第15話

「……あ、次の巻取ってください」

「自分でやれ」

「えー。神崎さんの方が近いじゃないですか。十七巻です」

「…………これか?」

「はい。あ、ついでにこれ戻しといてください」

「それはいやだ。後で良いだろ」

「うー、けち。ま、そうですね」

「それより、荻原。この次の巻どこだ」

「え? あー、前に戻すとき、適当なところに入れたから……。ちょっと待っててくださいね」

 よっこいしょ、と老人くさい掛け声とともに、荻原は立ち上がる。しばらくがさごそと本棚を漁って目的のものを見つけ出すと「はい」とこちらに差し出した。

「あーあ。結局立っちゃったじゃないですか」

「はじめからそうすれば良かったんだ」

「うう、せっかくだらだらしてたのに……。ちょうどいいや。飲み物取ってきますね」

 荻原は部屋を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、僕は思う。計画は順調だった。時計を見るとかれこれ三時間近く経っている。その間、僕も荻原もひたすらに床に寝っ転がりながら漫画や小説を読んでいた。

「…………」

 ……はたして、これで良かったのか。荻原のだらだらとした振る舞いを見ていると、これで本当に漫画を描けるようになるのか? という疑念は消せない。久我山の話を聞いて、あえて休むことが必要だとは思ったが、やはり無理にでも手を動かさせ絵を描かせるなどして、少しでも漫画に関することをさせた方が良かったのだろうか。

 いや、と浮かんだ疑問を打ち消す。これは、必要な休息だ。さっき僕自身が、荻原に言ったことだ。僕が、不安を感じていては意味がない。例え内心どう思っていようと、顔に出ないよう注意しなければならない。

 余計な考えを打ち消すべく、荻原から借りた小説に目を戻す。

 荻原は普段小説などあまり読まないそうだが、それでも有名になったものは気まぐれに買うことがあるという。これはその一つで『黒猫ソランの推理』というミステリ小説だった。シリーズものになっていて現在は三巻まで出ている。

 主人公は古本屋の店員。本を読むのが好きで日がな一日本の整理をするか読書に勤しんでいる。タイトルになっている黒猫のソランは古本屋で飼われている猫だ。日向ぼっこが好きで、一日中軒先でごろごろしている。この猫と戯れているうちに推理のヒントを思いつく、というのが毎度の構成だ。

 夢中になって読み進めるようなスリリングさはないが、どこかついつい次のページを捲りたくなる楽しさがある。文の隙間に出てくる、大筋とは関係のない語りが面白い。それで、興味を惹かれて読んでしまうのかもしれない

 ページを捲る手を止めて、表紙を眺める。作者は香月文乃というらしい。顔写真などは載っていなかったが、荻原の話によるとずいぶんと若いらしく、まだ学生なのだそうだ。それで、ネットで話題になっているのを聞いて、荻原も買ってみたそうだ。

 夢中になってまた読んでいると、麦茶を入れ替えた荻原が戻ってきた。コップをテーブルに置きながら、荻原は神妙な声で言う。

「階段上りながら考えてたんですけど……神崎さん何で家に来たんですか……?」

「何だやぶからぼうに」

「いや、だってさっきからわたしたち、漫画読むか本読むかしかしてないじゃないですか」

「ああ」

「それっておかしくないですか……? それならお互い自分の家でやりましょうよ!」

「…………」

 荻原の言葉に僕は黙り込み、考えた。そして顔を上げて言う。

「一理ある」

「ですよね?」

 確かにこの計画には、僕がわざわざ荻原の家にいる必要性がない。

「……だがしかし、それはそれとして続きは気になる」

『黒猫ソランの推理』を抱え、僕は呻く。

「ハマってますね……。面白かったですか?」

「ああ」

「わたしも面白いと思いますけど……。でも、それは家に帰ってから読んでくださいよ。貸しますから」

「いいのか?」

「はい。傷はつけないでくださいよ。本棚にあるんで、勝手に持っていってください。……で、問題はそこじゃなくて。せっかく遊びに来てるんだから何か二人でできる遊びをしましょうよ」

「構わんが……。何をするんだ?」

「……ゲームとか? 神崎さん、やったことあります?」

「ほどほどにはな」

 昔、姉さんによく付き合わされた。

「じゃあそれで。わたし、格ゲーとか結構得意なんですよ」

 荻原はそそくさとゲーム機の準備を始めた。僕は立ち上がり、『黒猫ソランの推理』の続きを探す。文庫本の並ぶ棚に、それはあった。取り出そうとして、ふと気がつく。

「……これは」

 思わず、その隣にあった文庫本を手に取っていた。ライトノベルだ。刀を持った少女が一人、こちらを睨みつけるようにして立っている。タイトルは『シャドウハンターズ』。

 頭の芯が急速に冷えていくのを感じる。視界の端がちかちかと明滅しているようだ。

 表紙を見つめて立ち尽くしていると、立ち上がった荻原が背中越しに覗き込んでいた。

「あ、それ、気になります?」

「……好きなのか?」

「え? はい。まあ。……中学生の時に読んで、はまっちゃって。それ、楽曲が原作なんです。漫画もあるんですけど。えーと、説明すると結構ややこしいっていうか。良かったらそれも貸しますよ。面白いので」

「……いや、いい」

「そうですか? まあ、神崎さんはあんまり好きにはならないかもですね」

 ……そんなことはない、と思ったが口にはしない。荻原はさして気にした様子もなく、ゲームの準備に戻った。僕は本を棚に戻し、『黒猫ソランの推理』の方を手に取る。

「準備できましたよ。やりましょ」

 荻原が座り込んで、コントローラを差し出す。僕はそれを受け取って、テレビの前に座った。

 その日、僕は日が暮れるまで荻原の部屋で過ごした。ゲームの方は、荻原は自分で得意というだけあってなかなかの腕で、僕は惨敗した。

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