街の象徴2/3

「ナグア化学の……。でも、どうしてそんなことに」

「詳しくはわからないが、それが絡んでいるのかもしれない」羽野が指差したのは、さっきまで咲馬が見ていた看板だった。「ここの敷地に、ソルジャーの研究施設が新設されることが何かしら関係しているに違いない」

「ブラックの奴らは、何が狙いなんでしょうか」

 咲馬の問いに、羽野は薄く目を閉じた。わからない、という意思表示らしかった。

 咲馬も思考を巡らせていると、バスの運転手が咲馬たちの元にやってきて、羽野に話しかけた。その男は白い手袋を嵌めていた。

「トランクを開けますので、ソルジャー部の皆さんは荷物をお取りください」

「ありがとうございます」

 羽野が礼をいうと、運転手はそそくさと自分のバスへ引き返していった。

 少し待っててくれ、と頼まれ、やがて戻ってきた羽野たちの手には、見慣れた日本刀が活き活きと刃に光を反射させていた。羽野だけが剣を両手にもっている。そして、その片方は……。

「貴堂、お前のものだ」左手に握っていた刀を咲馬に渡してくる。

 受け取るべきか迷った。そんな思いを見透かされたのか、羽野の眼光が鋭くなる。

「胸騒ぎがする。いざというときのために持っておけ。お前の気持ちはよくわかっているから」

「羽野さん……」咲馬は渋々、愛用品を受け取った。今まで部室付近にある厳重な倉庫に預けていた。少し握らなかっただけで、何倍にも重くなったように感じる。

「使う機会がないことを祈ります」

「ああ、同感だ」

 その後、咲馬は一組の団体に戻った。ふと梶尾のほうを見ると、当然ながら彼は腰に何も携えていなかった。夜の繁華街以外では彼は普通の人間、あるいは普通の人間と偽るソルジャーなのだ。周囲が談笑し合う中、彼はただ一人、誰とも語らず辺りの景色をみやっていた。思えば、彼のほうから咲馬に話しかけてきたのは、入学式で悪態をつかれたときだけだ。嫌な思い出が蘇った。

 工場の敷地内の端から端まで行くには車が必須らしく、歩かされてようやくその実感が湧いた。最初に案内されたのは、まもなくオープン予定の研究棟だった。ここにもまた厳重な警備が敷かれており、まるで巨大な金庫の中にさらにまた金庫を格納しているようである。周囲は金網のフェンスで囲まれている。

 その研究棟の横に、バスの中から見えた奇怪なタケノコのようなオブジェが建てられている。大理石のような白い石でできているようで、やけに艶のある質感だ。重量もかなりあると見ていいだろう。通信塔の半分くらいの高さはありそうである。研究棟のすぐ隣には近代的な式典ホールが設けられており、その入口横にタケノコ型の芸術品が天に向かって伸びているのだ。

「あそこに見えるのが、ソルジャーの新たな研究所です。もうすぐ竣工式です」そういったのは案内役を務める工場の従業員だ。するとメガホンがハウリングした。「あっ、すみませんね……よし、直ったか。ええと、歴史の授業で習ったかもしれませんが、ソルジャー研究はかつて禁忌の領域とされていました。人間が直接手を触れてはいけない、ひと昔前のクローン技術のような扱いです。研究所の中はオープンまで一般公開はされないので、今日皆さんにお見せできるのはここからの景色だけになります」

 咲馬はフェンスの金網に手をかけた。来月からあそこでソルジャー研究が行われるようになるのだろう。咲馬にとっても無関係な話ではない。所長に就く予定の蓮岡聡一はかなりの重鎮と聞いている。世論に影響を与えかねない人物だ。

「みんなが幸せになれる研究をしてほしいな」咲馬の横で十秋がいった。胸の前で両手を組み、祈るような格好をしている。

「十秋……」

「なんだろう。何か特別に感じたわけじゃないんだけど、祈りたくなったの」

「それって、十秋の斬られた糸に関係してるんじゃ──」

「そうかもしれないね。でも、思い出したくない」

「ごめん、この話はよそうか」

 十秋はこくりと頷いた。

 みんなが幸せになってほしい、か。みんなというのは、たぶんソルジャーと一般人のことを指すのだろう。その幸せを祈る想いが無残にも崩される出来事が、十秋の身に起きたのかもしれない。

 その後も工場見学ツアーは続いた。蒸留塔、流量コントロールルーム、混合撹拌槽など様々な役割をもった巨大な装置が中に組み込まれているのだと知った。中でも撹拌槽は特に怖いのだという。

「工場が爆発したというニュースをよくテレビで見ませんか。それを聞いて私たちがまず疑うのが温度制御です。化学反応は温度を適切にコントロールしてやらないと、すぐに暴走します。反応過程で熱が内部に蓄積されていき、急激な温度上昇が生じることで、最悪の場合、爆発事故に繋がるんです」

 へえ、と声を漏らしたのは理数が得意な生徒たちだ。咲馬はそれを聞いても何とも思わないし、興味も湧かなかった。というより、そんな危険性を秘めた場所でよく働いていられるな、というのが率直な感想だった。

 ひと通りの施設見学が終わると、今度は近くの建物内で紹介ビデオを見せられた。一日で全部を見学するのは到底無理なので、残りはビデオで消化しようということらしい。残念ながら内容は退屈だった。感想文を書かされる未来が見えていたので、睡魔に耐えることは何とかできたのだが。

 ビデオの視聴が終わると、質問コーナーに移った。モニターの横に恰幅のよい工場長が立ち、優しい目で生徒からの質問を待ち受けている。

 手を挙げたのは、意外なことに梶尾だった。彼はパイプ椅子から立ち上がった。

「わざわざソルジャーの研究所を作ったということは、この会社はソルジャーを崇拝しているんでしょう。それは一般人とソルジャーの格差をさらに拡げることに繋がると思いますが」

 想定内の質問だったのか、工場長の態度は落ち着いている。

「一言でいえば、諸刃の剣だ。少しでも道を誤れば、かつてのSEAのような末路を辿ることになるでしょうな。後追いになることは何としても避けたい。しかし、ソルジャーという存在が発見される前からすでに格差は存在していた。だからソルジャーが現れたことでどの程度、格差が広がったのかは未だに議論が交わされている。ただ、個人的にいわせてもらうと、私自身は研究所設立には反対だった。格差ではなく、差別社会に拍車をかける未来が見えたからだ。反対意見をもつことは何も恥ずかしいことじゃないよ」

「そうですか」梶尾は不愛想に着席した。

 気持ちの籠っていない礼儀に見えたが、実際はそうではなかった。彼から工場長に向かって紫ノ糸が伸びているではないか。あれはきっと、友好の糸。

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