第12話 ストーカーは生まれ変わりたい 1

 何故だ何故だと思いながら拓ちゃんは尚も固まったままでいた。

 せめて自分のスマートフォンを触りたい。

 でも動くわけにいかない。

 いや動けばいいのかもしれないが、撮られていると思うと異様に動きにくい。

 物凄く動きにくい。

 全ての行動に正当な理由が必要な気がしてきてしまう。そして拓ちゃんにはそんな正当な理由なんて持ち合わせがない。

 拓ちゃんのスマートフォンは、脱ぎ散らかして床に無造作に投げられたズボンのポケットの中だ。

 第一、スマートフォンを触ってどうしようというのだ、拓ちゃんはジュリアの連絡先を知らないどころか、連絡先は自分の目の前だ。

 触れることも出来ない状態で。

 ジュリアのスマートフォンの画面上部に表示されている時計を確認すれば、ジュリアが出て行ってから30分は経っている。

 拓ちゃんはその30分を律儀にずっと正座をして過ごした。

 何故帰ってこないんだ。

 まさか事故にでも遭ったわけではあるまいな。

 段々と心配になってきて、いよいよどうすればいいのか分からなくなってくる。

 これは困った。

 途方にくれそうになったその時、がちゃ、っと向こうで玄関の開く音がした。

 拓ちゃんが慌てて玄関のほうへ目線を向けると、ジュリアが

「ただいまー」

とにこやかに帰ってきたところだった。

 遅いじゃないか、何をしていたんだ、どこのコンビニまで行っていたんだ、それより早くこの録画を止めてくれ。

 言いたいことが山のようにあったが、拓ちゃんはジュリアの顔を見るとなんだか尻込みをしてしまって、結局「おかえりなさい」とぼそぼそ小声で言うのが精一杯だった。

「ごめんね、ちょっと友だちに会っちゃって、ついつい話し込んじゃってぇ」

 友だち? 誰だろうか。 男か女か。

 友だちというからには弟ではないんだろう。

 何を話した?

 まさかぼくのことではあるまいな。

 家に変態が押しかけているから通報する準備がしたいとかもしくは

「友だちっていうか、お店のお客さんなんだけどね、ばったり会ったから、今度いつ来るの〜? って話してたらついつい盛り上がっちゃって、ごめんね〜」

「あ、そうですか……」

 ジュリアはそう言いながらコンビニの小さなレジ袋をテーブルに無造作に放り、そのままその手でスマートフォンを取った。

 拓ちゃんはレジ袋の中身をこっそり覗き見る。

 じゃがりこがひとつだけ入っている。たらこバター味だ。

 そうしている間にジュリアは、録画したものを一切確認することなく、スマートフォンの画面をオフにした。

 それを見た拓ちゃんは心の底から驚いた。

 拓ちゃんにとっては、それは信じられない行為だったのだ。

 拓ちゃんなら録画を止めた時点で確認するのだ、きちんと撮れているか、どれくらい撮っていたか、その中にどんなジュリアが収まっているのか。

 しかしながらジュリアは、拓ちゃんのようにストーカーではなかった。

 気になってやきもきしてきた拓ちゃんは、迷った末にジュリアに聞いてみる。

「あの、さっきまで録画してたものは……」

「え? あ、見たい? あとで消そうと思ってたんだけど」

「……。 あ、そうですか、いえあの、大丈夫です、消しといてもらえれば……」

「うん、大丈夫だよ、ちゃんと消しとくね」

 にこりと微笑まれ、拓ちゃんは一気に気が抜けた。

 ジュリアは拓ちゃんの行動に興味などないのだ。

 当たり前である。

 出かける前に言っていたではないか、拓ちゃんが気にするから、これでおあいこの行為だと。

 拓ちゃんはさっきまで必死に挙動不審な自分を抑えようとしていたことが馬鹿らしくなった。

 あの緊張状態だった30分と少しの間の自分は、ジュリアに一切気にされることもなく消されるのだ。

 見られなくて良かったと思う反面、自分の存在などその程度だと言われているようだった。

「じゃあ、あの、……、帰ります」

「あ、うん、気をつけてね、って、隣だったね」

 引き止められることもなくにこやかに手を振られて、拓ちゃんは呆然とした気持ちでズボンを履き、隣室である自分の部屋へと帰った。

 そこから、何をしていたのかよく分からないままに時間が過ぎ、我に返っていろいろ実感が湧いてきたのが仕事終わりの早朝だった。

 朝の少し肌寒い空気の中を歩いて帰途につきながら自分の手のひらを眺めた。

 抱いたのだ、ジュリアを。

 そう思った途端、拓ちゃんは思わず足を止めて身震いをした。

 なんでだ。

 なにがどうなっている。

 わけがわからない。

 なにが起こった。

 見つめる手のひらに柔らかな肉の感触が蘇ってくる。

 柔らかかった。どこもかしこも。

 柔らかかったんだ。


 それから拓ちゃんは、カメラ越しに呼ばれるがまま、もしくは呼ばれずとも、ジュリアの部屋を訪れるようになった。

 自分から赴くときには気をつけなければいけない。

 違う誰かと鉢合わせないように。ジュリアが出かけようとしているのを邪魔しないように。

 週に一度、10日に一度。そのくらいの頻度で拓ちゃんはジュリアの部屋のインターホンを押した。

 しかしこうなってくると面白くないのは他の男たちの存在だ。

 本心では、もう彼らと会うのはやめてもらいたかった。

 自分がいるのだから、拓ちゃんが誰よりもジュリアのことを愛しているのは間違いないのだから、それだけでいいはずじゃないか。そう思っていたし、事実何度かオブラートに厳重に包んでそう伝えてはみたのだけれども、ジュリアはそんな拓ちゃんの言葉にはろくに耳を貸さなかった。

 オブラートの量が多すぎたかもしれない、などと思っていた。

 ある日、そうしてすっかり馴れてきたビビッドイエローのベッドの上で、拓ちゃんはジュリアの胸に顔を埋めて微睡んでいた。

 ジュリアもうつらうつらとしていて、ああ、このまま眠りにつけたら一生起きなくてもいいとさえ思う。

「ジュリア」

「なあに、拓ちゃん」

「独り占めしたい」

「ん〜?」

「……、いや、なんでもない」

 自分だけを見てほしい。

 そう伝えたいのだけれど、上手く伝えられる自信がない。

 言いかけて口籠った拓ちゃんに、ジュリアは何を思ったかしばらく考え込んでから、ぽつりと洩らし始めた。

「男の子ってね、不思議なの」

「不思議?」

「一度寝るとね、あたしのことを自分のものだと思うみたいなの。そんなはずないのにね。あたしはあたしだけのものなのに」

「え……?」

 その言葉は、男の子、と一括りにはされているものの、その実拓ちゃんひとりに対して投げかけられたもののように感じて、拓ちゃんは静かにどきっとした。

「拓ちゃんは、あたしとどうなりたいの?」

 突然投げかけられたそんな言葉に、拓ちゃんは戸惑った。

 ジュリアはいつものにこにこした笑顔を引っ込め、まっすぐに拓ちゃんの目を見てくる。

 拓ちゃんは人とまっすぐ目を合わせることに慣れていないので非常に戸惑ったけれども、それでも、これはチャンスかもしれない、自分の気持ちをちゃんと伝えるのは今しかないのかもしれないと思って、頑張ってジュリアをまっすぐに見返してみた。

 どうなりたいか? ジュリアとどうなりたいかだって?

 そんなものは決まっている。

「ぼくだけと、付き合ってほしい」

 そしてゆくゆくは結婚してほしい。

「それ、あたしにメリットある?」

「えっ?」

 拓ちゃんは返ってきた返事に驚いて固まってしまった。

 メリット……?

 ジュリアが拓ちゃんと付き合うことによって得られるメリット?

 そんなもの……、考えたこともない。

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