。梶尾の母親が働いている弁当屋である。羽野先輩は以前に一人で訪れている。
自動ドアをくぐると、いらっしゃいませ、と女性の声がした。やがてエプロン姿の人のよさそうな中年女性が厨房から出てきた。名札には『梶尾』と書かれていた。梶尾達樹の母親とみて間違いないだろう。
「おすすめのお弁当あります?」十秋が愛想よく訊いた。
「えっとね、今日はこの『緑ノ弁当』がオススメだよ。お野菜たっぷりヘルシー定食。お姉ちゃんかわいい顔してるし、これ食べたらもっと美人になれるよー」
「よしっ、じゃあこれにしよっかな。田中くんもこれでいい?」
名前を伏せるため、咲馬のことはひとまず田中と呼ぶことになっている。念には念をの配慮である。
「僕もそれで」
「まいど」
二人分の弁当を受け取ると、梶尾の母親がどちらにともなく訊いてきた。
「学校帰りにデートかい? 若いねえ」
「そんなところです」十秋が笑顔で応える。
「さては衛京高校だね」彼女は十秋の胸のバッジを見て訊いてきた。そこに衛京高校の校章が刻まれているのだ。衛京高校は第一エリアのエリート進学校で、佐奈島先輩の友だち経由で二人分のバッジを何とか調達してもらった。名前と学校名を相手に誤認させられれば抜かりはないはずだ。
「賢いうえに美男美女のカップルか。世の中には恵まれた人もいるものね」
「でも学校の先生はずっと波ヶ丘と比較ばっかして、もううんざりって感じです。衛京じゃ勝てっこないのに。あそこの高校に通ってる人たちは、あたしたちよりずっと賢いんだろうなあって」
わざとにしては、なかなかの演技力だと咲馬は思った。
「じつはね、うちの息子、波ヶ丘に通ってるんだよ。自慢するわけじゃないけど」頭のいい息子を間接的に褒められ喜んでいる親バカである。
「すごーい。いいなあ、あたしもそんな頭あったらよかった。ほんと親を恨んじゃう」
「波ヶ丘といえばソルジャーだね」咲馬も加勢する。「あそこって推薦と一般入試の両方がありますよね? どこかで聞いたような気がするんですけど」
「そうそう」と嬉しそうに梶尾の母親はいった。「うちの子は一般入試よ。子どもの頃から剣道やっててね、あとはソルジャーの才能さえあれば推薦を受けさせたんだけど」
ということは、やはり梶尾はソルジャーではないらしい。十秋と互いに顔を見合わせていると、でもね、と梶尾の母親は続けた。「『俺はソルジャーだ』って突然いい出した時期があって、それから夜遊びが増えちゃったのよ。両親ともにソルジャーじゃないんだけどねえ。寝ぼけてたのかしら。本人は友達と遊んでるだけっていうし、もう高校生だしあんまり問い詰めるのもどうかなあと思っちゃって。とにかく、あなたたちみたいに素直な子じゃないのよ、うちの子は」
──俺はソルジャーだ。
そのように梶尾がいったことが本当かどうかはわからない。両親がソルジャーでなくとも隔世遺伝でソルジャーの素質が継承されるケースはある。ただ、梶尾は自分に強くいい聞かせたかったのではないか。確かに自分はソルジャーなんだと。そんな印象を咲馬は改めて抱いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます