第36話

 泣きつかれた荻原は唐突に立ち上がり「寝ます!」と叫んでベッドに籠もった。呆れたが、今は休むことのほうが大事かもしれない。

 部屋にいて良いと言われたので言われた通りにしておく。ベッドの上には頭まで毛布を被って芋虫のようになった荻原がいる。規則正しく寝息をたてる芋虫を横目に見つつ、机の上に置かれた一冊の本を手にとった。

『シャドウハンターズ』

 子供の頃は大好きで何度も読み返したものだが、いつの日からまったく読めなくなってしまった。書かれたものの奥に強く姉さんの存在を感じてしまう。その重さが嫌で、本棚の奥に閉まったまま、もうずっと開いていない。

 軽く最初のページを開いてみる。……今なら読めるだろうか。そう思ったけれど駄目だった。気分が悪くなってきて、本を閉じると机に置き直した。

 そのうちに僕にも睡魔が襲ってきた。流石に少し疲れたみたいだ。いろんな話を聞いて、そして、身を切るような話もした。

 腕を組んで壁に背中を預ける。視線の先にはベッドがあって、丸まった毛布がじっと蹲っている。それはまるで、蝶になるのをじっと待つ蛹のようでもあった。やつもいつか、蝶のように羽ばたくのだろうか。傷ついた分だけ瘡蓋は増えて、硬くなる。芋虫は蛹になり、そしていつか、色鮮やかな羽をまとって飛び立つ。

 いや、やつの場合は蛾かもしれない。それでもいいと、僕は思う。綺麗でなくても良い。美しくなくても良い。泥臭くても惨めでも、懸命に羽ばたいて前に進むなら、その姿は何よりも美しく映るだろう。

 そんな戯言を考えながら、僕はそっと目を閉じた。


      *


 音が聞こえる。ペンをさっと動かす音。微睡みの中で薄目を開けると、荻原が机の前にいた。スケッチブックを広げて何かを描いている。ネームだ。

 窓から差し込む月明かりが、そっとその横顔を照らしている。荻原はじっと紙面を見下ろして無言で手を動かし続けていた。

 森園の言葉を思い出す。『……綺麗だって思ったの』

 ああ、その通りだ。お前の言う通り、絵を描くこいつの姿はとても綺麗だ。

 ぼんやりとした夢のような感覚の中、僕はいつまでも彼女の姿を眺めている。


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