ハズレくじだと思われるなんてまっぴら御免です!~貴族令嬢はご主人様の正しい奴隷になりたい

海野ぴゅう

第1話 兄の葬送

 紀元前147年、秋のローマのほの暗い早朝。


 カエサル家はローマの由緒ある古い名門貴族パトリキでありながらも、葬送の参加者は100人にも満たず貧しげであった。亡くなった者の姿を真似たお面や役者を用意する余裕もなく、ただ親戚友人と楽士、泣き女だけを引き連れていた。


 行列は広大な敷地を持つ自宅を出発し、2階建ての集合住宅アパートメントを優に超える高さでそびえ立つローマを取り囲む城壁から外に出、火葬場に着いた。そこにはすでに大量のまきと、その上にお香・供物が用意してある。

 真ん中にアウルスの遺体が据えられ、彼の愛用の2本の剣を家族のユリアとガイウスがそっと両手で置く。プーギオー短剣と、70cmほどの両刃に鋭く尖った剣先を持つグラディウス長剣だ。大事に扱われた武具たちは愛する主を失くして悲しんでいるように見える。

 ユリアは兄アウルスが大切にしていた母の形見のエナメルのブローチを胸元から出し、彼の胸の上に置いた。アウルスは結婚してすぐに流行り病で妻を亡くしてから次をめとらなかったので独身ひとりみだ。

 妻を愛していた、というよりは戦場にいることが多く、彼女を十分に愛せないまま亡くした後悔で次に踏み出せなかったように妹ユリアには見えた。この戦争が終わって落ち着いたら結婚すればいいと周りが思っていた、その矢先の戦死だった。

 妹のユリアはこれで兄とは最後だという現実に押しつぶされていた。あまり普段は意識していなかったが、自分を守っていた大きな砦のひとつが無くなったのだ。


 秋に近いおかげで遺体はあまり傷まず、普通の清められた死者に見える。

 顔に傷はないが、衣服の下では激しい戦闘で骨が粉砕されて不自然に曲がっていたり、背中から槍で貫かれて傷んでしまった部分を取り去ってある。裸はむごくて見られたものではなく、実際ユリアはどうしても布をめくり直視することが出来なかった。

 しかし遺体が異国の戦場から戻ってこられたのはなのだ。死体を墓所に葬らないと魂が休息できず放浪して生者に害をもたらすとされた。


 120年にも及ぶカルタゴとの闘いで国家は疲弊し、大勢の若い兵士が戦地に赴き故郷に帰ることなく死んでいた。



「お兄様っ!」「アウルス!」


 ユリアとガイウスは、火葬場で何度も動かない家族の名前を呼んだ。


 しかし花飾りで包まれ、生前愛用した白いトガ一枚布の上着を着てしんと横たわるアウルスの若い身体に温かさは戻ってくることは二度とない。

 ガイウスの合図で何か所かに松明で点火されるのを、ユリアはネックレスの切り出したばかりの氷のような水晶を痛いほど握りしめながらその光景を眺めた。


 まだ20代前半のアウルスの頑強で大きな身体が火に包まれる様はあまりにも非現実的だった。ガイウスとユリアはすべてが燃え尽きるまで立ち尽くしていた。時間軸がおかしくなり、それは一瞬のようにも永遠のようにも伸び縮するように感じた。


 母親に似て体つきが華奢で青い瞳のユリアは、いつもゆったりひとまとめにしている腰までの豊かな長い地毛の金髪を乱れさせ、羊毛の白いトガを黒く染めたものを身に着けて呆然と炎を見ている。唇は炎の熱でかさかさとなり、涙はもう枯れていた。

 彼女はローマ貴族パトリキであるガイウス・ユリウス・カエサル将軍の娘であり、亡くなったアウルスの妹だ。


 同じく黒衣を身に着けた大柄な父・ガイウス・ユリウス・カエサルはローマの将軍らしく気丈に振舞っているが、黒い目の光は鈍く、生きる力が弱まっているのは明らかだった。

 父親と同じく将軍になろうかという期待の息子が死んだのだ。アウルスの優しさ、戦場での働き、勝利や遠征を思い起こすにつれガイウスのかなしみは深くなった。



 葬列に参加した者はあらかた帰り、墓所はしんとしていた。

 残ったガイウスとユリアは燃え尽きた灰の中から炭化した、まだ高熱を放つ骨を拾い上げてアウルスの好きな銘柄のワインで優しく洗った。

 ガイウスはユリアが持つ骨壺の中に、若者らしいしっかりした骨をひとつづつ丁寧に入れ、円錐えんすい形の大理石のモニュメントが置かれた街道沿いにあるカエサル家の墓にそれを納めた。




「では私はカルタゴに戻る。身代金は払えず、和平もなせなかった私は殺されるであろう。しかしおまえは生き延びて我らカエサル家の血を残すのだ。器量も知性も備わるおまえだ、なんとか自力で婿を見つけることも出来よう」


 葬儀から一週間が経っていた。

 ガイウスは貴族パトリキとは思えぬ簡素な旅支度を終え、カエサル家でユリアに別れを告げた。もう二度と会えないかもしれぬ愛する娘を目の前にし、黒い瞳は涙に濡れている。ユリアは青い目から涙をポロポロとこぼしながら最後に訴えた。


「お父様…この土地家屋を売り払ってお金を作ればよろしいではないですか…敵国であっても相手は人間、分割払いもできると聞いております。毎年の収入で借金を返すという手も…」

「バカ者、やつらに借金だと!カルタゴなぞに弱みを見せてたまるか、そんな屈辱を受けるならば私は死を選ぶ!!」


 地を揺らさんばかりのガイウスの剣幕にユリアはがっかりした。

 彼は自慢の息子を亡くして自暴自棄になっている。亡くしたばかりだから仕方ないこととはいえ、完全にいつもの冷静で正しい父ではない。

 その分自分が冷静にならねばとユリアは自ら言い聞かせる。カエサル家の血を絶やすわけにはいかないのだ。

 母を10歳で亡くしたユリアは父と兄が不在がちなカエサル家の家政を任されてきた。結婚もせずに20歳の今まで家の存続を一番の念頭に生きてきたのだ。


 カルタゴは、ローマの将軍・政治家であるガイウスを戦争で捕虜とし、身代金をローマに要求した。相場はおおまかに決まっており払えない金額をふっかけられたわけではなかったが、カエサル家はわけあって金を用意できなかった。

 それならばと近年形勢が不利なカルタゴは、ガイウスを息子の遺体と共に和平交渉の為ローマに一旦帰還させたのだ。

 しかしガイウスは「カルタゴの和平交渉をのんではならない!ローマも疲労しているが、それ以上にあやつらもあとがなく焦っているのだ」と元老院で訴えた。

 このままカルタゴに戻って身代金が払えないと言えば、交渉に失敗したのもあって拷問の上むごく殺されるのは間違いなかった。生かしておいても金がかかるだけなのだから。


(お父様ったら兄が亡くなってすっかり現実的ではなくなってますわね…、家の為には出来る事を死ぬ気でするのが家長の義務です!意地を張ったところで死んだ者が戻ってくるわけでもありませんのに…)


「わかりました、お父様。しかし、カルタゴで身代金がないとは絶対に言わないで下さいませ。なんとか親戚がお金を都合するとでも言って下さい。相手も戦利品が欲しいでしょう。帰国したお父様が再婚して男児を設ければ、カエサル家を再興できるのですから」


 父は目を見開き、ユリアの肩を優しく掴んで言い聞かせた。大好きな兄を失くしたのに、人並みに落ち込むこともふさぎ込むことも許されない可哀想な娘にやっと気が付いた。


「…おまえはいつの間にか強くなったのだな。しかし私や家の為に無理はしなくてよい。おまえは私の大事な娘、持参金はないがこの土地があるから結婚もできるだろう。ユリア、こんなことになるなら立派な婿を探しておくべきだった。ふがいない父を許せ…」


 父は弱気でそう言い残したが、馬車で家の門を出た途端に堂々としてローマの益荒男ますらおらしく背筋をのばし、単身敵地カルタゴへ戻って行った。

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