第23話

 翌朝。普段通りに学校に行き、靴箱の前にたどり着くと、知った顔がいた。

隣のクラスの森園美月だ。靴箱に背中を預け、どこか不機嫌そうな顔で腕を組んでいる。

 僕はその脇を通り過ぎて、靴を履き替えようとした。挨拶をするような仲でもない。てっきり他の友人でも待っているものだと思っていたのだが、

「ねえ」

 森園は僕の顔を見るなり話しかけてきた。少し驚いて、手を止める。

「なんだ」

「ちょっと、話があるんだけど」

「だから、なんだと訊いている」

「ここじゃ話しづらいこと。場所変えたいんだけど」

「いやだ面倒くさい。どうして僕がお前のためにそこまで労力を払わねばならない。ここで話せ」

「……わかったわよ」

 森園は忌々しそうに口もとを歪めたが、結局僕の方へ向き直ると小声で言った。

「荻原さんと、仲良いわよね」

「別に良くはない」

「でも、最近ずっと一緒にいる」

「やることがあるからな。ま、一時的なパートナーだ。それがなんだ」

「何で、荻原さんなの」

「なんだと?」

 思わず問い返したのは、質問の意図がわからなかったから、だけではない。問いただす森園の表情は能面に近い。けれど答え如何によっては容赦はしないというのが、すぐにわかった。だがなぜそのように真剣になる? こいつと荻原は顔見知り程度の関係ではなかったのか?

「漫画、描いてるんでしょ」

「どこでそれを」

 漫画を描いていることを恥ずかしがっていた荻原と違い、僕はことさらにそのことを隠しだてするつもりはなかったが、それでも話したのはせいぜい久我山くらいだ。

「別に。見てればわかるわよ。放課後、いつも残って話してるから」

「見てたのか?」

「……たまたまよ」

 森園は若干目を逸らしながら答えた。覗いていたのか。まあいい。詮索するつもりはない。

「それで、何だと言うんだ。荻原が漫画を描いていようが、僕がそれを手伝っていようが、お前には何の関係もないだろう」

「だから、どうして荻原さんなのかって訊いてるの。あんたと荻原さんが、何で一緒に漫画を描くことになったわけ? そもそも、あんたは何で荻原さんに漫画を描かせたいわけ?」

 森園は喋りながら興奮しているようだった。無意識のうちにこちらに詰め寄ってきて、僕は半歩下がる。

 どうして、荻原に漫画を描かせたいのか。それは、いろいろと理由がある。一言で言い表せるようなことではなかったし、それに森園にわざわざ話してやる理由もない。

「お前には関係ない」

「なっ……」

「もっとも、やつと一緒に描くことにした経緯の方は話してやっても良い。別にたいしたことではないがな。たまたまだ。たまたま、やつが下手くそだが漫画を描いているのを見た。だからやってみないかと尋ねたんだ。そうしたら向こうは快く了承した」

 本当はもっといろいろあった気もしたが、結果的には同じことだ。

「た、たまたま、ですって」

 森園は青白い表情で、よろよろと少し後ろに下がった。なんだ? 何をそんなにショックを受ける必要がある。

「そうだ。別に荻原だから選んだわけじゃない。誰でも良かった。たまたま目の前に荻原が現れたというだけの話だ」

「じゃあ、つまり、あなたは」

 森園は俯いて、ゆっくりと話した。

「もしも、荻原さんより早くに誰か別の、荻原さんよりももっともっと才能のある人と会っていたら、その人の手助けをしたってこと?」

「まあ、そうなるだろうな。だが、実際はそうなっていない。無意味な仮定だ。……お前、何なんださっきから」

 僕は少々うんざりし始めていた。朝からいろいろと問い詰められたが、一向に向こうの目的が読めない。こいつはそんなに僕たちの漫画制作に興味があるのか? だが、どうして。

「もういい。わかったわ」

 唐突にそう言って、森園は会話を打ち切った。戸惑う僕の脇を通り過ぎて靴を履き替えると、駆け足気味に廊下を進む。正気に戻った僕が振り返ると、向こうもちょうど、立ち止まりこっちを向いた。

「……神崎貴」

 少し離れた箇所にいて、廊下は行き交う生徒で混雑しているというのに、その呟きはやけにはっきりと聞こえた。森園は俯いたまま、けれど、垂れた前髪の隙間から微かに覗く瞳は確かに僕を捉えていた。

「覚えてなさい」

 捨て台詞を残して去っていく。まったく意味がわからず、僕はしばらく立ち尽くしていた。

「あれ? 神崎さん。おはようございます。って、どうしたんですかぼーっとして。靴取るのに邪魔だから退いてくださいよ。ねえ、ねえってば。あ、もしかしてあれですか。蹴っていいんですか。この邪魔くさい背中を蹴っていいんですか? ……いいんですね。動かないなら蹴っちゃいますよ。へ、へへへ。ひ、日頃の恨み。晴らさでおくべきか。きょ、きょえー! あいたあっ! い、いきなり動かないでくださいよ。転んじゃったじゃないですか! あ、ちょっと、無視しないで! い、痛い。ほんと痛い。助けて神崎さーん!」

 後ろで何か聞こえた気がしたが、面倒くさかったので無視して教室に向かった。


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