蝕む疑心

 月は替わり、五月になった。怒涛の一か月が過ぎ去ったわけだが、ブラックによる無差別人間狩りは何一つ解決には至っていない。この日の放課後は、北校舎の端にある教室を借りてのミーティングだった。工場での襲撃事件以来、ソルジャー部の会議で梶尾達樹の見張りをより強化するという方針になり、今日は羽野から重大な知らせがあるということで、咲馬も参加する運びとなったのだ。正直まだソルジャー部に顔を出したくはなかったが、梶尾に二度も嵌められた立場として、目を背けるわけにはいかなかった。

 すると羽野先輩が教壇に立ち、一同の顔を見渡す。

「奇妙なことがあった──梶尾の下校途中から夜の行動に至るまで監視してきたが、夜の密かな狩りにおいて、あいつの通り過ぎるところにいた人たちの糸が悉く斬れている。彼がソルジャーであるという仮定を認めるなら辻褄は合うかもしれないが、紫ノ糸だけでなく赤ノ糸も斬られていた。他の糸の被害は現地点では確認されていない。複数の色の糸を斬れるソルジャーは」

「風間さんや僕のような、バイソルジャーまたはビス」咲馬が応えると、羽野は深刻な顔つきで小さく頷いた。

「そうだな。しかし私は、そもそも梶尾がソルジャーだということに引っ掛かりを感じている。仮にソルジャーである身分を隠しているとして、なぜそんなことをする必要があるのか」

 手を挙げたのは十秋だった。糸を斬られ工場でも散々な目に遭わされ、全身から怒りが滲み出ているようである。「愉快犯だと思います。合法的に人の心を殺せる……いや、自分がソルジャーでないと身分を偽りさえすれば、人の感情を好きなように奪える。梶尾はそれを楽しんでるのかもしれません」

「筋は通っているが……貴堂、お前の考えも聞きたい」

「僕の話でよければ」咲馬は、これまでのことを振り返る。「あいつはソルジャーに対して強い敵対心を抱いています。僕や十秋がそのことを仄めかすと、あいつは必ず反応してきました。教室でも工場でも。自分自身がソルジャーなのに、わざわざソルジャーを恨む理由はないでしょう。だから、あいつはソルジャーではないと思います」

「ソルジャーでないとしたら、なぜあいつの通った場所にいた人たちの糸が斬られていたんだ。それは紛れもない事実だ」

 咲馬はそこから先の話を続けるべきか迷った。視線を羽野から逃がすように十秋のほうに向けると、彼女は落ち着いた顔で、確かに頷いてみせた。いってみればいい、という意味だと咲馬は受け取り、再び前に立つ羽野先輩の顔を見上げた。

「協力者がいたんだと思います」

「協力者?」羽野の表情が一変する。

「あの、あたしから説明します」十秋が声を張った。「今からあたしのいうことを信じるか信じないかは皆さんの自由です。もちろん、あたしだって信じたくないけど……」

「構わない」羽野が力強くいった。

「わかりました。あたしと咲馬くんはこの中に、このソルジャー部の中に、梶尾と繋がっている仲間──つまり裏切者がいるかもしれないと考えています」

「そういうからには根拠があるのか」

「はい。それもちゃんと説明します。最初におかしいと思ったのは、麻薬の密売事件のことを梶尾が知っていたことです。波瀬先生とソルジャー部以外は誰も知らなかったはずなのに、かなり詳細な部分まで、具体的には咲馬くんが赤ノ糸を斬ったことまで見抜いていました。誰かから聞いたんだと思います。それは誰か? いうまでもなく、波瀬先生かソルジャー部の誰かから、ということになります。このこと、もっと早くにいうべきだったのかもしれません。ごめんなさい!」

 十秋が深く頭を下げたので、咲馬は慌ててフォローに入る。

「以前に三班に分かれて実戦に出かけたことがありましたよね。十秋の糸が斬られた日です。そのときに梶尾からいわれました。『裏切り者がいるソルジャー部に、よく身を置いていられるな』と。もちろん梶尾の戯れ言だと思って聞き流しました。けど、よく考えてみればそれを否定できる根拠もないんです」

「お前自身はどう思う?」

「僕はソルジャー部のみんなを信じたい、けど完全には信じられない……」いいにくかったが、正直に胸の内を話すことにした。

「それがお前の復帰の足かせになっているのだとしたら私の責任だ。全ソルジャー部員に告ぐ。万が一この中に裏切者がいたとしても、その人物が名乗りを上げることはないだろう。もちろんいない可能性もある。だがもし梶尾のいうことが本当であれば、相応の処罰を受けることになる。部長である私も責任を免れない」

 誰も声を発しようとしなかった。互いに疑心暗鬼な目を向け合っているが、本音を語る者はこの中にいない。しおれた花のように俯く佐奈島先輩、じっと目を閉じ心の逃避の声に耳を傾けているであろう稲葉、腕を組み瞑想を続ける風間──。彼らの中に偽りの表情をしている犯人が潜んでいるとは咲馬には思えなかった。

「私からの報告は以上だ」

 今日はソルジャー部の練習はなく、会議が終わると、それぞれが制服姿で帰路につこうとした。会話もなく、夕菜が稲葉に自販機飲料をおねだりするような様子もなかった。そんな沈んだ光景を目にし、やっぱり話すべきではなかったかと後悔していると、羽野に呼びかけられた。

「まだしばらく顔を出さないつもりか」

「僕はずっと自分のもつ力を否定して生きてきました。人のもつすべての感情の糸が視える。はっきりいって、どうでもいいことなんです。羽野先輩にはわからない。全部が視えてしまうことの恐ろしさが。こんな能力望んでなかったんです……」

「いいや、お前がもっている力は誇るべき天性の才能。私のような凡人と比べれば恵まれている。羨ましいぐらいだ」

 大抵の人はそういう。何か才能が欲しかったと。特にビスの能力があれば、それだけで世界中から引く手あまたになる。ときには神の申し子といわれたこともある。確かに自分は神と呼ばれる存在に、才能を与えられた人間なのかもしれない。だが普通でないからこそ悩みの種も普通ではなく、共感してくれる相手がどこを探してもいない。ビスである苦しみを知ってくれる人は限りなくゼロに近いのだから。

「自分で、納得できる答えを見つけます。もし見つけたら、また帰ってきます」

「ああ、待っている。貴堂さんとも約束したからな。お前を立派なビスに育て上げると」

 その言葉は羽野先輩にとって自らを戒める言葉でもあったのかもしれない。

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