第28話
翌日の放課後。掃除当番で同じになった荻原と、教室へ戻ろうとしていた。特に何も言わなかったが、荻原も僕も今日もまた制作会議をすることは決めていた。何も進まないかもしれないが、やる気と気力だけは充分にある。
教室へと戻る階段をのぼろうとした時、その上に人が立っているのに気がついた。
「森園美月……。またお前か」
階段の上から僕らを見下ろしながら、森園は話しかけてくる。
「話があるの」
咄嗟に前へ出ようとする荻原を手で制して、僕が睨み返す。
「どんなだ」
「……二人で話したい。あんた。神崎貴とよ」
「か、神崎さん……」
気遣わしげに見上げる荻原に頷き、僕は少し考えた末に、言った。
「良いだろう。荻原、お前は先に戻れ。久我山には遅くなるかもしれんと伝えろ」
「は、はい……」
有無を言わせぬ強い口調で言うと、荻原は気圧されたようにこくこく頷いた。
「ついて来て」
森園が僕らの脇を通り過ぎ階段を降りる。僕はその後を追いかける。
森園はどうにかして僕らの邪魔をしたいらしい。だから話を聞くだけ害にしかならないような気もしたが、けれどやはり、森園美月がなぜそうまで僕らを敵視するのかそれも気にはなる。
背中越しに、不安そうな荻原の視線が突き刺さってきていた。
*
「ここならいいかしら」
森園はそうひとりごちると、僕を資料室の中へと招いた。ここは校舎の隅の方にあって、滅多なことでは生徒は通りかからない。それに、基本的に資料室は教師の許可がないと入ってはいけないことになっているから、誰かが間違ってやってくるということも少ないだろう。
僕が奥へと進むと、入り口の近くに立った森園はしっかりと扉を閉めて、それから腕を組んで背中を壁に預けた。
「話ってなんだ」
声をかけると、森園は少し黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「神崎貴……。あんたは、荻原芳子と離れる気はないの?」
「くどいな。もう答えたはずだぞ。だいたい、どうしてお前はそうまで僕らに突っかかる。荻原に何の興味がある」
「きょ、興味って……あたしは別に……。ただ……」
「ただ。ただ、何だ。いい加減答えろ。お前の目的は何だ」
「……目的なんて、別にないわよ。ただ、あたしは、あんたのことが気に入らないだけ」
「気に入らないなら放っておけば良い。僕だってお前は気に入らないが、お前にばかりかまっているほど暇じゃない」
「う、うるさいわね。あんたには関係ないでしょ」
「おおありじゃないか。お前、言ってることがめちゃくちゃだぞ」
森園は視線を逸らして悔しげに唇を噛む。僕は手近にあったテーブルの表面を指で叩きながら考えた。森園は僕が気に入らないという。だから突っかかるのだと。けれどなぜ、僕をそうまで嫌う。こいつと僕の接点はそうないはずだ。
「荻原のことは、どうなんだ。荻原と何かあったのか」
僕よりも荻原の方がこいつとの関係は長い。だから、もしかすると荻原との間に何か因縁があり、それで一緒にいた僕にも敵意が回ってきたのかもしれない。
だが、森園の反応は予想とは少し違っていた。
「お、荻原芳子? な、何もないわよあの子となんて!」
妙に力強く否定するのが逆に怪しい。僕はさらに問い詰めることにした。
「だったら、どうして荻原に関わろうとする。描いた漫画を押し付けて。挑発するようなことを言って。いったい何がしたいんだ」
「ちょ、挑発なんて、してない……」
語気が急に弱くなる。半歩後ろに下がろうとするが、やつの後ろはすぐに壁だ。視線を下に向けたまま、もごもごと口を動かしている。
「しているだろ。昨日だって、わざわざ食堂まで来て馬鹿にしてきて。ご苦労なことだな!」
僕は大仰に肩をすくめ、笑い飛ばしてみせた。すると森園はハッと顔を上げる。
「ち、違う! あたしは、ただ、昨日は様子を見に行きたくて……。ま、漫画だって別に挑発しようなんて…………。あたしはただ……よ、読んでほしくて」
「なんだって?」
弱々しい声で喋るものだから後半が聞き取り難かった。森園は答える代わりに、僕を睨み返すと腕を振り上げ叫ぶように尋ねる。
「あ、あんたこそ、何なのよ。何でそうまでして、荻原芳子のそばにいようとするの!」
「それは知ってるはずだ。僕はあいつに漫画を描かせる。そのために、今はあいつと組んでいる」
「でも、あんたは言ってたわ。荻原芳子を選んだのはたまたまだって。たまたま、荻原芳子があんたの目の前に現れた。あの子の才能に惚れたわけでもない。あの子の情熱を認めたわけでもない。本当にたまたまなんだって。だったら、そこまですることないじゃない。荻原芳子は今スランプなんでしょ。描けないあの子にどうしてそこまで付き合うの」
「決めたことはやり遂げる。それに、荻原がだめなやつなのはわかっていた。今更それくらいで放り出したりはしない。……というのは昨日も言ったな」
それに、と僕は思う。そういう荻原だからこそ、僕にとってはとても意義があるのだ。才能があるわけでも、情熱があるわけでもない。そんな荻原がきちんと漫画を描くことができたなら……それは、やつにとって世界を変えるような衝撃を与えるかもしれない。それを、僕はこの目で見たいのだ。……なんてことをわざわざ森園に説明してやる義理はないが。
「それがわからないのよ。ダメな子だって思ってるなら、どうして付き合ったりしたのよ。違うのに。荻原芳子は……あんたが思うような……。それなのに……っていうことは、やっぱりきっと……」
「森園……?」
「神崎貴。あ、あんたやっぱり、荻原芳子のこと……」
「なんだ」
森園は意を決したように声を上げる。
「荻原芳子のことが好きなんでしょ⁉」
「………………なんだって」
声が聞き取れなかったわけじゃない。単純に言葉の意味を理解することがとても難しかった。
「だ、だってそれしか考えられないじゃない。才能がない、情熱もない。あんたはそう思ってるのに荻原芳子に付き合う。あたしの漫画を読んで、荻原芳子の心は折れたはずよ。もう戻らない。あの子が漫画を描くことはない。そのはず、なのに! なのにあんたはまだ荻原芳子と一緒にいる。そんなの……そんなの、あの子のことが好きだから以外に考えられないじゃない!」
「……違うぞ」
僕は呆れた思いで否定する。僕にはまったく見当違いの考えであるようにしか聞こえないが、森園はもうその考えに確信を持ちつつあるようだった。
「嘘よ。だって、それしか考えられない。あんた、やっぱり荻原芳子のことが好きなのね。……いえ、も、もしかしてその……もう、つ、つつ付き合ってたり……するの?」
「ありえん。僕とやつにそういう関係はない。すべてお前の思い込みだ」
「認めないわよ。ぜ、絶対に認めないんだから」
森園は興奮してきているようだった。顔は赤くなり、呂律が怪しくなりつつある。
「あんたは、あの子のことを何もわかってない。荻原芳子はダメなやつだとか……そんなことを言うあんたに、あの子と付き合う資格はない!」
「お、落ち着け」
あまりの剣幕に、僕はたじろぐ。何だ。こいつは一体何をそんなに怒ってるんだ。
「僕と荻原は付き合ったりしていない。恋愛感情もない。だいたい、なぜお前に認められなければならない。お前はやつの親か」
「ほ、ほら! そういうところよ! 認められなければならない、ですって? やっぱり認めてほしいんだわ。あんた、荻原芳子のことが好きなのね!」
「ええい、冷静になれ。そして話を聞け! 違うと何度言えば良いんだ」
「認めない。絶対認めない。あんたなんかに、荻原芳子は渡さない。渡さないんだから。荻原芳子はすごい子なの。ずっとずっと憧れだったんだから……。なんにもわかってないあんたなんかに、あの子は絶対渡さない」
拳をぎゅっと握りしめ、もはや涙さえ浮かべた顔で、森園は資料室いっぱいに響き渡る声で叫んだ。
「荻原芳子はあたしのものなんだから!」
……ドン、と入り口の扉に何かがぶつかる音がした。
瞬間、部屋の中がシンと静まる。森園は急速に血の気の引いた顔で立ち尽くした。動かない森園に代わり、僕は、機械的な動作で入り口のそばまで近づくと、扉をゆっくりと開けた。
扉の前にはおでこを押さえた荻原が立っていた。どうやら慌てたか何かで頭をぶつけたらしい。さっきの音はそれが原因なのだろう。
荻原は扉を開けた僕に気がつくと、顔を上げてへらへらと苦笑いをした。
「あ、ど、どうも。……えっと、その、お、お邪魔しました……へへ」
それだけ言って、そそくさと立ち去っていく。
荻原の姿が見えなくなると、脇で森園が膝から崩れ落ちた。そして掠れた声で呟いた。
「終わった………………………………」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます