目撃

 建物の正面入口──多数の生徒たちが両手で頭頂部を守りながら、一階に避難してきている。中には泣いている者もいた。

 B棟ではなく、こちらに回されているブラックソルジャーの総数は大したことがなかったようで、工場の警備員やソルジャー部によって完璧に防がれていた。

 しかし建物を見上げると、所々ガラスが割れ、そこから煙が外に吐き出されている。

 そんな光景に釘付けになっていると、いくつかの足音がこちらに近づいてきた。

「貴堂、怪我はないか」肩で息をする稲葉が心配そうにいってきた。その横には佐奈島と夕菜の姿もある。

「大丈夫です」

「そうか、よかった。さっきの放送まんまと梶尾にしてやられたね。工場の爆発騒ぎを囮に使うなんて、やっぱりあいつ侮れない」

「まだ終わったとは限りません。さらに襲撃が来るかもしれませんし。とりあえず、ここを防いでくれてありがとうございます」

「礼なら工場の警備員さんにいってあげてくれ。僕たちはヴァイオレットだし、サポートに回っただけだよ。実際に糸を斬って守ってくれたのはあの人たちだから」

「まだ油断しちゃだめよ」佐奈島が声を張るが、どうも緊迫感に欠ける。元が癒し系ボイスだからだろう。「B棟から敵の増援が送られてくるかもしれないでしょ。咲馬くんは最前線で待機をお願い」

「十秋は……、十秋は無事なんですか」

「安心して」佐奈島が頭を撫でてくる。「クラスのみんなと一緒にいる。だって十秋ちゃんは普通の女の子だもん。被害者も一人もいないし、大丈夫」

「よかった……」咲馬は大きく息を吐き出した。確かに十秋は一組の生徒たちと一緒にいるようだった。周囲が慌てふためき騒々しい中、彼女は何やら黙々と自前のノートに書き込んでいるところだった。

「マネージャーとして、しっかり戦況の記録とってくれてるっぽいよー。ほんと誰かと違って働き者なんだから」夕菜が咲馬と同じ方向を見て呟き、にやりと笑った。

「おい、その誰かってのは僕のことじゃないよな」稲葉がむくれた顔でいう。

「いってないけど、うーん、やっぱりいったかも。訂正」

「今日はヘタってないし!」

「あとで十秋ちゃんに何か買ってあげないと可哀そうだね……」ちらりと夕菜は稲葉を見やる。

「誰が買うんだよ?」

「察して」満面の笑顔になる夕菜。

「やっぱり僕か……」

 咲馬くん、と佐奈島がいった。「十秋ちゃん、すごく頑張ってたよ。一年生の子たちを落ち着かせて列を組ませて、ここまで誘導してくれたのも彼女。正直へっぴり腰の波瀬先生より勇敢だったなあ」慈悲深き天使のごとき温かな視線を十秋のほうに送る。

「前線に戻る前に、少し十秋と話してきていいですか」

「そうね。ついでにそっと後ろから抱きしめてあげたら?」

「こんな状況で、しかもクラスメイトの視線がある中で……ですか?」

「わたしだったら、やっちゃうけどな」

「ちょっと恥ずかしいかもです……」

「ふふっ、かわいい」佐奈島は口元に指を当てる。

「でもたぶん、ソルジャー部以外で僕の味方になってくれる人はいないんだろうな」

「ひどいこといわれたら、わたしのところに泣きにおいで。わたしは何があってもあなたの味方」

「佐奈島さん……」

 そう、何も全員に信じてもらう必要はないのだ。自分を信じてくれるその人だけを、信じ抜けばいい。

 クラスの輪に近づくと、案の定周囲から氷点下を感じさせる視線が飛んできた。咲馬から一歩二歩離れようとする者、身内で陰口を叩く者など、明らかに咲馬に対する不信感を募らせているようだった。

「十秋、無事でよかった」

「咲馬くんこそ。ていうか何なの、あの聞こえてきた放送! 訳わかんない! ああ、もう、梶尾の奴腹立つんだから」十秋はくるりと後ろを向き、クラスメイトたちに向かって告げた。「ねえ、みんな聞いて」

 最も目を惹く十秋の発言だからか、一同の注目が集められる。

「悪いのは貴堂くんじゃなくて、梶尾のほうなの!」

 するとクラス委員長の倉田由香里が口を開いた。「十秋ちゃんのいうことを疑うわけじゃないけど、さっきの梶尾くんのいってることにも矛盾はなかった。悪いけど、今の段階で信じるわけには……」

 倉野のほかに声を上げようとする生徒は一人もいなかった。

「学校に戻ったら、また詳しく話を聞かせてもらう。そのときまでこの話はお預けだ」波瀬が落ち着いた口調で告げた。「みんなも今は梶尾や貴堂のことより、自分の身を心配しなさい。根拠のない推測で疑っても、何も状況はよくならない」

 担任の一括で、生徒たちのざわめきが鳴り止んだ。波瀬は続ける。「入口とは反対にあるゲートにバスが用意されているようだ。生徒たちは至急、工場内から脱出するようにとの連絡が入った。警察のソルジャー部隊もじきに到着するらしいから、慌てず落ち着いて行動するように」

「先生」と咲馬は訊いた。

「他に聞きたいことがあるのか」

「ソルジャー部も撤退するんですか」声を潜める。ソルジャー部の詳細な活動は学内であまり公にいわない取り決めになっているからだ。

「ああ、それが警察の判断だ。普通の実戦ならある程度ソルジャー部に任せられるが、そうではないと向こうは判断したようだ。危険な匂いがするということだろう」

「でも、まだB棟で羽野さんたちが戦ってるんです」

「制圧には成功したようだ。羽野、風間ともにほぼ無傷だそうだ。すぐに戻ってくると連絡が入っている。まったく、無茶をするんだから」

「それは……よかったです」咲馬は胸を撫で下ろした。二人の動向は気になっていた。

 新たな襲撃が来ないうちに、咲馬たちは非常用ゲートまで従業員に案内された。バスが数台数珠のように連なり、それぞれのバスガイドたちが「早く乗って!」と手招きしている。一組の生徒たちも急いで美人バスガイドの田宮が待つ車内へと駆け込んだ。

 辺りを見渡すと、皆ぐったりとし、その表情は青ざめていた。誰も一言も話そうとしなかった。B棟にいた梶尾は別の車両で学校まで引き返すらしい。

 咲馬は窓の向こうで遠ざかっていくナグア化学の工場地帯を見つめていた。未だに建物からは黒煙が上がり続けている。だがこうして全体を見渡してみると、被害は小規模なものだろうと推測できる。

 とりあえず身の危険が去り、咲馬の心臓の鼓動も平常に戻る。そのせいか、バスに避難するまでの間に従業員どうしの交わしていた会話が脳にフラッシュバックする。彼らが少し奇妙なことをいっていたのが気になる。こんな内容だった。

「B棟の近くで両刃の薙刀をもった奴がいたっていうんだよ。すぐにその場を立ち去ったらしいけど」

「両刃の薙刀っていうと、あの噂の?」

「そう。又聞きの情報だからあれだけど、頬と手の甲に傷があったらしい」

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