恋の依頼2/2

 咲馬は言葉を失い、しばらくの間、どうみても羽野先輩にしか見えない彼女のほうを呆然と眺めていた。対する羽野はまったく動揺しておらず、むしろいつも以上に堂々としているように感じられた。

 すると隣で竜生が高らかに笑った。

「わかったぜ。先輩、俺が恋愛研に顔を出してるのが鬱陶しくて、説教しにきたんじゃないすか。じゃないと先輩がこんなところに来るわけ──」

「私には、大切に思う人がいる」

 小学生でもわかる言葉が使われたはずなのに、咲馬はまるでその言葉の意味を呑み込めなかった。

 主語は私……つまり、羽野先輩。まとめると、羽野先輩には大切に思う人がいる。

 うん。

「そんなっ!」

「マジかよ……」

 咲馬、竜生の順に驚きの声を漏らした。羽野先輩に恋愛スキャンダル? 天と地が引っくり返ってもそんなことは起きやしないだろうと思っていたのだが。

「何をそんなに驚いている?」羽野が訝しそうにいった。

「失礼ですけど先輩」咲馬はいった。「もう少し恥ずかしがっていうべきではないかと」

「なぜ?」大真面目な顔でいってくる。

「いや、だからその……普通の人ならそうなるってことです」

「私は普通ではないと」

「いい意味で、普通じゃないですね……」いい意味でという言葉は本当に便利だ。

「てか、先輩の好きな人って誰なんすか」竜生が当然の疑問を口にする。あと数秒遅ければ咲馬から訊いていたところだ。

 羽野は前を向いたまま背後にある戸を静かに閉め、咲馬と竜生のほうを交互に見つめた。

「じきにわかる」それだけだった。

 羽野が依頼人用の席に座ると、恋愛研の部長である道永がこほんと咳払いをした。

「ええ、まもなく依頼人の片思いの相手がそこの廊下を通過するので、ソルジャーの二人は糸を視る準備をお願い」

 この場にいるソルジャーの数は正確には三人だが、羽野は自分に向けられた糸を自分で確かめることはできない。というようなソルジャーの特徴は、竜生が恋愛研の人たちに教えてあげたそうだ。

 すると、廊下のほうで足音が聞こえてきた。今回のターゲットだろう。だんだんとこちらに向かってきている。

 化学実験室を少し過ぎた先にある落とし物ボックスに、ターゲットの私物があったような気がするから見てきたら、とあらかじめ吹き込んでおいたらしい。

「さて、どんな人なんだろうなあ」竜生が頭の後ろで愉快そうに手を組み、どこか勝ち誇ったような顔で羽野先輩を見つめる。

 その気配を察知した羽野先輩の目がぎろりと竜生のほうに向き、慌てて視線を逸らす彼の動作が何ともおかしく見えた。

 次の瞬間──。

「おっ」と竜生が小さく呟いた。

 たった今、黒い影がドアの向こうを通り過ぎたのだ。数秒が経ち、道永が待ちかねていたように告げる。

「今、ソルジャーの二人には糸が視えたのかな」

 はっきりと頷いたのは竜生だ。「ばっちり見えました。ターゲットから羽野先輩に向けられた紫ノ糸が」

「そう。咲馬くんは?」

「ええ、僕にも……」

 咲馬の意見を聞いたからか、ふっと道永の表情が綻んだ。

「んじゃ、答え合わせといくか。先輩、開けて確認してもいいっすよね」

「すでに察しはついてると思うが」羽野は見定めるような視線を竜生に送る。

「いやいや、姿が見えないのにわかりませんってばー」

「風間さん、じゃないですか」

 咲馬の言葉に羽野の目が光った。

「どうしてそう思う?」

「道永さんがヒントをくれたからです。羽野先輩の大切な人は、同じ学年で同じ部活。ちゃんと話を聞いていれば、答えは明白です。一人、聞き逃した間抜けな奴がいたみたいですけどね」

「おいおい、俺のことかよ……勘弁してくれ」竜生は苦笑し、お手上げのポーズをした。「ま、依頼はとりあえずこれで解決っと──てか羽野先輩もおどかさないでくださいよお。俺、てっきり先輩が本気で恋愛してるのかと思っちゃったじゃないですか。そうじゃなくてほんとは、風間さんにとって一番のソルジャーは誰なのか、それを確かめたかったんですよね」

 すると、羽野の瞬きの回数が急に多くなった、ような気がした。

「ああ、その通りだ。他の部員に訊くのも失礼な気がしてな。淳太にとって自分が一番の練習相手でありたいと願う個人的欲望を、ソルジャー部で吐き出すのは不適切と思ったまでだ」羽野は立ち上がり、道永に礼を述べた。「貴重な時間を取らせてしまってすまない。必ずお礼はさせてもらう」

「いいよいいよー、そんなの気にしなくて。陽華が恋愛? って思ったけど、まさかそんなはずないもんねー」と身振り手振りでおかしがっている。

 羽野と道永ではまったく話が噛み合わなさそうだが、意外にも弾んでいるのが何とも不思議だった。

「先輩、んじゃ俺は先行ってますんで、ゆっくりしてってください」竜生が威勢よくいった。

「ああ、ありがとう」

 羽野先輩が、ありがとう、といった。あの羽野先輩が、竜生に向かって。なぜかいつもより少し柔らかい表情をしていた。

 その後、下駄箱で運動靴に履き替え、歩いていると、竜生が面白おかしそうに肩を突いてきた。

「んで、咲馬も気付いてんだろ」

「どうしてそんなに、にやにやしてる」

「嘘だろ、お前、マジで羽野さんの秘めた思いに気付かなかったのか。相手が風間さんだってことは見抜いたくせに。恋愛に関しては俺のほうが一枚上手だな」

「羽野先輩の秘めた思い? それって、自分が風間さんにとって一番の練習相手でありたいって願う気持ちのことでしょ。羽野先輩本人がそういったんだし」

「ちっちっち」と竜生はわざとらしく人差し指を左右に振ってみせる。「まず、風間さんにとって一番の練習相手でありたいと願う気持ちは、部員のみんながすでに気付いてることだ。道場でよく一緒に剣を合わせてるだろ。だから今さら隠そうってのも変な話だと思わないか。おそらく羽野さんが咄嗟についた嘘だ」

「じゃあ、他に考えられるのは──」

「純粋に、風間さんに好意を抱いている。咲馬は知らんだろうが、十秋ちゃんのことで羽野先輩も責任感じてるっぽくて、風間さんにもよく相談してる。話を聞いてもらううちに、心の中で微かに芽生えるものがあったんじゃねえか」

「……」

「その証拠に、俺が機転を利かせてさっきのことを話したら、最後にありがとうって返してきたろ。あれで確信した。元々は本気で恋愛相談をしたかったに違いない。でも俺たちがその場にいることを知って、話しづらくなった。そこで救世主の俺が、羽野先輩のプライドが守られる動機を即興で作ってあげたというわけ」

 咲馬は立ち止まり、校舎を見上げた。

「今頃、本気の恋愛相談をしてるのかな」

「さあな。人の心は糸だけで表せるとは限らねえ。糸が視えるから優秀って思うんなら、そいつは救いようのないアホだ。人の心ってのはな、そう単純じゃない。羽野先輩も俺たちと同じ、人間ってことよ」

 やがて校門の前で別れ、竜生は一人で道場に向かっていく。

 その背中が、今日だけに限定して、本当に今日だけに限定して、大きく映って見えたのだった。

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