影のソルジャー2/2
次の瞬間、気が付くと相手の刃が咲馬のすぐ目の前に迫り、間一髪でそれをかわした。危うく体勢が崩れかけるが、足の親指に力を込め踏ん張る。身体の隅々から冷や汗が噴き出す。梶尾の恐るべき身体能力の高さが、咲馬の内蔵を縮み上がらせた。
「反射神経はそこそこ、か」梶尾は低い声でいった。
「僕を殺すつもりなのか」
「殺す? そんなことしたら捕まるだろ。俺が斬りたいのは人間の糸。今のは警告だ。お前らソルジャー部が大人しくしないかぎり、こっちも存分に暴れさせてもらう」
「こっちって……まさか君は……」
「ああ、お察しのとおりブラックだ」
そんなわけがない。ソルジャーではないあいつに人間の糸が斬れるはずがない。しかし目の前にいる三人家族の紫ノ糸は間違いなく斬られている。
「……どうしてブラックなんかに入った」梶尾がブラックか否かについてはひとまず置いておく。
「斬るのに理由なんてない」
「それは君の理屈だ……」
「法は俺たちを裁けない。殺人罪も適用されない」
梶尾はゆっくりと歩き出し、再び咲馬に接近してくる。動揺はなく、殺意に似た空気を纏っている。咲馬は刀を構えた。
「ブラックのやってることはおかしい。間違ってる。何のために、君はそんなところに身を置く? 僕は何度だって問う」
「お前のほうこそ、裏切者がいるソルジャー部に、よく身を置いていられるな」
その言葉を聞き、咲馬は頭が真っ白になる。前々から不安に思っていたことだが、今は梶尾の言葉に耳を傾けるべきではない。
「でたらめをいうな!」
「動揺するあたり、やっぱりソルジャー部の奴らのことを信用してないんだな」梶尾が煽り文句をいってきた。
「僕はみんなのことを信じてる。君の言葉には騙されない」
「あっそ」梶尾の刀を握る手に力が加わる。
来る──。
咲馬が動き出すより一瞬だけ早く梶尾の攻撃が届いてきた。重心が乱れ、転倒しかけるが、横に跳んで回避し、地面に膝をついた状態で再び構え直す。
攻撃の嵐は止まない。互いの真剣を受け止め合い、刃どうしが拮抗したところで咲馬は何とか声を絞り出す。
「……どうして、僕を狙う? 命が欲しいわけじゃないんだろ。だったら、何のために今ここで君と戦わなければいけない。僕は理由がなければ戦わない」
「もうすぐソルジャー部の奴らがここに来るんだろうな。そしたらお前は真っ先にこう思うはず。こっちに来るな危ない、と紫ノ糸を部員の誰かに向ける。舞山あたりか。俺が斬りたいのは、そのときの糸なんだよ!」
刃が強い力で押されて突き放され、また少し距離が開く。
「わからないな。僕に恨みでもあるのか」
「それをお前に話す義務はない」
「そういうと思った」
今度は咲馬のほうから不意をついた攻撃を仕掛ける。しかし、梶尾の俊敏な刀がそれを軽々と受け止めた。
「僕の糸が斬られる前に、他の皆が君の糸を斬ってくれる。君から僕に出ている、謎めいた赤ノ糸を」
「羽野や風間とかいう奴以外は大したことないんだろ。だったら一対二。お前の糸を斬って逃げる時間は充分に残されている」
こいつは、本当に何者なのだろう。梶尾達樹という奴は……。
そんなことを考えていると、また次の刃が襲ってくる。考えるのは後だ。
防御に徹するのが精一杯で、救援がすぐ近くまで来ているのか確認する暇さえ与えられない。じわりじわりと咲馬は後退させられる。そのとき背中に何かがぶつかった。感触でわかる。ガラス扉だ。もうこれ以上引き下がれない。
咲馬は歯を食いしばり、剣を構え直した。
梶尾の顔からすっと表情が消える。真っ直ぐ咲馬に向かって刃先を向けてきた。「思ったより弱小のソルジャーでがっかりだ。ビスの看板がなければお前はただのクズ人間。誰からも相手にされない惨めな奴」
「思い詰めることがあるなら、君の話を聞かせてくれ」
「姑息な手には乗らねえよ。時間稼ごうたって、そうはいかない」
「違う! 僕は本当に君のことが知りたいだけだ。信じてくれ!」
「信じてくれって頼むやつほど信用できねえ」
「くっ……、ならこの話はどうだ。君が十秋と話しているとき、一瞬だけ君から十秋に伸びる紫ノ糸が見えた」
「それが?」梶尾は自らの刀を下げようとはしない。
「十秋がこういったときだ、『社会はソルジャーにばかり頼るべきじゃない』。そのおかげで少しは君のことがわかった。君を支配している感情は、おそらく嫉妬。苦労して波ヶ丘に入った生徒に比べて、僕や竜生は推薦で簡単に入学できた。それが君は許せない。だから僕のことを恨んでいる」
梶尾の剣先がわずかに震えた。顎を引き、突き刺すように冷たい視線を咲馬に送りつけてくる。
「俺は、お前が憎い。この場で殺してやりたいほどに!」
梶尾は咲馬の右腕に傷を負わせようとしてきたが、それを間一髪のところで回避し、彼の身体に正面から肩でタックルを決めた。前に羽野先輩を救ったときのことがフラッシュバックし、咄嗟の行動だった。
思わぬ反撃に梶尾は一瞬体勢を崩しかけたが、すぐに平衡感覚を取り戻し、一気に咲馬に襲い掛かってくる。
そのとき──。
「咲馬くん!」
十秋の声だ。暗闇のどこからか、確かに彼女の声が聞こえた。
「来るなっ! 危ない!」
咲馬が叫んだ瞬間、梶尾は駆け出し、十秋の声のほうに向かって走り出した。咲馬もすぐに彼の後を追う。このままだと十秋が危ない……。だが緊張で強張っている脚は思うように動いてはくれない。
梶尾の足は速かった。咲馬より速いとなると、かなり運動神経がいいはずだ。そしてまもなく彼の姿は見えなくなった。
──きゃぁぁぁぁ!
十秋の悲鳴だ。
「十秋っ!」
声のしたほうへ近づいていく。街灯のちょうど真下、跪く十秋とその正面に静かに佇む梶尾の背中があった。
「何をした!」
梶尾はゆっくりと振り返り、歪んだ笑みを浮かべた。
「糸を斬ってやったんだ。こいつがお前に向けていた、橙ノ糸をな」
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