恋の依頼1/2

 それからの五十分間、咲馬はまったく授業に集中できなかった。梶尾の背中ばかり睨みつけてしまうからだ。

 どうしてあそこまで無慈悲に人を傷つけられるのか。十秋の糸を斬って、同じクラスメイトで、自分に優しく話しかけてくれた人の糸を、どうしてあんな簡単に斬ってしまえるのか。

 咲馬の中に、熱気を帯びた塵が蓄積されていった。怒り。羽野先輩が近くにいれば、自分が梶尾に怒りの糸を向けていることを悟られるに違いない。だがそれでいい。ソルジャーの力を正しく使おうとしないあいつに対して憤るのは当然──。

 いや、と思い直す。まだ彼が本物のソルジャーと決まったわけではないのだ。ソルジャー部の誰かが梶尾と親密に繋がっていることもありうるのだ。

 ますますわからない。梶尾達樹は一体何者なんだ?

 放課後、机の中の教科書やファイルをリュックサックにしまっていると、十秋と竜生が近づいてきた。

「じゃあ、また明日ね」ふふっと翳など感じさせない笑みを十秋は浮かべた。

「うん、気をつけて」

 普通なら「うん、また明日」と鸚鵡返しでいいところを、咲馬の口から出たのは気を付けてという言葉だった。

「心配しすぎ。だめだめ、そんなんじゃ心がもたないよ。あたしみたいに、いつも元気でいなくちゃね」グッドサインを送ってきた。

「俺たちも行こうぜ」と竜生。「ヴァイオレットの才能が、ついにこの波ヶ丘で試されるときが来たってことよ。うわぁ、楽しみだなあ。どんな恋愛相談を受けることになるのか」

「でもすごいよね」といったのは十秋だ。「片思いしてる相手を、恋愛研の人たち全員に知られちゃうってことでしょ。あたしだったら嫌だなあ」

「おお、もしかして十秋ちゃんには!」

「ち、ちがう。あたしにはそんな人……」ちらと咲馬のほうを目だけで向いたが、それは一回分の瞬きにも満たないくらいの時間だった。

 気のせいかな、と咲馬は思うことにした。

 教室を出て十秋と別れ、竜生と二人で恋愛研の部室へと歩を進める。

「十秋ちゃんのいうとおり、確かに勇気あるよな」ポケットに手を突っ込みながら竜生が可笑しそうにいった。

「片思いの相手を人に教えることになっちゃうって話?」

「そうそう。少なくとも、教室の隅で大人しく本を読んでる眼鏡女子でないことは確かだと思うぜ。どっちかというと、自分の意見をはっきりいえて、堂々としてる感じの女子じゃねえかな」

「その片思いの人っていうのも来る手筈になってるの?」

「ああ、そんで二人を接近させて、俺たちが両者から出ている糸を視る。以上」

 作戦の全体像を理解する頃には、すでに部室の前に到着していた。前回と同じくわずかに扉が開いている。

 中に入ると机が五つ横に並べられ、その対面には一つだけ椅子と机が。五つのうち四つの席にはすでに部員が着席している。残る一つは竜生のものだろう。一言でいいあらわすなら、まるで面接会場のようである。

 すると咲馬たちの元に、仮入部のときに好意的な態度で接してくれたロングヘアの先輩が近寄ってきて、嬉しそうな顔をした。

「来てくれると思った」と咲馬の手を取る。「竜生だけじゃあ、なんかほんとに糸が見えてるのかどうか疑わしいからね」

「道永さん、そりゃひどいっすよ。俺は正真正銘のヴァイオレットです」

 竜生が必死にいうと、一同は笑顔に包まれた。

「ま、こんな奴だから、というか私たちより君のほうがこいつの性格知ってるか。ビスの君にも同じく紫ノ糸が視えるっていうなら、竜生のこと信じてあげてもいいかなって」

「最初から信じてくださいよお、先輩」

「だーめ。咲馬くんみたいに真面目そうな子ならまだいいけど、あなたはヘリウム風船ぐらいふわふわしてて頼りない」

「いいよな、咲馬は」

「僕にいわれても困るんだけど……」何とか苦笑でその場をごまかす。「今日の相談者はどんな感じの人なんですか」

 ロングヘアの道永は小さく頷き、続けた。「私たちと同じ三年生の女子だよ。なんていうか、あんまり恋愛ってイメージのない人なんだけど、まあどんな人も人生一度は恋に落ちるってこと。咲馬くんもそういう経験あるでしょ」

 どうだろう、と咲馬は思った。ビスとして周囲から遠慮され、いじめられていたわけではないが煙たがられてはいた。だから人を好きになっても苦しむだけ。そう割り切って今まで生きてきた。十秋に対する感情も……。

「なあ竜生、一つだけ教えてほしいことがある」

「何だ?」

「最近僕から十秋に向かって、紫ノ糸は出てるのかな」

 すると竜生は珍しく気まずそうで、乗り気でない表情を見せた。

「いつかは訊かれると思ってたけど、咲馬には嘘はつかねえ。ほんとのことを話す。十秋ちゃんが襲われて以来、咲馬から十秋ちゃんに紫ノ糸は出なくなった。それが俺も気になって、風間先輩に尋ねてみた。そしたら、お前から十秋ちゃんには橙ノ糸が常に出ているとな」

 愕然とした。そう、ソルジャーが身の回りにいるかぎり、どれだけ自分が平静を取り繕っても無駄であることを再認識した。

「十秋にも、そのこと……」

「悪い。そもそも十秋ちゃんが俺に訊いてきたんだ。咲馬は自分に何色の糸を向けているのかって。正直、応えづらかったよ。恨むなら俺を恨んでくれ。十秋ちゃんは何も悪くねえ」

「恨まないよ。ちゃんと教えてくれて嬉しかったから」

 道永が一つ咳払いし、場を仕切り直した。重く沈みかけた空気を一気に浮上させるような明るい声で彼女は告げた。

「もうすぐ依頼人がここへ来る。片思いの男子は同じ三年で、部活も一緒らしいんだ。作戦はシンプルにこう。まず依頼人をそこに座らせて、教室のドアを閉めて、準備ができたら教室前の廊下を片思いの男子に通過させる。そのときに二本の紫ノ糸が視えたら晴れて両想いってわけ。というわけでよろしくね、二人とも」

 片思いの男子生徒は、適当な理由をつけて化学実験室前に呼び出しているらしい。

 すると、コンコンとノックの音がした。

「はあい、どうぞ」と道永が応える。

 失礼する、と廊下で聞こえ、まもなく入ってきた女子の姿を見て、咲馬と竜生は思わず我が目を疑った。

「うっそ……」竜生の目が見開かれ、口をあんぐりと開いている。

 このときばかりは咲馬も彼と似たような顔をしていたかもしれない。

 目の前にいる彼女は、どこからどう見ても羽野陽華だった。

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