第13話 ストーカーは生まれ変わりたい 2

「あたしね、束縛されるのきらいなの。誰かとお付き合いとかしたらさ、他の人と遊んだら文句言われるでしょ」

 遊んだりしたら、には、これまでの数々の行為が入っている。

 それくらいは拓ちゃんにも分かる。

「どこに行くの、誰と行くの、って、聞かれてもさ、関係ないじゃんって思っちゃうの。それってやっぱり、相手にも失礼じゃない? そしたら、お付き合いする必要なんてなくない?」

「それは……」

 なんか違う気がする。

 拓ちゃんが言いかけて、でもどう言えばいいのか逡巡している間に、ジュリアはまた静かに話し始める。

「お付き合いをしたら、今となにが変わるの? お付き合いなんてしてなくても、こうして一緒にいられるし、ごはんだって食べに行けるし、一緒に遊びに行けるよ。同じゲームとかして楽しむこともできるし。なにも変わらないの。変わるのは、別の人と同じことすると、怒られるようになっちゃう。そうじゃない? つまりね、デメリットはあるけど、メリットはないと思うの」

 拓ちゃんは完全に言葉に詰まった。

 淡々と語られると、ジュリアの言ってることが正しいのか間違っているのか分からなくなる。

「え、……っと、」

 拓ちゃんはそれでも、分からないなりに考えた。

 確かに付き合って自分のものだと言ってしまえば、例えばジュリアがいつもの彼らとセックスでもしようものならそれは今度から、つまりで言うところの浮気だ。

 というよりそもそも、ジュリアは自分は自分のものでしかないと言ったから、つまりはそういうところが嫌なんだろうか。

 というよりメリットって……。

 ジュリアが拓ちゃんと付き合って得られるメリット。

 それさえあれば、ジュリアはもう少し拓ちゃんのことを見てくれるのだろうか。

 だが困ったことに、そんなものは拓ちゃんの頭にはなにひとつとして浮かばなかった。

 遠回しに振られた。

 拓ちゃんに明確に分かるのはそれだけだ。

「でも、あの、」

 拓ちゃんはちょっとだけ焦った。

 このままではなにも変わらないぞ。

 拓ちゃんに与えられた道筋は、今まで通りこのままでいるか、いっそすっぱり諦めるか、それとも。

 拓ちゃんは精一杯考えてから、一度くちびるをきゅっと結んだ。

 それから、もう一度意思を持ってジュリアの目をまっすぐに見る。

「それでもぼくは、きみを諦められない」

「諦めなくっていいよぅ」

「えっ」

「諦めなくっていいよ。今のままでいようよ。今のままじゃ駄目なの?」

「あ、いや、そういうことじゃなくて……」

 拓ちゃんはしどろもどろになりながら、とうとうジュリアの胸から顔を離した。

 ジュリアのペースに飲まれると、拓ちゃんは自分の言いたいことさえもよく分からなくなってくる。

 諦めるってつまり、そういうことではなくって。

「多分だけど、きみがそう思うのはきっと、きみが相手のことを好きだと思っていないからなんじゃないかと、ぼくは思うんだけど、」

「あたし拓ちゃんのこと好きだよ?」

「えっ!」

「だからぁ、好きだって、拓ちゃんのこと! じゃなきゃこうして会ってないでしょ!」

 そうだったのか!!

 ジュリアはぼくを好きだったのか!!

 拓ちゃんは頭に鈍器でも食らったかのような衝撃を受けた。

 ジュリアが自分のことを好きだったなんて。

 それはカケラたりとも想像していなかった。

 なんだ、それならもう既に相思相愛だったんじゃないか。そうしたらもうこんなにやきもきすることもなく今まで通り……

 そこまで、うっかりいつものように妄想の世界へと旅立とうとしていた拓ちゃんは、はたと気づいて慌てて頭を振った。

 結局なにも解決していないことに気づいたのだ。

 変わらなければ拓ちゃんはこれまで通り、「ジュリアの部屋のコンドームの使用主のひとり」でしかない。

 拓ちゃんはもう、ジュリアをしょうちゃんにもゆたかくんにもだいちくんにもゆうたんにも渡したくないのだ。

 だってあいつら、4人中2人は彼女持ちじゃないか!

 ジュリアを2人目などと認識するとは許せない。

 拓ちゃんにとってはオンリーワンだ。

「分かった、ジュリア。それなら……」

 拓ちゃんは、ここに来て初めて、今まで見せたことのないくらいの真面目な顔をした。

「ジュリアにとってのメリットが見つかれば、ジュリアはぼくだけを見てくれるかい」

 その拓ちゃんの真剣な眼差しを見たジュリアは、一度両目をぱちくりとさせてから、

「いいよ、見つかったらね」

と言って、いつもの笑顔をにこりと浮かべた。


 さてこうなったら拓ちゃんはじっとしている訳にいかない。

 取り敢えず拓ちゃんは、翌日に1000円カットに向かった。

 ジュリアの隣を歩いても恥ずかしくない姿になりたかったのだ。

 散髪のあとは、奮発して服も買いに行く予定だ。

 徒歩圏内にあるスーパーの、外の一角にあるそこは拓ちゃんの行きつけだ。

 なんてったって所要時間が15分で済むし、鏡の前で無駄話をすることもない。

 黙って座っていれば、いつものおじさんがいつも通りの髪型に切ってくれるのだ。

 拓ちゃんが店内に入ると、いつも通りの有線から流れる音楽が耳に入ってくる。

 ちょうどひとり、おばさんが会計を終えて店を出るところだった。

「いらっしゃいませー、奥の5番のお席にどうぞー」

と声をかけてきたのは、見たことのない40代くらいのお洒落そうな男だった。

 陽キャだ。こいつは間違いなく陽キャだ。

 明らかに苦手な部類だ。

 どう見ても1000円カットに居ていい人種じゃない。

 見たことのない男に拓ちゃんは咄嗟に身構える。

 新しく入ってきた人だろうか。

 拓ちゃんがそわそわしながら渋々鏡の前に座ると、その男が準備をしながら

「どんな感じにします〜?」

と軽く尋ねてくる。

 いつもの感じで、と言いたいところだが、こいつは拓ちゃんの「いつも」を知らないわけだから、拓ちゃんは面倒に思いながらも

「あの、このままの感じで、短くしてもらえれば……」

ともごもご喋った。

 はーい、と返事良くカットを始められ、15分後の拓ちゃんは、別人になっていた。

 鏡の中の自分に唖然とする。

 そのままだけど、確かにそのままだけれども……、短すぎたのだ。

 拓ちゃん史上最も短いかもしれない。

 ご丁寧にワックスまで簡単につけてくれて、すっかりお洒落になってしまった。

 あとで再現してみようにも、いかんせん男の手の動きが早すぎて、どうなってこんなことになっているのか分からない。

「お似合いですよー、ありがとうございましたー!」

と店内を追い出され、拓ちゃんは呆然とスーパーをあとにした。

 服を買うのは断念した。

 恥ずかしくてスーパーに入れなかったのだ。

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