第31話

 話を聞き終えた後、僕は腕を組んだまましばらくの間瞑目していた。

 とりあえず、すっきりしたこともあった。森園の不自然な行動のすべては、僕と荻原を引き剥がそうとしてのことだったらしい。

 こいつにもいろいろと事情はあったのだろうが、その辺のことは僕には無関係の話だ。だが、一つ聞きたいのは、

「森園、お前は荻原に漫画を描いてほしくないと思っているわけではないのだな?」

 尋ねると、森園は膝を抱えたまま上目遣いに僕を見上げて答える。

「当たり前よ。荻原さんの絵を描く姿が、あたしは一番……好きなんだから」

「だったら、お前のやったことは逆効果じゃないのか。お前のせいですっかりあいつはスランプだ」

「う……」

「何とかしないと、あいつは一生絵を描かなくなるかもしれんぞ」

「ど、どうしてそうなるのよ」

「悪い方に想像した場合の話だがな。あいつはあいつなりに真面目に漫画を描こうとしていた。その矢先だ。お前が現れて、自分より圧倒的に優れた出来の漫画を見せつけた。漫画や絵なんかと無縁のやつだと思っていた人間にだ。あいつは気落ちしていたぞ。荻原はあれでも、子供の頃から絵を描き続けていたらしいからな。それなのに、荻原にとっては、ポッと出のお前に優れたものを見せつけられて、もう絵なんて描いていても仕方がないと思ってしまっても無理からぬ話だろう」

「それは、そうかもしれないけど……」

「ま、仮にそうなったとしても、それは荻原の問題であって別にお前か気に病むようなことはないが。……だが、それはお前の意志とは反するのだろう。お前は、荻原に漫画を描いて欲しい。そう思ってる」

「……」

 森園は無言のままコクリと頷いた。

「なら、僕に任せろ」

「なんですって?」

「知ってるだろう。僕の目的は荻原に漫画を描かせることだ。僕がついてる限り、やつは必ず描けるようになる」

「そんなの、信じられるわけないでしょ。だってあんたは、荻原さんのことを何もわかってない」

「別にお前に認められようとは思ってない。ただ、僕の邪魔さえしなければ良い。つまりは、放っておいてくれということだな」

 森園は不審そうな目のまま黙っている。

「森園美月。世界を変えてみたいって思ったことはあるか?」

「は?」

 戸惑う森園に、指を立てて、ゆっくりと説明してやる。

「僕はある。前に訊いただろう。どうして荻原に漫画を描かせようとするのか。どうして荻原を選んだのか、と。どうしてあいつに漫画を描かせようとするのか、その理由が今のだ」

「今のって……。どうしてそれと漫画を描くのが繋がるのよ」

「この世界を変えるのは難しいが、人は自分の持つ世界は変えることができる。……と、口にするのは簡単だが、それを実行するには、実際の世界を変えるのと同じくらいの労力が必要だ。人が、人の持つ世界、世界観を変貌させるには、多くの努力がいるし、実際に変えられるかなんて誰にもわからない。でもだから、僕はそれを見てみたいんだ」

 森園は黙って僕を見上げている。

「僕は、僕の持つ世界を変えたい。だがそのやり方がわからない。だからせめて、目の前で、誰かの世界が変わる瞬間に立ちあっていたい。荻原芳子は、自分の世界を変えたいと願っている。漫画を描くことできっとそれは為される。なぜか? それはものを作るということが、自分の世界と深く関わるからだ。僕らの持つ世界こそが、ものを生みだすからだ。ものを作るなかで、否応なく自分の世界と向きあうことを必要とされるからだ。荻原に漫画を描かせる。そうやって僕は、世界を変えてみたいんだ。わかるか?」

「意味わかんないわよ。あんた」

「わかってもらおうとは思わん。さっきも言っただろう。邪魔さえしなければ良い。だから森園、一度で良い。僕を信じろ。僕は必ず荻原に漫画を描かせる。その様を黙って見ていれば良い」

 森園は無言で僕を見つめていた。疑うような目。僕は黙ったまま、やつの目をしっかりと見据える。

 やがて森園はため息を吐いて言った。

「…………神崎。あんたって、嫌なやつだと思ってた。嫌味で高慢で人を見下してる最低なやつ。でも、違った。それだけじゃなかったのね。……あんたって、信じられないほどの変人よ」

「そうかもな」

 適当に頷くと、森園は僕と目を合わせて、微かに口の端をつり上げて笑った。それを認めると、僕は、椅子から立ち上がり、資料室の外へと出た。


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