入学前夜③
男の目から涙が溢れだしてくるのを、咲馬は見ていられなかった。
「俺はどうすれば……マサトへの愛情は蘇るんでしょうか……」
悦治はしばらく沈黙したのち、
「被害に遭われたということで、まもなく警察がやってきます。詳しい話を訊かれるはずなので、ありのままをお話しください。失われた感情は──」
「もう二度と、取り戻せないということですか」
「だとしても、すべきことは変わりません。息子さんと過ごす時間を大切にしてください。あなたならきっと、失ったものを埋められる」悦治は険しい顔つきで咲馬のほうを向き、「ぐずぐずしている暇はないようだ。犯人を捕まえに行くぞ」
「ああ、必ずこの手で」
ここを動かないよう親子を説得し、咲馬は悦治と二手に分かれ、犯人を追跡した。悦治は中央通りを捜索し、咲馬は細い路地の偵察を行った。
異変はすぐに見つかった。とある路地に踏み込むと、集団での被害者たちを発見したのだ。
間違いない。BLACKはグループに対しても容赦なく堂々と刃を向け、犯行に及んでいる。
ラーメン屋台で口論中のカップルは、赤ノ糸が両者から伸び連結されている。恋愛感情、つまり紫ノ糸が斬られ、別れ話にまで発展したのだろう。
被害者を道しるべに辿っていくと、やがて薄暗い殺風景な路地を見つけた。暴力団に襲われ、始末される想像が働いた。
それでも躊躇する時間はなかった。早く進まねば取り逃がす羽目になる。意を決し、周囲に警戒しつつも、咲馬は最初の一歩を踏み出した。
足元には空き缶やペットボトルが散乱し、色んなものが混じり合った腐臭もする。
と、そのとき──。
背後から猛烈な殺気を感じた。咄嗟にソードを抜き、振り返って体の前で構えた途端、いきなり重い衝撃が伝わった。
「さっきからつけやがって」
「僕は、お前たちBLACKを狩る者だ!」
少しでも気を緩めれば、相手のダガーは咲馬の胸部に突き刺さる。相手は20代と思しき大人だ。全力でこられてはいつ隙を見せるかわからない。
「お前たちの指揮官は誰だ? 目的は?」
「『導きの主君』が大義を果たされたとき、すべては明らかになる」
「何だと?」
すると、相手の蹴りが咲馬の下腹部を直撃し、後方に弾き飛ばされた。凄まじい力だ。戦闘慣れしているのだろう。
「ぐっ……」柄を握る手に力が入らない。
相手がゆっくりと近づいてくる。
「我々ソルジャーには自由に力を使う権利があるとは思わないか。命令され、力を酷使し、魂を削られてきたツケを、払わせたいとは思わないか? いや、お前はただの犬だったか」
切れ長の目をしたその男は、咲馬の胸ぐらを掴んできた。ダガーが喉元に押し当てられる。「同じソルジャーでも、我々に敵対する奴は皆殺しにせよと、導きの主君より命を受けている。ただ1人、お前を除いて」
「やっぱり、世界への復讐が目的なんだな」
「……お前は特別だ。我々と共に進む気はないか」
「断る!」
男は大きくダガーを振り上げた。咲馬は思わず目を閉じた。「残念だ」
咲馬が死を覚悟した瞬間、「ぐおっ!」とうめき声が上がり、男はその場に卒倒した。
男の後方、スレッドソードを納める父の姿があった。この男から咲馬に発せられる赤ノ糸を斬ったのだ。
「父さん……」
「今回は奇襲を防げただけでマシか。まだまだ修練を積まねばならんようだ。まあそれはいい。奴らはいくつかのグループに分かれ、市民を襲撃したのち再び1か所に集まろうとしていた」
「だったら、早く追わないと──」
「逃げられた。この路地の先にある廃墟を、奴らは集合場所にしていた。今日のところは、こちらの気配を察して引き上げたんだろう。こいつは残念ながら合流できなかったようだが」
悦治が倒れている男を見下ろすと、彼は要領を得ない様子で話し始めた。
「あんたたちに用があったはずなんだが……思い出せない」
目が赤くなっている。糸を斬られたショックで感情、つまりそれを司る脳もショックを受け、一時的な記憶の欠如・混乱が生じる場合がある。この男は記憶の一部を失っているらしい。
「教えろ。誰に命令されてここへ来た?」咲馬は声を低くし、訊いた。
「覚えてない。本当に何も覚えていないんだ。紫ノ糸を斬ってこいって命令されて」
とても演技には見えなかった。何よりさっきまでの咲馬に対する敵意がまるで感じられない。
「咲馬、帰るぞ。あとは警察に任せよう」
「僕がもっと強ければ、父さんにも頼らずに済んだし、BLACKの拠点に繋がる情報だって……」
「お前に失望したからじゃない。引き上げる理由はもう1つ。明日は何の日だ?」悦治は静かに夜空を見上げた。そう、明日は入学式。「今日はもう帰って、明日に備えるほうが懸命だ。これ以上ここにいても意味はない。入学前夜にして、思いがけない実戦経験を積めたな」
「父さん、僕──強くなりたい」
「なら、虹ヶ丘のソルジャー部に入りなさい」
「ソルジャー部……、もちろん聞いたことはあるけど」
悦治は微かな笑みを浮かべ、歩き出した。あの背中に追いつける日は来るのだろうかと、咲馬は父の背中を改めて遠くに感じた。
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