悦治の過去
「学校であいつを問い詰めてみようか」
咲馬の意見に、悦治は首を横に振った。
「やめておけ。まだ早すぎる」
「じゃあ、泳がせておくの?」
「ああ、今はな。敵と戦うときは、まず相手のことを調べ尽くすのが鉄則だ」
「クラスメイトとべらべら話すタイプじゃないし、調べても大した情報は掴めないと思うけど」
「あたしもそう思います!」十秋が挙手した。
「それなら」と悦治は両腕を組む。「糸を視ればいい」
「普通はそうするけど、あいつから糸が出ているのを一度も見たことがないんだ」
「揺さぶりをかけて糸を観察する。そして誰に対して何を思っているのかを突き止める」
ねえ、と十秋が咲馬の顔を不安そうに見つめてきた。「考えすぎかもしれないけど、梶尾くんは人と交流をもちたくないんじゃなくて、ソルジャーである咲馬くんや竜生くんに自分の糸を視られたくないから、あえて誰とも関わらないんじゃないかな」
「それは名推理だな」そういったのは悦治だ。「視られては困る、あるいはできればソルジャーに気付かれたくないってわけか」
「探ってみないとわかりませんけど、刀をもって夜の繁華街をこっそり出歩くような人ですから、人物像に矛盾はないと思います。あともう一つの可能性は、梶尾くんの糸が常に咲馬くんに向けられていることです」
すると、羽野が横から口を挟んできた。「もし梶尾という奴から貴堂に赤ノ糸が出ているのなら、レッドである私が確認すればいいのでは」
「その方法いいと思います」十秋が自信ありげに続ける。「あたしたちのクラスには咲馬くんを除いて、ヴァイオレットの竜生くんしかいません。つまり、梶尾くん視点で考えるとこうなります。もし自分が咲馬くんに赤ノ糸を向けていたとしても、それを明らかにする人が近くにいないから、悟られる心配はないだろう。だからこのままの状態をキープすればソルジャーに一切悟られなくて済む。梶尾くんは自前の日本刀をもっているぐらいだし、ソルジャーが自身に向けられた糸を判別できないってこと、知ってると思います」
「よしっ、じゃあこうしよう」咲馬は一同の顔を見渡した。「糸は異性に対してのほうが出やすいと思うから、十秋にあいつに話しかけてもらっていいかな」
「あたしはいいけど、どんなふうに?」
「そうだな、いつも一人で本読んでるけど、何の本を読んでるのか、みたいな感じ。あからさまに近づくんじゃなくて、さりげなく自然に近づいてほしいんだけど、十秋にそんなことできるかなあ」
「ば、馬鹿にしないでくれる! それじゃまるで、あたしが空気読んで行動できない人みたいじゃない」
「僕がせっかく梶尾のほうを顎で示したとき、うっかり口にしてしまったのはどこの誰だっけ?」
「うっ……それは、いい返せない」
「話をまとめる」羽野先輩が場を仕切り直した。「クラス内での監視は貴堂の案を採用すればいいだろう。そして下校後は、私に任せてもらえないだろうか。梶尾がどんな不審な行動をするか、面識のない私なら問題なく遂行できると考える」
「羽野先輩! それ、ナイスアイデアかもです!」
「先輩、よろしくお願いします」咲馬は頭を下げる。
「この梶尾については、嫌な予感がする。貴堂さんもいったように、なぜソルジャーでもない人間が刀を所持しているのか。国に申請していなければ銃刀法違反で逮捕されるところだ」
「大丈夫ですよ」十秋は笑顔でいった。「推理とソルジャーの両輪攻めができれば、この世に解決できないことなんか存在しません」
「その通りだ」悦治は深く頷いた。「ソルジャーは手段の一つであり、決して万能の存在ではない。人間のもつ論理的思考と組み合わせるという考えには賛同する」
「褒められちゃった」照れ臭そうに十秋は苦笑する。「そういえば、咲馬くんのお父さんはどうして警備員を?」
「昔からずっと警備員をしていたわけじゃないんだ」
「待ってよ」聞き捨てならない台詞に、咲馬は思わず悦治と目を合わせた。「どういうことだよ。昔からずっと警備員をやってたって、僕にはいったじゃないか」
「咲馬……」力なくそういったのは、真奈だった。ずっと聞き役に徹していたが、口を挟まずにはいられなかったのだろう。「お父さんは、たくさん辛い思いをしてきた。だからあんまり掘り下げちゃ──」
「いいんだ、真奈」悦治は小さく頷き、妻の顔を見つめる。その目からは決意のようなものが感じられた。「咲馬が波ヶ丘に入ったらいずれ伝えるつもりだった。お父さんの過去について」
「警備員をやる前は、違う職に就いていたんだね」咲馬は訊いた。
「ああ。Soldier Engineering Associationという組織に、もう二十年以上前の話になるが、そこで研究員をしていた。かの悪名高き、SEAという研究施設だ」
日本中を震撼させたSEAという単語が出てきたからか、場の空気は凍り付いた。無論、咲馬も例外ではなかった。日本で最初にソルジャー研究に着手したのがSEAである。
「あんな……残酷な組織にお父さんがいただなんて……」咲馬は手の震えが止まらなかった。
「それは、本当なのですか」羽野先輩が訊く。
「本当の話だ。かつてそこで、動物を用いた実験をしていたんだ。動物どうしの糸を視れる人はかなりの少数だが、自分にはそれが視えてね。人間の場合と同じで、動物どうしの赤ノ糸が視えたんだ。動物の抱く感情と糸の関係性について論文を書いたこともある。だが同僚の中には、チンパンジーどうしの紫ノ糸を斬るよう命じられた者もいた。彼はよくトイレの中で一人、泣いていたよ。こんな酷いことをどうして自分がしないといけないのかって。平和に暮らしていた動物たちの仲間意識、母性などを次々と人間の都合で斬っていく。そんなの、今でいうブラックの無差別人間狩りと何も変わらない」普段冷静さを欠くことがない悦治の声に、今は煮えたぎるような怒りが秘められている気がした。
「人の糸に対する研究が行われたのも、確かSEA内でだったよね」咲馬は昔、本で読んだ内容を思い出した。
「新薬と同じ手順だ。動物実験が終わったら、次に生身の人間で試す。SEA内で人に対する研究が行われた頃には、お父さんはもう退職していた。だから中でどんな実験が行われていたかわからないが、たぶんひどいことをしたんだろう──確か、施設を辞めて二年後のことだった。あの事件が起きたのは」悦治は大きく息を吐き出し、続けた。「施設の外から車が突っ込んできて、中で隔離されていた少年を誘拐していったんだ」
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