対立
「当時の事件のことは知ってるけど、その子は今も生きてるのかな」
「全くわからないそうだ。なんでも、誘拐犯のグループは少年を連れ去るのに失敗し、その隙に少年は逃走して行方をくらましたと聞いている。その子も咲馬と同じ、《ビス・ソルジャー》だったそうだ。おそらく日本で最初に発見された」
日本初のビス……咲馬と同じ能力をもつ者。かつての少年は、自分自身の能力を受け入れていたのだろうか。咲馬と同じで充分に認めきれず施設から逃げ、姿を消したのではないだろうか。となると……。
「誘拐犯のグループは、もしかしてその少年を助けたかったんじゃないかな」
「真相は誰にもわからん。表向きは悪質なテロだといわれているが、裏では国による情報操作があった可能性もある。咲馬と同じように考えていた奴も、かつてお父さんの身の回りにはたくさんいた。この呼び名を聞いたことがあるか──『Vis : Code』」
「いや、聞いたことないけど。羽野先輩や十秋は?」
二人とも首を横に振り、口を開いたのは羽野先輩だった。
「直訳すると、ビスに関する倫理規定といったところですか」羽野が訊いた。
「ああ。ソルジャー研究が下火になった影響で、今はもう壊滅してしまったが、当時はソルジャー研究に猛反対する組織として名が知られていた」
「じゃあ、その組織が少年を救い出そうとした可能性も……」
「なきにしもあらず。だが真相は誰にもわからない。当時は国家をあげてのプロジェクトだったから、国が隠蔽するよう指示を出したのかもしれん」
羽野は黙り込み、深刻な顔つきになった。
「ひどすぎますよ、そんなの……」十秋が薄く目を閉じ、ゆらゆらとかぶりを振った。
「政府の考えることは全くわからん」悦治は諦めるような口調でいった。「悲惨な過去はもう変えられないが、これからの一般人とソルジャーの関係性をよくすることはできるはずだ。さもなければ、今まで虐げられてきたソルジャーたちの報復が活発化する。その兆候が、この街ですでに起きているというわけだ」
その日、咲馬は後ろの席で事の成り行きを見守っていた。十秋が、自分からは誰とも話そうとしない梶尾達樹に絡んでいる。二人の声は教科書を読んでいる振りをしている咲馬の元にも届いてきた。
「へえ、やっぱり剣術に興味があるんだ。あたし、面とか胴とか叫んでたら何でも剣道になると思ってるんだよねえ。中学の頃は剣道部だったの?」
「腰抜けのソルジャーならぶった切れるくらい、練習してきたな」
十秋と会話しているようで、明らかに咲馬のことを意識している。唐突に話しかけられても、彼から十秋に対して糸は出ていない。赤ノ糸も、紫ノ糸もその片鱗すら見せない。つまり梶尾は、十秋のことなど何とも思っていないことになる。あれほどの美少女に話しかけられて、一瞬でも紫ノ糸を見せないというのは、やはりそれ以上の強烈な感情が彼の心を巣くっていると考えていいだろう。その糸が咲馬に向けられているのであれば厄介であるが。
どうせ収穫はないだろうと、十秋には悪いが、咲馬は最初から期待していなかった。
「梶尾くんはクラスのみんなと話したりするの、楽しくない?」
「話す必要がないから話さない。それだけだ」
「じゃあさ、これからもあたしが話しかけたら、梶尾くんも応えてくれる?」
普通の男子生徒なら、はい、の一択だが梶尾は違った。
「そばにいる奴が気に入らない。だから応えるとは限らない」短く告げると、梶尾は再び読書に耽り始めた。そばにいる奴とは、もちろん咲馬のことに違いない。
あまりの手応えのなさに十秋は眉をひそめたが、諦めずに会話を続けようとする。
「梶尾くんはさ、ソルジャーのことが嫌いなの?」
十秋の直球の質問が、梶尾のページをめくる手を制止させた。
「嫌いだ」
「どうして?」
「好き嫌いは誰にだってある」
「まあ、そうだけど……」
また読書に戻ろうとするが、次の十秋の一言が梶尾を彼女のほうに振り向かせた。
「あたしも、よくわからないんだ。ソルジャーの社会的な立場、差別、接し方。あたしにはそのすべてがわからないの。言葉ではうまくいい表せれないけど、梶尾くんもそんなこと思ってたり?」
「普通の人間とソルジャー、どっちが優れた存在だと思う?」珍しく梶尾のほうから訊いてきた。
十秋は面食らったのか、しばらく黙考したのち、梶尾の目を見据えて口を開いた。
「今の世の中に対して、あたしが思うことはただ一つ。社会はソルジャーにばっかり頼るべきじゃない」
「そうか……」
そのとき、咲馬は自分の目を疑った。梶尾から十秋に対して、薄く、わずかしか見えないが確かに紫ノ糸が出ているのだ。信じられない光景だった。
梶尾は十秋の顔を見据え、「ならこのクラスにいるソルジャーのことはどう思う」と訊いた。咲馬と竜生のことを仄めかしている。
「どうって?」
「ソルジャーの中でも特別な能力をもってる奴がいるだろ」ちらりと咲馬のほうを一瞬だけ向いてきたので、不意に目が合ってしまった。
「努力もせず、遺伝子に刻まれた才能だけで社会の優位に立とうとする。ソルジャーなんて所詮そんなもんだ」わざといっているのか、次第に声量が大きくなる。
「咲馬くんはそんな人じゃない。むしろ自分の能力を重荷に感じてるんだよ」
咲馬は我慢の限界だった。席を立ち、おもむろに梶尾のほうへと近づく。十秋にこれ以上喋らせるのは可哀そうだ。
「咲馬くん……」
「僕に何かいいたいことがあるようだな」
「別に」醒めた表情のまま梶尾は正面を向き、再び剣道の本に目を落とした。
咲馬が来たことで、十秋への紫ノ糸はすっかり消えていた。誰に対しても糸を発さない梶尾がなぜ十秋に紫ノ糸を向けたのか、その理由を咲馬は頭の片隅で考えていた。彼女の容姿に一瞬だけ惹かれた、なんて不自然なことはありえない。もっと彼自身を内部から腐食している、強い意志がほんの少し顔を見せた、咲馬にはそんな気がしてならなかった。
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