第6話 ストーカー、窮地に陥る 3
ジュリアとリョウは、声を揃えて聞き返した。
吉崎 拓哉は、先程パソコン画面を前にして慌てて頭をフル回転させたことを素直にふたりに話した。
すると、リョウは呆れたように顔を歪ませ、ジュリアは弾けたように大きく爆笑した。
「あははははははは!! リョウ!! あんたヤミ金と間違われてるよぉ!!」
爆笑するジュリアに、リョウはなぜか恥ずかしそうに頭を抱えた。
吉崎 拓哉が、状況が分からずにきょとんとしていると、一頻り笑い終わったジュリアがもう一度「もうやだぁ、お兄さんたらぁ」と吉崎 拓哉に声をかけた。
「そっか、なるほどねぇ。知らない人が来たから、あたしのことを心配してくれたんだね」
「あ。いやぁ、なんか、あの、すみません……」
ごにょごにょ。吉崎 拓哉は蚊の鳴くような声で答えた。なにやら盛大な勘違いをしていたらしいことに気づき、ついでになんだか急に、自分がジュリアの目に触れていることが恥ずかしくなってきたのだ。
せめてもう少しまともな姿をしていたかった。
「ううん、いいの。おもしろかっ、あ、違う違う、あの〜、
優しいんだね、お兄さん」
「いや、あの、とんでもないですぅ……」
ジュリアを直視できなくなって俯く吉崎 拓哉に、ジュリアはまた優しく微笑みかけた。
「あのね、リョウはね、あたしの弟だよ」
おとうと。
ジュリアから発せられた言葉を、吉崎 拓哉も口の中で反芻する。
おとうと。弟。
「あ、……、え? あ、お、おとうと?」
もう一度顔を上げた吉崎 拓哉のこめかみを、ジュリアは人差し指でつん、と優しく小突いた。
「そう、弟。大学生でね、久しぶりに会ったから、今から回転寿司にごはんを食べに行こうとしてたところだったの」
ジュリアがなにか言っている。
だがそれも聞き取れないほどに、吉崎 拓哉はまた固まった。
ジュリアに、こめかみを、つん、された。
ジュリアにこめかみをつんされた。
ジュリアに人差し指でこめかみを触られた……!!
吉崎 拓哉の皮膚はこめかみを中心に急激に熱を持ち始めた。
それは本人の意志とは関係なく、全身をその熱が血液に乗って駆け巡り、最終的に下半身に集約した。
「聞いてる? お兄さん」
ジュリアが目の前で手を振っているのに気づいて、吉崎 拓哉ははっと我に返った。
と同時に己の下半身が主張していることにも気づいて、そっと、少し体を前のめりにした。
「あ、すみません、聞いてません」
「おまえふざけんなよおっさん! 警察呼ぶからなって言ってんだよ!」
「えっ!!」
リョウの言葉に吉崎 拓哉は驚いて狼狽えた。
下半身の熱が急激に冷め、反対にきゅっと縮こまったような気さえする。
吉崎 拓哉が自身の時を止めてしばし興奮している間に、ことはごく当然の方向に流れようとしていた。
今の今まで、吉崎 拓哉の耳にリョウの声はさっぱり聞こえていなかった。
「け……警察、ですか……」
吉崎 拓哉は、その単語に無意識に、体を小刻みに震わせた。
今から待ち受ける現実が、どんどん近づいてくる。
通報。逮捕。事情聴取。刑務所。果ては死刑……。
「あったりめぇだろ、住居侵入に盗撮とか、完全にストーカーじゃねぇか。これ以上ジュリアに近づくんじゃねぇ変態オヤジが」
リョウがそう吐き捨ててスマホを手に取る。
吉崎 拓哉は絶望の淵に立った。
崖があったら飛び降りたい。
だが、吉崎 拓哉の横には、ちょっと頭のおかしい天使がいた。
「ねぇねぇリョウ〜。ちょっと待ってよ。なんか可哀想じゃない?」
その言葉に吉崎 拓哉が振り返ると、ジュリアが丁寧に描かれた眉尻をほんの少し下げてリョウを見ていた。
「いや、全然可哀想じゃねぇ。犯罪者だし」
リョウが一刀両断してまたスマホに目を移すと、ジュリアはまた「ねぇねぇ待って待って」と言ってリョウを引き止めた。
「なんだよ!」
「だってこのお兄さん、あたしに迷惑かけてないよ?」
「……はあ?」
これには吉崎 拓哉もリョウ同様、「はあ?」と思った。
男ふたりでなにが言いたいんだかよく分からないジュリアに目を向ける。
「だってそうじゃない? ほら、あたし、今の今までなーんにも気づいてなかったし。そりゃあ、ずーっと後ろを着いてこられたら迷惑かもしれないけどさぁ、このお兄さん、あたし一度も会ったことないんだよ?」
吉崎 拓哉の胸はちくりと痛んだ。
一度は会っている。
覚えられていない。
それでも吉崎 拓哉がくう、と涙を堪えつつ黙っていると、ジュリアは尚も続けた。
「それに、知らない人が来たからあたしが誘拐されると思って心配して家から出てきてくれたんだよ? 優しいじゃん!」
「それ優しいっていうのか?」
リョウが至極真っ当な疑問を呈する。
「そこに至るまでに、部屋の中を盗撮されて、知らない間に見られるはずのないものを見られてんだってば。気持ち悪いだろ、どう考えても。いやじゃねぇのかよ」
「でもほらぁ、別になにもなくなってないし。ものが動いてすらないし」
なぜかよく分からないが、ジュリアは吉崎 拓哉を庇った。
ひとえに吉崎 拓哉の慎重さが功を奏した部分もあるのかもしれない。
「とにかく、いいの。あたしが迷惑じゃないって言ってるんだから! 見られるくらい別にどうでもいいよ。空き巣じゃないんだし。でも、リョウも心配してくれてありがとうね」
ジュリアにそう言われて、にこりと微笑まれ、リョウも仕方なしにスマホを手放した。釈然としない顔で。
被害に遭っている本人がいいというのだから、それ以上はどうにもならない。
ジュリアは、特段なにもなかったかのように大きく腕を上げて伸びをし、「あーあ、おなかすいたねぇ」と間延びした声を出した。
「じゃあリョウ、ちょっとだけ遅くなっちゃったけど、回転寿司行こっか。あ、お兄さんも一緒に行く?」
「いやだ!」
「遠慮します!」
ジュリアの突拍子もない提案には、男ふたりで拒否を即答した。
リョウもこんな得体の知れない男となんかいつまでも居たくないだろうし、吉崎 拓哉は吉崎 拓哉で、一刻も早くこの空間から逃げ出したかった。
「そーお? じゃあリョウ、ふたりで行こっか」
ジュリアはなぜか残念そうにそう言って立ち上がり、足もとに投げていた鞄を拾う。
吉崎 拓哉は、慌ててジュリアのほうに正座したままの膝を向け、床に手をついて、そして額もついた。
「あの、本当に、すみませんでした。もう二度とこんなことはしません。カメラも回収していきます」
だから、許してくれてありがとうございました。そう告げようとすると、その土下座を見たジュリアがまたしてもどうかしていることを言い出した。
「あ、別にいいよ、見るくらい。それより、お兄さんはお名前、なんていうの?」
リョウはもうなにも言わなかった。
なにを言ったところで無駄だと思ったのかもしれない。
吉崎 拓哉も、なぜだと思いながらも、首を傾げて微笑む天使になにも言えず、取り敢えずひとこと、
「あの……、吉崎 拓哉です」
と名乗った。
「そっか、よしざき、たくや……。じゃあ、拓ちゃんだね」
そう言ってジュリアがまたにこりと微笑む。
その瞬間から、吉崎 拓哉の名前は“拓ちゃん”になった。
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