第5話 ストーカー、窮地に陥る 2

「待て! 行くなジュリア!!」

 自分の姿なんて気にしてはいられない。

 勇気がなんだ、自信がなんだ。

 ジュリアが危ない。その一心で吉崎 拓哉は玄関を飛び出した。

 ガチャっと勢いよく玄関ドアを開けると、ちょうど隣の部屋からジュリアと男も出てきたところだった。


「ジュリア!!」


 吉崎 拓哉が叫ぶと、ジュリアは驚いた顔で吉崎 拓哉を振り返り、勢いに気圧されて一歩後ずさった。

「ジュリアだめだ、そいつから離れろ、ぼくのところにくるんだ!」

 吉崎 拓哉がそういって腕を広げると、ジュリアは困ったように吉崎 拓哉と男、リョウの顔を見比べた。そして、吉崎 拓哉に曖昧に笑ってみせ、それからこう言った。


「あの……、だれ?」


「あ……、」

 ジュリアは、2年も前に一度挨拶を交わしただけの隣人のことなど、覚えてはいなかった。

 ひとえに吉崎 拓哉の緻密なストーカー行動の賜物である。


「ジュリア、知り合い?」

「え? うーん……、知ってるような……、知らないような……?」

 リョウに尋ねられたジュリアは首を傾げている。当然だ。

 吉崎 拓哉は腕を広げたまま固まった。石のごとく。

 自分が絶対にやってはいけないミスを犯したことに気づいたのだ。

 ジュリアの前に己の姿を晒してしまった。髪が伸びてもさもさとしており、髭も剃っていない。部屋着はよれよれとしていて見るも無残。分厚い黒縁眼鏡だけが武装状態だ。

 しかもあろうことかジュリアの名前を呼んでしまった。誤魔化しようがないほど大声で。それはもうはっきりと。

 なぜ名前を知っているのか、などと聞かれたらもうお仕舞いだ。部屋に侵入を許しパソコン画面を見られようものなら即刻お縄。迷惑防止条例ストーカー規制法違反容疑で手錠をかけられてしまう。ジュリアを救うどころではない。明日の朝には自分の預かり知らぬところでテレビと新聞とネットニュースを賑わすネタになるのだ。仮に出所したってもう生きていけない。

 だからこそ吉崎 拓哉は石になった。

 今までいかに見つからずにやり遂げるかは考えてきても、いざバレたときにどうするか、などということは、一切考えてこなかった。

 吉崎 拓哉が固まった状態のままでいると、眼前のふたりも固まったまま動かない。

 だらだらと脂汗を流しながら吉崎 拓哉は必死に脳みそだけをフル回転し、それからジリ、と片足だけ、玄関ドアのほうへと動かした。

 そこから部屋へ逆戻りしようと勢いよく体を動かす。

 開けっ放しだった玄関ドアへ手をかけ、取り敢えずパソコンだけは死守しなければと部屋の中へ駆け込もうとする。

 ところが吉崎 拓哉は36歳。

 ジュリアの横にいる男はどう見ても20代前半だ。

 瞬発力と体力が違った。

 吉崎 拓哉が閉めようとした玄関ドアをリョウと呼ばれた男が寸でのところで手をかけこじ開けようと力を入れる。

 体力の差は歴然だが吉崎 拓哉は情けない声を出しながら必死で玄関ドアに両手をかけ閉めようと全力で引っ張った。

「ひいいいいいい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい帰りますううううううう!! はなしてえええええ!!」

「待て待て待て待て待て待て待て待て!! 誰だテメェ出てこいやゴラァァ!!」

「えっ、なに、なに、どういうこと? ちょっと待ってよぉ!」

 3人が3人とも慌てている。

 吉崎 拓哉はなんとかしてこの状態を逸したい。

 取り敢えず玄関だけ閉めてしまいたい。

 パソコンを破壊するまでちょっとだけ待ってほしい。

 だがその願いも虚しく、最終的に両者の力自慢大会はリョウの圧勝で終わった。

「オラァ……。力いっぱい逃げやがって……。なにもんだおまえ。怪しすぎんだろ。なあ、ちょっとおれらとおはなししようや、お兄さんよぉ」

 吉崎 拓哉は、玄関に尻もちをつきながらリョウを見上げて震え上がった。




 それから30分後。吉崎 拓哉は、よく見知ったジュリアの部屋で正座をしていた。

 脂汗が止まらない。

 吉崎 拓哉の面前には、窓際に置かれたビビッドイエローのベッド。に腕を組んで吉崎 拓哉を睨みつけながら座るリョウ。

 脇のテレビの前にちょこんと座っているのはジュリアだ。服は着ている。

 吉崎 拓哉はリョウの尋問を受け、洗いざらいこれまでの行為を懺悔しているところだった。

「で? つまり。ジュリアの郵便物とかゴミとか漁って、勝手に部屋の中に入って物色して、挙げ句の果てにはカメラが仕込んである?」

「はい……。あの、6台ほど……」

「6台!?」

 リョウが驚いてますます声を荒げる。

 ジュリアも驚いて部屋の中をきょろきょろと見回した。

 そうして自分の脇にあるテレビの配線の中に、仕込んであった隠しカメラのひとつを初めて発見した。

「あっ、ほんとだ、あったぁ。やばぁ!」

「おまえも気づけよジュリア!」

 リョウがジュリアにも声を荒げると、吉崎 拓哉はビクッと肩を震わせ、ジュリアは呑気にあはは、と笑った。

「やだぁ、だってこんなところ、全然見ないんだもん。すごいねぇ」

「すごかねぇよ! いやある意味すごいけど……、おまえこれ、笑いごとじゃねぇかんな!」

 さっきから幾度か繰り返されるこんな調子のやりとりを聞きながら、吉崎 拓哉は思う。

 このチンピラ、ジュリアよりも常識人だ。

 人は見かけによらない。

「ねぇねぇ、お兄さん」

 声をかけられて吉崎 拓哉は振り返った。

 ジュリアが、あのジュリアが、吉崎 拓哉に話しかけている。しかも微笑みながら。

 吉崎 拓哉は、目を皿のように開いてジュリアを見た。

 夢にまで見た姿が、現実にそこにあった。

 いや、これももしかしたら夢かもしれない。

 やはりジュリアは天使だ。

 そんな夢見心地の吉崎 拓哉に、ジュリアは優しく尋ねた。

「お兄さんさぁ、どうしてさっき、あたしのために飛び出してきてくれたの? なんか勘違いしてるみたいだったけど、ちょっとカッコ良かったよね」

 そうにこりと笑顔を向けられて、吉崎 拓哉は無言のまま舞い上がった。今にも天にまで昇れそうだ。

 カッコ良かったよね。カッコ良かったよね。カッコ良かったよね。カッコ良かったよね。

 ジュリアの言葉がエコーのように頭に響く。

 やはりぼくの天使。ぼくのジュリア。

 そこまで夢想して、吉崎 拓哉ははっ! と、ことの発端を思い出した。現実に戻ってくる。

「あっ、それは、ジュリア、……さん、が、拉致されてしまうと思いまして……」

「拉致ぃ?」

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