二人の剣豪
数日前に悦治から伝えられた梶尾の繁華街での徘徊を、この場で問い質すこともできるが、ソルジャー部の全体会議で今はまだ黙っておこうという結論に至っている。
咲馬と梶尾の間に発生している張り詰めた空気を察してか、クラスメイトたちの声が幾分静かになり、自ずと視線がこちらに誘導される。
「煙たがられることには慣れてる。だからもし僕にいいたいことがあれば遠慮なくいってほしい」
梶尾が何か言葉を発するまで退くつもりはない。その強固な意志が伝わったのか、梶尾は小さく舌打ちをした。
「昨夜の任務はどうだった? 初めて人間の糸を斬った感触は?」
咲馬は総毛立った。なぜ梶尾がそのことを知っているのか。羽野先輩と遂行した任務は学校側とソルジャー部員しか知らないはずなのに。
「おい……、どうしてそのこと……」
「ソルジャーは無闇に糸を斬るべきじゃない、か」梶尾は本を置き、咲馬のほうを向いて嘲笑した。「笑わせるな。取り返しのつかない糸を斬っておいて、よくもまあそんな言葉を吐けるな」
「何がいいたい?」
「ほんとにわからないのか。ビスのくせに、ただ糸が視えるだけで、何もわかっちゃいない」
「ちょっと梶尾くん!」十秋が梶尾の机を両掌でばんと叩いた。「適当なこといわないであげてくれる! あたしは知ってるの。咲馬くんはね、他のどんなソルジャーより糸を視ようとしてるの。ただ視えるだけじゃない! ちゃんと相手のことまで考えてるの!」
「いいや」梶尾はその不気味な笑みを崩さずに立ち上がり、咲馬と顔を合わせた。「金銭欲の糸を斬ったんだろ。斬られた奴は、もう二度と金を得たいとは思わないってことだろうが」
「それがどうしたっていう──」そこまでいって、咲馬はようやく梶尾のいわんとすることを察した。信じたくない。自分は間違ったことなどしていない。
「そいつは逮捕されて刑務所に入って、いつか出てくる。でも社会復帰はできず、ホームレスになるだろうな。もしそいつに家族がいたら?」
梶尾が、咲馬の真横に立つ。
「お前は、その密売人の人生を奪ったんだ。その手でな。馬鹿な奴だ」梶尾は気が済んだのか、教室を去っていった。
「咲馬くん、あんなの気にしなくていいからね……、元々犯罪を犯すほうが悪いし、咲馬くんを襲ってきたんだし、あたしは正しかったって信じてるから」
「ありがとう……」咲馬は力なくいった。心のどこかであいつのいうことは正しいのだと認めている。だから何もいい返せなかった。
自分では波ヶ丘の生徒を麻薬から守ったつもりでいた。彼らは二年生で、今日も普通に登校していると波瀬から聞かされた。学校の面子を守るためにソルジャー部が利用されたとも捉えられるが、関わった人たちが生まれ変われるならそれでいいと思っていた。しかし梶尾はわずかな隙を見逃さなかった。
そもそも、あいつは何者なんだ? なぜ咲馬の行動を知っているのか。極秘任務だったはずなのに、なぜ……。考えたくないが、思いつくことはある。それは、ソルジャー部に密告者がいることだ。部員の誰かが梶尾に情報を与えたのだとしたら──。
あれこれ考えているうちに放課後になった。雲の切れ目から晴れ間が覗いており、気分さえよければ絶好の剣日和だったろう。いつもなら道場で素振りする先輩たちの姿が励みになるのだが、やはり今日はどこか上の空だった。練習中の刀がいつもの倍以上に重く感じる。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
話しかけてきたのは癒しの佐奈島だった。今日も相変わらず色気のある声を放ち、頭を撫でてくれた。「辛いことがあったのかな。私でよければ聞いてあげる」にこりと天使のような微笑みを浮かべる佐奈島先輩。
「いえ、何でも……」ここでいうわけにはいかなかった。この中に、何を企んでいるのかわからない梶尾達樹と繋がっている人がいるかもしれない、密告者がいるのかもしれないとは、口が裂けてもいえなかった。
「先輩!」とスポーツウェア姿の竜生が佐奈島に向かってなぜか敬礼の格好をする。「素振り三百回、達成いたしました!」
「えらいえらいー。よしよし」
佐奈島に褒めちぎられている竜生は、頭を撫でられ、とろけそうなチョコレートのような情けない顔をしている。
楓、と芯のある声で佐奈島に詰め寄ってきたのは鬼の羽野だった。今まで職員室に行っていたようだ。
「一年をあまり甘やかすな」
「よくできた子は、よーく褒めてあげないと。そしたらまた頑張ろうって気になるじゃない。陽華はちょっと厳しすぎるんじゃないかなあ」
さすが同学年とあり、羽野と佐奈島は対等な立場のようだ。
「普通の部活ならそれでいい。だがソルジャー部はある意味、波ヶ丘の部活からは独立している。これは遊びじゃない」
「わかってるけど、私は少しでもこの子たちにソルジャー部にいてよかった、厳しかったけどいい思い出になったって卒業してほしいの」
「異論はないが、私と副部長である楓には、部員を守る責任があることを忘れるな」そういって羽野は、フェンスのすぐ近くで素振りをしている、同じ三年の風間のところへ向かっていった。「貴堂もついて来い。あと、舞山さんは私と風間に冷えた緑茶を用意してくれないかな」
「あ、わかりました!」今日は普通の体操着姿の十秋は、そそくさと部室にお茶を作りにいった。あらゆる雑用はマネージャーの仕事である。
咲馬は先に羽野と風間の元に向かうことにした。
風間先輩はいつもの着物姿で、その圧倒的な強さは見る物を魅了する。一振りに余計な力を込めず、自らの刀を信用しているのだろう。もしかすると、前世は戦国武将だったのかもしれない。
「淳太、相手になってくれないか」
羽野の要請に、風間はゆっくりと頷く。
「素振りには飽きてきたので、差し支えない」
無表情な人だが、内に秘めた剣への想いはしっかりと咲馬にも伝わってきた。確か仮入部のときに羽野がいっていた気がするが、風間先輩もかなりの剣豪らしい。
ふと後ろを振り返ると、十秋と稲葉が二人でやってきた。ウォーターサーバーの把手を握っているのは十秋でなく二年の稲葉だった。ヘタレのくせに女子を手伝っているとは。
「今、ヘタレのくせに女子を手伝ってるなんて、好感度稼ぎだろって思ったでしょ」幸の薄そうな顔でいわれるから余計、ヘタレに見えてしまう。
「そんなひどいこと思いませんよ」悪いが、嘘である。
「だよね、貴堂はそんな柄じゃなさそうだし」
「あっ、今から始まるんだ」十秋が紙コップをもったまま、羽野と風間を交互に見やる。
向かい合う二人は互いに一礼し、真剣を木刀に変え、ただならぬ威圧感を生じさせる。ソルジャー部最強の二人の練習試合。見応えのあることは、始まる前からわかっている。
そのとき、風がぴたりと止んだ。
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