第40話


 その日の帰り。下校時刻までたいして意味のないことを喋り続け、そして恐らく最後の制作会議は終わりを迎えた。

 三人で靴箱の方へ向かう階段の途中、ふと僕は足を止め、後ろを振り返った。

「どうした。遅いぞ」

 久我山文香は一番後ろをのろのろと歩いていた。意識していたわけではないのだろうが、考え事をしているうちに遅れていたらしい。踊り場のところで久我山は立ち尽くしている。

「あ、ご、ごめんなさい」

 荻原も久我山の様子に気がついたのか首を傾げる。

「どうかしたんですか」

「な、何でもないんです。別にたいしたことじゃ……」

「それは聞いた僕が判断する。言ってみろ」

「は、はい……。その、えっと……」

 躊躇いがちに、久我山は話した。

「もう、終わりなんでしょうか。その、つまり、こういうことは」

「……会議のことだな。ま、そうだろうな。一応は完成したわけだからな」

「そ、そうですよね。ご、ごめんなさい。変なこと訊いちゃって」

「……ああ」

「あ、あの!」

 急に荻原が大きな声をあげた。

「何か、食べて帰りませんか。神崎さんの奢りで!」

「おい待て。なぜそうなる」

「お疲れ様会、みたいなものですよ! いいじゃないですか。頑張ったんだから少しくらいご褒美もらったって」

「褒美をもらいたいのは僕の方だ。お前の相手をするのは本当に疲れる。迷惑料からお前への褒美代を差し引いてもまだ足りないくらいだ」

「な、なんですかそっちが頼んできたのに! 漫画描いてくださいお願いします、って!」

「どういう記憶をしているんだ。お前の方が頼んできたんだろう。お手伝いしてくださいお願いしますとな!」

「そんなこと言ってませんー!」

「いや、言った。泣きべそをかいて頼んできた」

「都合の良いように改変しないでくださいよ! 高慢チキ!」

「聞こえんな。もう少し背を伸ばしてからでないと文句も聞こえんぞ」

「な、なんですってー!」

「……ふふ」

 久我山が口を抑えて笑っている。僕は荻原としばし目を合わせて、それから肩をすくめた。荻原は頷くと、階段をのぼっていく。

 踊り場にいる久我山のもとへ、たどり着く。肩を並べて、荻原は言った。

「ねえ、久我山さん」

「は、はい」

 笑うのを止めて、久我山は返事をする。

「また、一緒に寄り道しましょうよ。今日だけじゃなくて、明日も。その明日も。わたしも誘いますし、誘ってくれたら、わたしもいつでも行きますから」

「……はい」

 踊り場に差し込む夕日が二人の背中を暖かく照らす。久我山は微笑んで頷いて、荻原もそれを見て破顔した。久我山の手を取って、荻原は階段を駆け下りる。

「ほらほら、行きましょ。神崎さんの機嫌が変わらないうちに。奢ってくれるそうですから」

「……おい待て。まだ一言もそんなことは言ってないぞ」

「けちんぼ!」

「黙れちんちくりん」

 手を引かれ、久我山は廊下を駆けていく。長い黒髪が風に吹かれて跳ねるように揺れている。その二人の背中を僕はゆっくりと追いかけた。


     *


 もう一つ、話しておくことがある。

 荻原が漫画を描きあげた後のある日。僕は夜中にふと思い至って本棚の中を漁った。

 奥底に閉まっておいた文庫本を取り出す。『シャドウハンターズ』。手にした本を広げ、一行目に目を通す。

 ベッドに転がったまま、気がつくと随分遅い時間まで読みふけってしまった。最後のページまで目を通し、僕はその本を畳んだ。

 久しぶりに読んだ姉さんの本は、やっぱりとても面白かった。


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