入学前夜②

 居酒屋や古びた商店が立ち並ぶエリアを抜け、広い通りに出た。このまま南下すれば最寄り駅だが、悦治の足先は北を向いた。これまで行ってきた巡回とは違い、各店舗や路地裏に巡らせる視線は鋭く、警戒感に満ちていた。


「あのこと、気にしてるのか?」咲馬は訊いた。

「まあな。ここのところ妙に殺気立っていると思わないか。VIOLETの素質がない俺には視えんが、恐らく紫ノ糸の被害が大きいのだろう。やはり無差別な人間狩りが起きている」


 悦治はREDの能力をもたないため、紫ノ糸を視認することができない。どのくらい被害者がいるか認識できるのは、VIOLETの能力をもつ者、あるいは咲馬のような《Vis:Soldier》のみだ。


 紫ノ糸はエネルギー準位の低い、人間のもつ良心的な感情を示す場合が多い。その温かな想いを無残に切り裂こうとする輩がいる。さっきの酔っ払いと出会う前、すでに23件も遭遇していた。


 エネルギー準位の高い、不安定な赤ノ糸を斬ることは社会秩序のため正義とされているが、一部のソルジャーはその力を悪用し、紫ノ糸を斬って楽しんでいる。赤ノ糸でさえ斬るのに抵抗がある咲馬にとって、奴らのなす行為は理解できなかった。


 醒めたカップルや親子──今夜見つけた23名の被害者は紫ノ糸を切断され、目が紫がかっていた。


 だが、スレッドソードの所持者が自分たち以外に見当たらないため、犯人はダガーのような懐に隠せるサイズの武器で狩っているのかもしれない。ソルジャー強化プロジェクトは政府主導であり、様々な武器種が開発されてきた。近年はソルジャーを消耗品のように扱うやり方に、世論が厳しくなりソルジャー研究は衰退の一途を辿っているようだが。


 すると悦治が、定休日の看板が立つ中華料理屋から視線を外し、

「数が多いな。手慣れた奴の犯行だろう。BLACKの仕業かもしれん」


 BLACKとは、いわゆる《Black:Soldier》のことであり、紫ノ糸を標的にした愉快犯の組織を指す。彼らの存在は世界中で問題視されている。


「まずは手掛かりを探さないと。今のところ、犯人やそれっぽい集団も見当たらないし、何だか妙な感じがする」

「奴らは必ず紫ノ糸に群がる。強い愛情で結ばれた者同士──、たとえば親子やカップルには注意せねばならん。油断も多く狙いやすいからな」


 とはいえ、歓楽街を訪れるすべての市民を守るのは不可能だ。明らかに人手が足りない。


 咲馬が、映画館の脇を通り過ぎようとすると、ある親子連れの姿が目に入った。まだ幼稚園くらいの子が、父親の手を引っ張り、地下にあるゲームセンターに誘導しようとしていた。


 だが父親から息子に伸びている紫ノ糸は斬られており、対照的に子どもからは父親に橙ノ糸が伸びている。また被害者だ──。


 咲馬はすぐ悦治に知らせた。


「父親の糸が斬られたせいで、子どもがパニックになってるんだと思う。橙ノ糸だ」

「犯人の顔を見ているかもしれんな」


 親子の元へ行くと、目を赤く腫らした子どもの顔が、咲馬に向けられた。父親はまるで大切な誰かが死んだときのように、放心状態になっている。瞳は紫色だった。斬られてからそれほど時間は経っていない。


「おとうさんが……」子どもは声を震わせた。


 咲馬は少しでも安心させるため、頑張って笑顔を作ってみせる。


「何があったのか、お兄ちゃんに教えてくれる?」


 うん、と小さく顎を引き、子どもは父親の手を握ったまま話し始めた。


「ほうちょうもった人が来てね、それで、僕とお父さんの間をすっと斬ったの」


 間違いなくBLACKの仕業だ。


「包丁は大きかったのかな」咲馬は自分のソードがを見せ、「これぐらい?」

「ううん、もっと小さかった」

「父さん、これって……」

「ああ。斬った奴は、まだこの近くにいる」


 咲馬は子どものほうに向き直る。


「ナイフ──、ほうちょうをもった人は、1人だったかな。それとも他にいたかな?」

「1人」

「これで24件目……先が思いやられる」悦治は額に手をやり、頭痛に苦しむ格好をした。


「お父さんがね、ゲームセンターに一緒に行ってくれるのに、今日は行ってくれない。おうちにも帰らないって」


 すると悦治がスマホを取り出し、誰かと連絡を取り始めた。相手は警察だ。


「24件目の被害を確認しました。場所は、中央通りの映画館前。地下階段の前に、父親とその息子がいます。至急、保護を要請します」


 電話を切った悦治の顔は険しく、まるで警察官のようだが、職業は警備員である。仕事の関係で警察の人間には顔が利くらしい。


 悦治は園児の父親の肩を掴み、正面から顔を見据えた。「落ち着いて聞いてください。あなたは息子さんへの愛情を失いました。この状況を理解するのは難しいかもしれませんが、私のいうことを聞いてください」


「はい……」抜け殻のような返事だった。「何となくですけど、あなたのおっしゃっていることがわかる気がします」自分の息子を見下ろし、「マサトは私の息子です。けど、どうしたんだろう。息子なのに守りたいと思えないというか、なんだろう、混乱していて……すみません、言葉にできなくて」


「気に病む必要はないです。糸を斬られた人は皆そう言いますから」

「糸? もしかして、あなた方は……」そういって彼は悦治のスレッドソードを眺めた。


「人間狩り、という言葉に聞き覚えは?」

「もちろんあります。人の善意の糸を無差別に斬るとかいう」

「そうです。あなたは、その被害者です」

「そんな……俺が」

「息子さんを守ろうとする想いの糸を、斬られてしまったのです」

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