第21話

 翌日。漫画制作の締め切りが迫る中、少しでも早くプロットを完成させるために、僕は一つ手を打つことにした。

放課後、いつものように僕らは教室に居残っている。しかし今日は僕と荻原の他にもう一人メンバーがいた。

「というわけで、アドバイザーの久我山文香だ」

「えーと、どういうわけで?」

 久我山は僕と荻原が向かい合う机の横に、椅子を引いて座っている。そして、緊張した面持ちで荻原に向かってペコリと頭を下げた。

「今はちょうど、プロット作りをやっているわけだろう。ストーリーのことで、何か参考になることでも言ってもらえればと思ってな」

久我山は話作りのプロだ。会議に参加してもらえば、有意義なことを言ってもらえるかもしれない。

「はあ。それはありがたいんですけど。久我山さん、良いんですか。お忙しいのに」

「い、いえ! な、何か役に立てるなら、お手伝いしたいです」

「…………あの、久我山さん」

 心配げな表情で、荻原は顔を近づけると囁いた。

「もしかして、神崎さんに何か脅されてるんですか。そんなの、気にしちゃだめですよ。卑劣な脅しなんかに負けちゃだめです。良かったら話してください。力になりますから」

「聞こえてるぞちんちくりん。そんなことするか」

 荻原を睨み、ため息を吐く。

「えー。だって、神崎さん、わたしのときもかなり強引だったじゃないですか」

「目的のために手段は選ばん。が、久我山はすんなり了承してくれたからな、何もしていない。だいたいお前、もっと喜ぶべき場面だろ。何が不満なんだ」

「不満なんかないですよ。もちろん喜んでます。ただ、本当に不思議で。久我山さん、その、お仕事もあるんでしょう。それなのに、わたしなんかの手伝いだなんて……」

 久我山は首を横に振ってから答えた。

「そ、それは大丈夫です。抱えてる締め切りには、まだ余裕がありますし」

「おお。なんかプロっぽい……!」

「プロだからな」

「そうでしたね」

「あ、えっと、その……」

 久我山は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。慌てて荻原がとりなす。

「ああ、すみません。話を続けてください」

「は、はい。その、たいしたことはできませんが、荻原さんの漫画を読んで、感想を言うくらいだったら……」

「はあ。なるほど。……あの、そもそもどうしてお手伝いをしてくれる気に? やっぱり脅されてるんだったら……」

「い、いえ。そんなことは……。ただ……」

「ただ?」

「私なんかで役に立てるなら、お手伝いしたいな、と……」

「く、久我山さん……!」

 荻原は感極まっていた。

「う、嬉しいです。優しいんですね。どこかの高慢チキな人と違って……!」

「誰のことだ」

「わかりました。久我山さんのアドバイスを受けて、わたしも精一杯頑張ります。よろしくお願いしますね」

「は、はい。こちらこそ」

「おい。無視するな」

 荻原は返事をしなかった。

 ……ええい、まあいい。

「……とりあえず、これまで決まったことを整理するぞ」

 コホンと咳払いしてから、久我山に聞かせる意味もこめて、僕は話す。

「まず、主役はこいつだ」

 スケッチブックを取り上げ、ページを捲っていく。開いたのは、荻原が考えた、オリジナルのキャラクターが載っているページだ。この間──ゴールデンウィーク明け──に見たときからさらにブラッシュアップして、デザインは明確になっている。

「名前が決まっていないから、仮に……いや、主役は主役でいいか。とにかくこいつの話を描くわけだ」

 ポイント一、主役は少女。女子高生だ。

 そして、この高校生の女が、絵を描く。そう決めた。

 何の絵を描くのか。それもあれから議論した。水彩画や油絵、なんていうのも出たが、ここはやはり、最も身近な漫画が良いだろうということになった。つまり、女子高生が漫画を描く、そういう漫画を荻原は描くのだ。

 ポイント二、題材は漫画。

「この主役の女が、漫画を描く事になる話だ。で、続きはどうする。漠然とでも、ストーリーは思いついているのか」

「はあ、まあ、多少は」

「なら、後は描けばいい。いきなりネームにしなくても、簡単にプロットやシナリオを立ててみろ」

「そうなんですけど……。お話ってどうやって作ったらいいのかわからなくて……。えーと、その、途中まではできたんです。あ、いや、違いますね。途中はできるんです。つまり、描きたいシーンみたいなのは思いつくんですけど、そこにどうやって繋がるのかわからない、みたいな」

「わからないなら、訊けばいい。そこに絶好の人材がいるだろ」

「あ、そうですね」

 視線を向けられて、久我山はびくりと震える。

「あ、その……。私に、できることなら……」

「えーと、じゃあ、お話って、普段、久我山さんはどうやって作ってるんですか」

「わ、私の場合は、その、思いつくままに、ばあって」

「ええ……」

 荻原は微妙な顔をした。あまり参考になっていなさそうだ。

「あ、で、でも普段は推理小説を書いているので、トリックのメモとかはしますけど……」

「あのー、思いつくままにって、どういうことですか」

「えっと、その、だ、だから、思いつくままに、とりあえず、書いてみて、わからなくなったら、また立ち止まって考えていけば、きっと、書けるんじゃないでしょうか」

「えっと……」

「あ、ご、ごめんなさい。うまく説明できなくて。で、でもやり方は一つではないとは思います。一から十までプロットを全部作ってから書く人もいます。だから、荻原さんは荻原さんのやり方でやれば、いいと思います」

「わたしのやり方って言われても……」

「思いつかないなら、とにかく、最初のところを書いてしまうのがいいかもしれません……。自分がどんなものを考えているのか、書いている途中でわかる、ということもあるかもしれませんから。荻原さんは、女の子が漫画を描くお話を作りたいと思っているんですよね?」

「は、はい」

 若干恥ずかしがりながらも、荻原は頷く。

「じゃあ、その、女の子は、はじめから絵を描くのが好きなんですか?」

「え? それは、その……」

 少し迷ってから、荻原は首を横に振る。

「わ、わかりません。た、たぶん、どっちでもなくて、ただ、そのうちに本気で、ちゃんと、絵を描きたいって思うようになるんです」

「では、そこから始めてみるのはどうでしょう」

「え?」

「女の子が、絵を意識する。漫画を描きたいと思うようになる。そのきっかけから、始めてみるんです。そうしたら、うまくいくかもしれませんよ」

「おー。な、なるほど」

 荻原はすっかり感心していた。僕は顎を向け、

「ほら、わかったらさっさとペンを取れ。どうせ家に帰ったらやらんだろ。一緒にストーリーの続きを考えるぞ」

「は、はい」

 大学ノートに、ストーリーを少しずつ、書き込んでいく。なぜ、主人公の女は漫画を描きたいと思うようになったのか。そのきっかけ。そして、それから、どうなるのか。その道筋。少しずつ、見えない道を歩いていく。

 荻原が考え、詰まったら何が問題なのか尋ねる。三人で会議をしながら、少しずつストーリーは煮詰まっていく。ときには回り道をして、進んだところから戻って考え直すこともある。それでも少しずつ前へ進む。

 物語を作るとは、深いジャングルの中を歩くのと同じなのかもしれないと、ふと思う。周りは木々で、どちらに正解があるのかわからない。だが、どこかに進むべき光がある。それを目指してデタラメに歩くうちに、踏み鳴らした箇所が固く、歩きやすい道となる。その道が物語なのだ。どこかにある光にたどり着いたとき、物語は完成する。

 下校時刻のチャイムがなるまで、僕らは会議を続けた。あーでもないこーでもないと話すうちに、時間の感覚はすっかりなくなっていて、いつの間にか外は暗くなっていた。


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