見えざる罠2/3

「卑怯だぞ! 君はいつもそうやって自分だけ高みの見物をして、最後には好きなときに逃げる……絶対許さない!」

 醒めた目でこちらを見下す梶尾に、咲馬は刀を向けた。

「そこで俺に赤ノ糸を向けたら、即刻斬られるが」

 まずい、と直感した。今ここで梶尾に怒りの感情を向けると、周りにいるブラックたちに糸を斬られてしまう。

 咲馬は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。次第に理性が蘇る。

「馬鹿な奴め」吐き捨てるようにいい、やがて彼の姿は見えなくなった。

 どこに行くつもりなのか。

 そのとき、すぐそばに敵の刃が迫る。対応しきれず、無理に防御したせいで後ろにのけぞり尻餅をついた。

 自分では意識していなくとも、梶尾に向かって糸が伸びていたらしい。その隙を狙われたのだ。刃を向けてきた相手は顎髭を蓄えた若い男だった。だがとどめを刺してくる気配はない。相手の手は震えていた。

「迷ってるのか」

「うるせえ!」

 彼は怯えている。咲馬の言葉が挑発と捉えられたのか、そばにいる別のブラックが咲馬と顎髭男の間に向かって剣を構える。どうやら自分は、髭の男に対して何かしらの感情を抱いているらしい。あと数秒で自分の糸は斬られる。そうしたら、強烈な精神的反動に襲われ意識を失うかもしれない。

 もう駄目か……目を閉じかけたとき、咲馬の視界にあるものが映った。建物の入口からのこのこと梶尾が出てきたところだった。

「おいっ、待てっ!」

 咲馬が叫ぶのと同時に、いきなり敵の刃が咲馬の目の前で一息に振り下ろされた。

その瞬間、「くそっ」と髭男とは違う別のブラックが吐き捨て、舌打ちした。

 そうか、今の一瞬で糸を伸ばす対象が髭男から梶尾に切り替わり、命拾いしたようだ。

 機会を逃すまいとすぐさま立ち上がったとき、すっと光のような剣筋が目の前を華麗に通過していった。こちらに背を向けて刀を鞘にしまったのは、風間だった。

 と同時に、咲馬を追い込んだ髭の男たちがその場に倒れ意識を失った。彼らは風間に糸を斬られたのだ。

「迷いの糸。万人に見る」そういい、風間は振り返る。橙ノ糸を斬ってくれたのだろう。

「助かりました」

「差し支えない。奴のところへ」風間が見つめる先に、撹拌槽のあるB棟へと走っていく梶尾の後ろ姿があった。

「ここは任せます」

「次は、助けられない。用心せよ」

 はい、と頷き咲馬は駆けた。咲馬の次の行動をいち早く察した羽野が、進路を切り開くべく次々と糸を斬り刻んでゆく。ヴァイオレットの稲葉たちも、剣術で相手の隙を生み出しうまく羽野に繋げている。

 梶尾を守るように立ち塞がるブラックソルジャーたちの壁が、羽野の活躍によりみるみる手薄になっていく。

「行けっ、貴堂! あいつを止めろ!」

 咲馬は自慢の脚を駆使し、敵の攻撃をかわしつつ、ときに赤ノ糸を斬り見方を助けながら正面突破を試みる。こんな状況でも、しっかりと糸を視られるようになっている。

 自分は成長していると思った。糸が鮮明に視えるようになってきている。ビスの使命から逃げてきたつもりが、気付かぬうちに深く悩み、鍛えられてきたのではないか。

 そう思えると一気に刀が軽くなったような気がした。咲馬は軽く微笑んだ。掌に力が漲った。自分を責める必要なんて、ないのかもしれない。十秋の笑顔が浮かんだ。

 斬ることに抵抗がなくなったわけではない。ただ──やるべきことを。

 何とか壁を突破すると、再び梶尾の背中が見えてきた。今のあいつは武器となる刃物をもっていない。追い詰めて、今なら何か有益な情報を聞き出せるかもしれない。

 咲馬は必死に彼の後を追う。梶尾は振り返らず、真っ直ぐ撹拌槽のほうへと向かっていく。勝てる、今なら──。

 建物の周りではソルジャー警備員がブラックと戦っていた。その横をすり抜け、咲馬は建物内へと侵入した梶尾に続き、足を踏み入れる。

 中に入ると、ブラックに脅されホールドアップの恰好をしている従業員たちの姿があった。温度制御を妨害され、そのまま人質にとられているようだ。

「た、助けてくれ……」刀をもつ咲馬に、従業員の男が懇願してきた。

「君は……刀をもっていないようだが」白髪頭の男性従業員が梶尾に向かって訊いた。

「助けてください……」声を震わせる演技をし、梶尾は咲馬のほうを振り返る。「こいつ悪名高きブラックソルジャーなんです! 俺の糸を斬ろうと襲ってきたんです!」

 梶尾は咲馬のほうを指してくる。まるで殺人犯を名指しするように。

 嵌められた……。自分はこの撹拌槽までわざと誘い出されたのか。だとしたら梶尾たちの目的は何だ、真の狙いは。見抜け、早く見抜け。

 そのとき、背後に人気を感じた。振り返ると、大量のソルジャー警備員が咲馬に蔑むような視線を投げかけている。裏切者を糾弾する目だ。

 咲馬は頭が真っ白になった。

 なぜか周囲にいるブラックは自分を襲ってはこない。咲馬を罠に嵌め、ブラックの仲間に見せかけるため、今は襲わないよう指示が下されているのだろう。

 工場で自分が見たもの聞いたもの、そのどこかに罠のヒントがあったはず。梶尾、いやブラックの狙いはどこにある。撹拌槽の爆発騒ぎは囮だったのか──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る