第7話
翌日、僕は少し後悔していた。昨日、余計なことを言ってしまったかと思ったからだ。だがまあ、順調に僕と荻原の距離が詰まっていると思えば悪いことばかりでもない。
しばらくは避けられるだろうが、その間にまた、新たな策を考えれば良い。そんなふうに気楽に構えて学校に行き、教室に入った。すると、
「か、神崎さーん……」
いきなり当の荻原が話しかけてきた。
「……どうした」
いくら荻原が阿呆で根性なしだからと言っても、たった一日で自らに課したであろう禁を破るのは早すぎやしないか。それとも僕の想像を超えた根性なしだったのだろうかこいつは。と、訝しみながら尋ねる。
荻原は泣きべそをかきながら答えた。
「た、助けてください」
「だからどうした」
「スケッチブック……知りませんか……?」
「なに?」
というと、あのスケッチブックだろうか。僕がこの間拾ったやつ。荻原がイラストを描くのに使っているものだ。
「そうです。昨日家に帰って鞄を開けたらなくなってて……」
「なくしたのか?」
「はい……。昨日、学校に来たときは確かにあったと思うんですけど……」
「ふむ……。帰り際はどうだ。持っていたか?」
「わかりません……」
荻原は力なく首を振る。ということは、学校の中でなくしたか、それとも帰り道でなくしたか。帰り道で鞄を開ける機会は少ないと思うから、なくしたとしたら学校の中だろう。
「わかった。探すのを手伝ってやろう」
「ほ、ほんとですか……!」
荻原の表情がパッと輝く。けれど、すぐにバツが悪そうに笑みを引っ込めた。
「あ、その、こんなこと、ほんとは頼めた義理じゃないんですけど……」
「まったくだ。よくもまあ昨日の今日でぬけぬけと話しかけてくる気になったな。厚かましいにもほどがあるぞ」
「あうっ……」
荻原は指先同士をつっつき合わせて、
「だ、だって、他の人には訊けませんよ……。あれ、中を見られたらまずいですし……」
「なぜだ。別に絵が描いてあるだけだろ。堂々としていれば良い。まあ、下手くそだし漫画をつまらんが……そこは甘んじて受け入れるしかないだろ」
「へ、下手くそって言わないでください! でも、やっぱりできるなら、知られたくないんですよ。絵なんて描いてるの、は、恥ずかしいんですから」
こいつ自身、僕に話しかけるのは相当に気まずかったのだろう。けれど、それをせざるにはいられなかったくらい、切羽詰まっていたのだ。あのスケッチブックはそれくらい、荻原にとって大事なものであり、同時に恥部であるようだ。
「あ! て、手伝ってくれるのは嬉しいですけど、だ、だからって、それとこれは別ですからね! あなたのことは嫌いなままですし、漫画も描きませんから! スケッチブックを見つけたお礼に……なんて言われても絶対やりませんからね!」
「ふん。心外だな。そこまでケチな人間じゃない」
スケッチブックを見つけ、お礼に漫画を描けなどと頼むつもりはない。……ま、それで荻原の気が変わったら、くらいの打算はあるが。
*
捜索は放課後に行うことにした…………のだが。
「ええいこの愚か者! 間抜け! ウスノロ! ちんちくりん!」
「ご、ごめ、ごめんなさーい!」
今度ばかりは荻原も反論するべき言葉がないのか泣いて謝った。
二人で捜索を行うはずが、英語の授業中に爆睡をかました荻原は、罰として放課後に居残りの勉強を命じられたのだ。課題のプリントを終わらせるまで教室を出てはいけないことを厳命された荻原は、当然スケッチブックの捜索にはいけない。
責めたてたって、何かが解決するわけでもない。僕は不満を押し込め、
「スケッチブックは僕が先に探しておく。お前はさっさとプリントを片付けておけ。わかったな?」
「は、はい……」
がっくり肩を落とす荻原を後にして、僕は教室を出た。
*
さて、まずはどこを探そうか。廊下に出て、考える。
学校の中を探すなら、昨日の荻原の行動をなぞるのが一番だろう。流石に荻原だって机の周りや教室の中くらいはよく探しただろう。ということは、それ以外の場所ということになる。
荻原の行動範囲を僕がすべて知っているわけではないが、クラスが同じで受けた授業も同じなのだから、ある程度はわかる。昨日、僕らが自分の教室以外に向かったのは、主に昼食の時と、それに移動教室が二回。
「ふむ……」
まずはそのあたりを回ってみるのが吉だろう。そう考えてさっそく移動を開始する。
*
美術室に行き、教師に頼んで中を見せてもらう。忘れ物をしたかもしれないから探させて欲しいといえば受け入れられた。だが、机の下もくまなく探したが、美術室にはそれらしいものはなかった。
次に物理準備室に行き同じようなことを試すけれど、これも空振り。
どうしたということだろう。移動教室で向かった先に忘れてきたというのはもっともらしく思えたのだが、外れていたようだ。簡単に見つかるものだと思っていた分、失望は大きかった。
さて、次にどうするべきかと考えて立ち尽くしていると、物理の教師が話しかけてきた。
「忘れ物って、どんなの?」
「スケッチブックだ。これくらいの」
と、手で大きさを示してみせると、教師は「あー」と頷いた。
「それなら、昨日掃除の子が見つけて届けてくれたよ」
「なに? 本当か」
「うん」
なら、早く言え。
「ちょっと待ってて。今持ってくるから」
「……待て」
教員室に入っていこうとする男性教師を僕は呼び止める。
「なんだい?」
「中は、見たか?」
「ううん。面倒だったしそのまま忘れ物入れに突っ込んだけど」
「ならいい」
教師は不思議そうな顔をしていた。
それから教員室の方からがさごそ何かを漁る音がして、思ったよりも待たされてから、教師は再び顔を出した。その手には何も持っていない。
「やー、その、悪いねえ」
「どうした」
……嫌な予感がする。
教師は困ったように頭をかいて、続ける。
「忘れ物は一ヶ月くらいはちゃんと保管して、誰も回収に来なかったら捨てるようにしてるの。だけどね、昨日ちょうど、結構前に忘れられた物をまとめて捨てたんだけど、いやー、そのときに君のスケッチブックも間違って入れちゃった。はは。ごめんね」
なん、だと……?
*
大急ぎで昇降口を出る。ゴミ捨て場は駐輪場のすぐそばにあって、そこに学校中から集められたポリ袋が投げ出されている。毎週二回、定時になると、回収のトラックがやってきて、すべて持ち出していく決まりだ。
そしてその回収の日は運悪く今日だったはずだ。トラックがやってくる時間が、確か午後六時。現在は五時を少し過ぎた頃。
全力でその場所までやってきて、息を整えてから顔を上げ、愕然とする。
積み上げられたポリ袋はおよそ五十近くはある。全学年各クラス、それに他の教室で使われる分を加味すれば当然これくらいの数にはなるだろうか。
この中から、物理準備室で捨てられた一つを見つけ出し、中からスケッチブックを回収しなければならない。
しかも、タイムリミットはあと一時間。
どうする、と立ち尽くし、そしてふと思う。
わざわざスケッチブックを回収しなくても良いのではないか。
普通に考えて、これだけのゴミ袋の中から一冊のスケッチブックを見つけ出すのはとても困難な作業だ。そもそも捨てられたゴミを勝手に漁るのは、後で説教ものだ。手間も暇もかかるし何より制服が汚れる。
だいたい、たかがスケッチブックだ。失くしたなら新しいものを買えば良い。荻原の懸念はそれが誰かに見られないかどうかだろう。もう確実に回収されて誰の目にも触れずに燃やされたと報告してやれば安心するかもしれない。
ならば、回れ右をしてこのまま帰るか。
…………いや。
僕の足は勝手に一歩前へ踏み出している。
スケッチブックは回収する。必ず。なぜなら、それは荻原の一部だからだ。
絵を描くとは、ものを作るとは何かというのを時々考える。なぜ、絵を描くのか。荻原はただの暇つぶしだと言うが、それだけなら他にいくらでも方法はある。その中でなぜあえて絵を描いているのか。
それに、荻原はスケッチブックを人に見られるのを嫌がっていた。どうしてそこまで嫌がるのか。
荻原は絵を描くことを、口ではどうでもいい、たいしたことのないとばかり言っているが、本当は違うのではないかと思う。やつは絵を描くことを恥ずかしがり、誰かに見られるのを極端に嫌がる。本当にどうでもいいことなら、そうはならないだろう。
絵を描くとは何か。ものを作るとは何か。僕はそれを、イメージを形にする行為だと思う。自分の中に眠る、何か曖昧なものを明確な形にして世の中へ放出する。それがものを作るということだ。だったらその時のイメージというのは、何なのか。自分の中の曖昧なもの。それらはきっと感情や思いというもので、自分にもはっきりしない、わけのわからないものの集合で、だけどそれは確かに自分の一部なのだ。
絵を描くという行為が何かを創造することであるなら。荻原の中に眠るイメージを想像し、実現するという行為であるならば。そこに描かれたものは、荻原の感情や思いの一部ということだ。それを失くすというのは、過去の記憶を失くすに等しい。スケッチブックに描かれたものは、荻原の一部なのだ。
だから、失ってしまうのはとても惜しい。
きっと荻原はスケッチブックは捨てられてなくなったと言っても、何も気にした様子は見せないだろう。荻原自身、たいしたことではないと思うかもしれない。けれど本当のところでは、心の奥底では、残念に思っているのかもしれない。
僕は、荻原に漫画を描かせると決めた。そのために、あらゆる手を打ってきたし、これからもそうする覚悟はある。荻原が描く気力を失わないよう最大限の努力をする義務がある。
これくらいのゴミの山が何だ。必ず、見つけてみせる。そう決めて、とにかく手近の袋を一つ、掴み取る。
*
見つけたそれを開き、パラパラと捲る。
「これは……」
そして僕はそのことに気がついた。
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