第12話
それから数日。一応借りていったものは荻原も僕も読み終えたが、荻原の調子は芳しくなかった。マニュアル本を読んだからといってすぐに思いつくものでもないらしい。毎朝教室に行くと、荻原に「何か思いついたか?」と尋ねるのだが、「ごめんなさい!」とか「すみません!」とか「無理です!」という答えが返ってくるばかり。今朝に至っては「なんのことです?」になっていた。お前、本当にやる気があるのか?
しかし荻原に何も思いつかないと言われてしまえば、こちらとしても手も足も出ない。何か描けと揺さぶれば落っこちてくるのならそうするが、無一文の相手からは一円たりとも引き出せないのだ。
僕にできるのは、荻原が何かを思いつきやすくなるような環境を整えてやることだけだ。さて、そのためにはどうすれば良いか。
そんなことを考えながら、放課後、再び図書室へやって来た。借りた本を返すためだ。
カウンターの前に立って、本を手渡そうとしたとき、目の前に座っていたのが、この間も会った久我山文香だと気がついた。
「あ……」
向こうも同じように僕に気がついたようだったが、視線を右往左往させた末、結局俯いて、事務的に本を受け取った。気づかなかったふりをすることにしたらしい。
「おい。無視するな」
「は、はい。ごめんなさい」
びくりと肩を震わせて、手を止める。そういう反応をされると、僕が理由もなく人を責めているようで、気分が悪くなるのでやめて欲しい。が、恐らく久我山にとっては仕方のないことなのだろう。こいつは明らかに人と話すのが苦手なタイプだ。さっき気づかなかったふりをしたのも、僕と話したくない、というより、一度話しただけの自分のことなど相手は覚えていない、また、自分なんかに覚えられていたと知って相手は不快に思うかもしれない、とでも考えたのかもしれない。
だが、僕からすれば久我山がどう思っているかなどどうでもいい。構わず話をすることにした。
「薦められたその本、なかなか興味深かったぞ。しかし、すぐに効果があるわけでもないようだ。荻原は相変わらず、何も思いつかないというしな。まあ、それはあいつが阿呆だからかもしれんが」
「お、荻原さんというのは、この間の……?」
「そうだ。あのちびだ」
久我山は手を止め、少し不思議そうな顔をした。
「漫画を描くと言ってましたね。それは、その、荻原さんが描くのですか? あなたは……」
「僕はその手伝いだけだ。あいつを引っぱたいたり飴をあげたりしながら漫画を描かせるのが仕事だ」
「は、はあ」
久我山は若干首を傾げながらも頷いた。奇妙な関係だなと思ったのかもしれない。
僕はもう少し話を続けることにした。カウンターの前でお喋りするのはマナー違反だが、後ろに人はいないし少しの間だけ許してもらおう。
「荻原は何も思いつかないという。そう言われてしまうと僕としては手詰まりだ。何とかやつに、何かを思いつかせたい。手段も答えも曖昧だが、どうにかしなくてはならん。何か考えはないか。良いアイディアを思いつくための策だ」
「ど、どうして私に……?」
「別にたいした理由はない。世間話のついでだ」
「あ、その」
久我山は俯いて考え込む。ほとんど会話をしたこともない人間からの、あやふやな疑問だ。適当に答えたって良いはずなのに、久我山はそれをしない。根が真面目な性格なのかもしれない。
「な、何か気分転換をするのが良いと思います」
「気分転換?」
「は、はい。だめな時はいくら考えても、だめなものです。そういうことは、きっと、誰にだってあります。だから、止まってしまったときこそ、焦らずに、いろいろなものを見たり聞いたりして刺激を受けるのが一番なんじゃ、ないでしょうか」
「ふむ。確かに、そういう話はよく聞くな」
「あ、ありきたりなアドバイスしかできなくて、すみません」
「……いや、そんなことはない。確かにお前の言う通りかもしれんな」
そう言うと久我山はほっとして微かに笑った。怯えていた猫が多少なついたようで、僕も安心する。礼を言って立ち去ろうとすると、久我山は猫背気味に、肩を縮こまらせながら頭を下げて僕を見送った。
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