第24話

 事態が妙な方向に転がりだしていたことがわかったのは、放課後のことだった。

「お、遅いですね。荻原さん」

「ああ」

 隣に座った久我山の呟きに、僕は頷いた。

 いつもの、教室を使った制作会議だ。すでに久我山も来ていたが、肝心の荻原がやってこない。荷物をまとめると言って教室の外にあるロッカーへ向かったのだが、五分ほど経っても戻ってこなかった。仕方なく、様子を見に行くことにした。教室から顔を出すだけだから、すぐに済むが。

 久我山も立ち上がりついてくる。廊下に出ると、ロッカーの前で膝をつく荻原の姿をすぐに発見することができた。

「おい、何してる。早く始めるぞ」

「あ、神崎さん」

 荻原は顔を上げてこっちを見た。そこには当惑したような表情が浮かんでいる。

「どうした」

「その、なんか変なものが入ってて」

「変なもの? どれ、見せてみろ」

「はあ」

 荻原から手渡されたのは、大きなサイズの封筒だった。封はしっかり閉じてあって、少し膨らんでいるから、中に何かが入っているのは間違いない。

「どうしたんだ、これ」

 封筒を弄るのをやめて尋ねると、荻原は首を横に振った。

「さあ……。わかりません。朝はこんなの入ってなかったんです。今見たら、いつの間にか」

「だ、誰かが自分のと荻原さんのロッカーを、間違えたんじゃ……」

 久我山が口にしたが、僕はすぐに否定してみせる。封筒の表面には『荻原芳子様へ』と小さいが几帳面な字が書かれていた。

「中は見たのか?」

「いえ、まだ。何なんでしょうね、これ。……あ! まさかラブレター……」

「開けるぞ」

「無視しないでくださいよ!」

 論ずるに値しないあまりにも馬鹿馬鹿しい考えで、触れるのも哀れだったから無視したまでだ。こんなちんちくりんに恋文を渡すやつはいないし、まして手紙にしては封筒が大きすぎる。

「だ、大丈夫でしょうか? 悪戯とか……」

 久我山は心配そうな声をあげる。僕は頷いた。

「うむ。ありえるな。開けるとカッターの刃が飛んできたりするかもしれん。荻原、やはりお前が開けろ」

「い、いやですよ! あ、べ、別に本気でそんな怖い悪戯されるとは思ってませんけど」

「誰かに恨まれるような覚えはないのか」

「ありませんよう。神崎さんと違って、わたし、良い子ですから」

「地味で目立たないだけだろ。空気のようなやつだと思われてるかもしれん」

「あうっ。ひ、否定できない」

 いつまでも馬鹿な話をしていても仕方がない。僕は教室からカッターを持ってくると、封筒を開けた。そして中身を取り出す。

「これは……」

 手にして驚く。それは、コピー用紙だった。ざっと三十枚近くあるか。そこに描かれているのが何なのか、一見してすぐにわかった。

 漫画だ。

「わっ。な、なんですかこれ」

 脇から覗き込んだ荻原が驚いた声を上げる。

「誰かが描いた漫画だろうな。どう見ても」

「え。でも、どうしてそんなのがわたしのロッカーに?」

「知らん。だが、お前宛てなのは間違いない。ということは、お前に読んでほしくて入れたんだろうな」

「なんですか、それ。全然意味がわからないんですけど……。誰がそんなこと」

「ふむ。そうだな……」

 パラパラとページを捲ってみるが、どこにも名前らしきものは描かれていなかった。

「わからん!」

「ええ……。じゃあ、これ、どうすれば……」

「どうするって、それは」

 僕の言葉を引き継いで、久我山が指を立てて言った。

「と、とりあえず、読んでみるしか、ないんじゃないでしょうか」


     *


 教室に戻って、荻原のロッカーに入れられていた謎の漫画を回し読みしていく。順番は僕から。僕が読み終わったページを机に置き、それを荻原が拾い、読み終わると久我山へ渡す。最初の数分、久我山は暇そうにしていたがすぐにルーチンは完成して、手持ち無沙汰な時間はなくなった。

「ふむ……」

 読みながら、僕は思わず唸っていた。

 唐突に僕らのもとにやってきた謎の漫画。この作品にたいしてとりあえず一言感想を言うとすれば……………………

 ──面白い!

 それをまずは認めなくてはいけないだろう。

 誰が描いたのかは知らないが、ジャンルがまず問題だ。描かれているのはアクション漫画で、アマチュアが手を出すには難易度が高いものだ。普通に考えて、動きのある場面が多いアクションはそれだけ技量が問われる。だが、この作者はそれを完璧にやり遂げて見せている。構図、動き、勢い、どこにも不自然な箇所はなく、むしろケレン味があって、つい読まされてしまう力がある。

 背景も丁寧で、とにかくこの作者の画力というものの高さが伺える。

 シナリオ自体はありきたりではある。捜査官がある犯罪者を追う話だ。事件の内容よりも、派手なガンアクションが売りのようだ。だが、ありきたりであることと面白くないことは同義ではない。むしろ丁寧に話を積み上げていて好感がもてる。

 とにかく、最後まで読み終えて言える感想は一つ。この漫画の作者は、圧倒的に絵が上手い!

 それはもう、荻原芳子がミジンコに思えるほどには……。

「…………荻原」

 不安になった僕が、そっと隣へ視線をやると、

「…………」

 荻原はどこかのページを手にして固まっていた。

「……あ、あの。荻原さん?」

 久我山も心配そうに、荻原の顔を覗き込み、そっと肩を叩いた。するとかくんと首が傾き、天井を見上げた。力が抜けたのか背もたれに背中を預け、だらしなく腕が床の方へ垂れる。

 その顔は弛緩しひどい有様だった。口は半開き、白目を剝いている。

「し、死んでる……」

「…………………………い、いや、死んではいませんけど」

 微かに腕を上げ、そう返事をしたがすぐにまた腕は力なく垂れ下がった。

 ……どうやら、荻原はショックのあまり、放心してしまったようだった。

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