第11話
「これなんかどうだ? ハリウッド式創作術」
「ハリウッドなんて行きませんよう」
「参考になるかどうかという意味だ。……まあ、違うかもしれんな」
手にした本を棚へ戻す。
僕と荻原は会議を中断し、図書室へやって来ていた。荻原のアイディア出しの、何か参考になるものを求めてだ。
学校の図書室程度とは言え、創作論や物語論、それに漫画の描き方に関する本は多少は置いてあった。こういう本が、何かアイディアを思いつくのに役立つかもしれない。もしくは、アイディアを思いつく方法を書いていてくれるかもしれない。二人で棚を眺めながらああでもないこうでもないと小声で話す。
「そもそもこういう本って、役に立つんですかねえ」
『猿でもわかる! 漫画の描き方!』という本を捲りながら荻原は呟いた。
「ネットだとよく書いてあるじゃないですか。こういう本買っても意味がないって」
「知らん。読んでみてから判断すれば良いだろ」
「うーん、でもいっぱいありますよ。どれが役に立つのか、誰か教えてくれませんかね。失敗したくはないですもん」
「何を持って失敗したかと判断するのは、自分だ。大抵のものは気の持ちようで面白くもなる。それに、つまらん本でも一言くらいは良いことが書いてあるかもしれないし、つまらないならつまらないなりに、価値がある。見る目が養われるからな」
「前向きですね」
荻原は気のない返事をして本を棚に戻すと、「お」と声を上げた。
「あっちに文庫本ありますよ。ちょっと見てきますね」
「おい。遊びに来たんじゃないぞ」
「いいじゃないですか。モチベーションですよ。それに、面白い本でも読んだら何か思いつくかも」
そう言って荻原は歩いて行こうとしたが、ちょうど棚の陰から出てきた人とぶつかった。
「わっ」
大きな声を上げて、背の低い荻原は倒れ込む。相手も尻もちをついたようだ。僕は呆れて近寄る。
「はしゃぐからだ。……おい、怪我はないか」
後半の気遣いは、ぶつかった方の人物に対してだ。
「い、いえ……。平気です。こちらこそ、す、すみません……」
謝りながら立ち上がったのは、長い黒髪の女子生徒だった。上履きの色からして、僕らと同じ一年生のようだ。
「ご、ごめんなさい。前見てなくて」
同じく立ち上がった荻原はぺこぺこと頭を下げる。それを見て、女子生徒は慌てた。
「あ、謝らないでください。私が、悪いんですから」
「いえ! そんな! わたしが急に飛び出したりしなければ……」
「私の方こそ……よく確かめてから、歩くべきでした」
「わ、わたしこそ……」
「おい」
いつまで二人してぺこぺこしている気だ。僕が声をかけると二人はハッとして顔を上げた。
「あ、えーと、それじゃあ、ほんとにすみませんでした……」
荻原は最後にもう一度だけ謝って、僕の方へ戻ってきた。文庫本の棚を覗きに行く予定はぶつかった拍子にど忘れしたみたいだ。僕も元の棚の所に戻ろうとしたが、
「あ……」
女子生徒は、立ち尽くしていた。校則通りに膝下まで伸ばしたスカートの裾をぎゅっと握って、ちらちらとこちらの顔を伺っている。荻原も振り返り、首を傾げた。
「あの、何か?」
「あ、その、えっと」
「なんだ。はっきり言え」
「神崎さん……!」
荻原は批難するように僕を見る。言い方を考えろと言いたいらしい。だが、僕は忙しいのだ。余計なことに構っている暇はない。
てっきり立ち去るかと思ったが、女子生徒は顔を上げ、決意を込めた瞳をして、言った。
「ほ、本を、お探し、ですか?」
黒髪の女子生徒は、名を久我山文香と名乗った。図書委員をしているらしい。はにかみ屋で、極度の上がり症でもあるのか、会話をするのがひどく苦手なのがわかる。先ほどから僕らの方を見ようとして、けどすぐに目を逸らし、しかし下を向いて話すのは失礼だと思っているからか、また顔を上げる。だがやはり、人の目を見ると緊張するたちなのか、また視線を逸らす、の繰り返しだ。
それでも無理をして話しかけてきたのは、さっきから僕らが本を求めてああだこうだ騒いでいるのを聞いていたかららしい。図書委員としての使命感が彼女を突き動かしたようだ。ご苦労なことである。
顔を真っ赤にして、つっかえながら話す久我山を見ていると、会話を続けようとするのがかえって気の毒になる。だが、今はその親切心をせいぜい利用させてもらうことにする。
「実はだな」
と、僕は切り出した。荻原が咄嗟に、「か、神崎さん」と諌めてくる。漫画を描こうとしているのを知られたくないのかもしれない。気にしすぎだと僕は思う。
「漫画を描こうと思ってる。だが、そのアイディアがなかなか思いつかない。なので、それに役立つものを探しているわけだ。何かないか?」
「ま、漫画、ですか?」
久我山は少し驚いた表情を見せた。荻原は隣で「あうー」と項垂れている。だから気にしすぎだ。
実際、久我山は笑いも深く追求もしなかった。
「そうですね……。それなら」
書架に手を伸ばすと、三冊ほどピックアップしてくる。
「こ、この辺りなんか、どうでしょう。プロの方が経験をもとに書いたもので、興味深い内容、でしたよ」
「ふむ……」
取り敢えず受け取っておく。
「あと、それから……」
呟いて、久我山は更に一冊抜き出した。
「こ、これは、小説家の方が書いた、小説の書き方の本なのですが、多少は、参考になる箇所があるかもしれません」
「小説の作り方がですか?」
荻原は不思議そうだ。久我山は頷いて、
「ま、漫画とは、実際の作業は全然違うとは思います。でも、アイディア出しの段階なら、やり方の一例が、ここには詳しく載っていました」
「はえー」
差し出された文庫本も僕は受け取る。久我山に渡された本が本当に役立つかどうかはともかく、彼女の話しぶりは整然としていて、嘘や適当を言っているようには感じなかった。
「今渡したのは、全部お前は読んだのか?」
「は、はい。昔ですけど」
僕は純粋に疑問を感じて呟く。
「詳しいな」
「え?」
「この本は、いわゆる創作論に分類されるものだろ。こういうものに、興味があるのか?」
「あ……いえ、その、そういうわけでは……ただ、本を読むのが好きで……。昔から、目についたものは何でも……読むので……はい……」
久我山はへどもどしながら必死に答えた。
「そうなんですか」
荻原は感心していた。
「すごいですねえ。わたし、字がいっぱい書いてある本って苦手で。たまにネットで見かけた本を買うくらいですよ。普段、どんなものを読んでるんですか?」
「い、いろいろ、たくさん……。本を読んでると、とても安心するから」
最後の方はほとんど独り言のような口調だった。けれどとにかく、久我山は、本を読むのが好きで、この創作論に関する本も以前に読んでいたらしい。読んだ人間が参考になると言っているのだから、借りてみるのも良いかもしれない。
「まあいい。とにかく助かった。これを借りていくことにしよう」
「は、はい。お役に立てて、何より、です」
久我山は深々と頭を下げて、逃げるようにその場を立ち去った。僕は荻原と目を合わせる。それからとにかく薦められた本を借りるべくカウンターへと向かった。
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