第6話
荻原と仲良くなりさえすれば、漫画を描いてくれるそうだ。
ま、確かに荻原の言うことはもっともだ。僕は自分が人に好かれるタイプだとは思っていないし、あそこまで頑になってしまった荻原の印象を覆すことも難しいだろう。とはいえ、他に方法を思いつかないのも事実なのだ。ここはとにかく、ダメもとでも何度もアタックをして、荻原の気が変わるのを待つしかない。僕と荻原の根気比べだ。
というわけで僕は荻原と仲良くなるためのあらゆる策を講じることにした。こういうものは、とにかく接触を増やすに限る。会話が発生しなければ、相手への印象というのは上がりもしないし下がりもしない。むしろ時間を置いただけ下がり続ける可能性もある。とにかく会って話す。やるべきことは、それだけだ。
掃除の時間。僕が担当の場所をすばやく終わらせて教室に戻ろうとすると、荻原が大きなポリ袋を二つ手にしてえっちらおっちら廊下を歩いていた。
「重そうだな。僕が一つ持ってやろう」
「結構です」
荻原はこっちを見もせずに拒絶する。
「そう言うな。その小さな体では二つも持つのは困難だろう。何しろポリ袋とほとんど背丈が変わらないからな。おい、大丈夫か? そのうちゴミ袋に詰め込まれて攫われそうだぞ。お前」
「余計なお世話ですよ!」
そう言って駆け出そうとして、慌てたせいか荻原は思い切り転んだ。やれやれとため息を吐き、僕がゴミ袋を一つ取るのを荻原は悔しげに睨みつけていた。
帰りのホームルームが終わると、僕はすばやく荷物をまとめて教室を出る。そして靴を履き替えそこで待機する。脇を、下校する生徒たちが通り過ぎていく。少し待つと荻原が姿を現した。荻原は僕に気がつき顔をしかめる。
「げ。出た!」
「人をおばけみたいに言うな。さあ、帰宅するぞ。最近は物騒だからな。お前みたいなちんちくりんが小学生と間違われて誘拐されないよう、家まで送ってやる」
「とっ捕まえて欲しい人は目の前にいるんですよねえ!」
僕らは仲良く並んで帰宅する。
*
そんなふうにして、一週間ほどが経った。ある日の放課後、僕は荻原と二人、帰りの駅へと続く道のりを歩いていた。
この辺は郊外で、街から活気というものが失われて久しい。それでも駅前だからそれなりに人は多く、それに時間帯もあってか、学生服姿の人間が多かった。
今歩いている所は、昔は商店街であったようだが大概の店は閉まっていて、見かけるのはコンビニエンスストアなどのチェーン店ばかりだ。
「荻原芳子よ」
「…………」
「荻原」
「…………」
「ちんちくりん」
「ちびじゃないです!」
歩きながらここ一週間で恒例になりつつあるやりとりをする。無理やり荻原の後をつけていくと、向こうははじめこちらを無視するのだが、僕はとにかくめげずに話しかけ続けるのだ。話す内容は様々だ。毎日漫画の話をしているわけではない。あんまり押してばかりではうんざりされるだけだし、とにかく今は荻原との会話を増やすことだけを目的にしていた。
そうしているうちに、荻原の方も諦めてか、徐々に雑談に乗っかってくるようになった。
「……お前、英語の時間寝てただろ」
「……あ、ばれました?」
「思い切り突っ伏してたからな。もう少し隠そうという意思はないのか?」
「好きで眠ってたわけじゃないですもん。眠くなりませんか、あの先生の話し方?」
「別に。僕は基本的に教師の話なんて聞いていないからな。いつだって退屈で眠りそうだとも言える。誰が話していても関係ない」
「えー。そんなのでテスト大丈夫なんですか?」
「愚問だな。テストなんて、コツさえ掴めば余裕だ。あんなもの、授業を聞いていようがいまいが関係ない」
「嫌味な人ですねえ……」
「お前こそ、テストはピンチだろう。見るからに頭が悪そうだからな」
「ぐぬぬ……。見るからには余計です……」
「頭が悪いのは事実なんだな」
「せ、成績は良くないですけど……。でも、あなたにとやかく言われたくない……!」
さらに数日後。同じような帰り道。
「荻原芳子よ」
「……なんですか」
「お前、趣味はなんだ」
「別に……。漫画読んだりとか、そういうのですけど」
「どんなものが好きなんだ」
「言ってもわかりませんよ、きっと。ていうか、なんでそんなこと聞くんですか」
「話を合わせようと思ってな。同じものを読めば、会話の種になる。そうすれば、仲良くなれるかもしれん」
「そういうの、本人に言います? まあ、別にいいですけど……。えーと、タイトル、いくつか紹介しますね」
「待て。メモを取る」
「本気なんですね。どうしてそこまで……」
「お前と仲良くなりたいからな」
「うーん、何なんでしょう。良いこと言ってるはずなのに、全然嬉しくないのは不思議ですねえ」
さらにさらに数日後。またまた、同じような帰り道。
他愛もない無駄話を続ける。話題はいくつも切り替わって、昨日読んだ小説がどうだったかなんていう話を荻原は熱心に語り始めた。
「推理小説だったんですけど……面白くて眠らずに読んじゃって。わたし、普段はあんまりそういう話は読まないんです。だって、なんか怖そうじゃないですか。でも、ネットで評判になってたから買ってみたんです。まだ若い新人さんなんですって。それで、とにかく面白くて夢中で読んじゃって……。すごいので読んで欲しいっていうか……もー。やばい……」
「語彙が貧困すぎてまったく何も伝わって来ないぞ。プレゼンをするならもう少し知識をつけてから出直してこい」
「いやー、だって感動しすぎると返ってすごいとかやばいとかしか言えなくなるの、ありませんか?」
「ふむ。まあ、わからんでもないがな」
「…………事件の内容もそうですけど、キャラクターが良いんですよね。探偵役の女の人が魅力的で。いいですよねえ、見た目も良くて頭も良い女の人なんて。憧れちゃいます。……あ、今お前には無理だーとか言おうとしましたね。ほっといてくださいよ。いいじゃないですか憧れるくらい」
「……」
話を聞きながら、僕はふと疑問を感じ始めた。
「いやあ、ほんと良かったんで。凄かったんです。神崎さんも読むといいですよ。ほんとに、おすすめです。はい。タイトルは……」
「……」
「……あれ? 聞いてます。おーい。どうしたんですか。ぼけっとして。あ、普段人のこと頭の回転がのろいとか馬鹿にしてるからバチがあたったんじゃないですか? やーい、神崎さんのウスノロ! ちんちくりん! 傲慢チキ!」
「……なあ、荻原よ」
「はい?」
荻原はきょとんと首を傾げた。
「お前、普通に話してるな」
「え?」
ぽかんと間抜けに口を開けて、荻原はしばらくその場に静止した。沈黙が僕らの間を支配する。壊れたラジオのように静かだった荻原は、唐突に息を吹き返し、
「…………はっ!」
慌てて数歩後ろに下がった。そして悔しげに唇を噛み、
「ぐぬぬっ……。ひ、卑劣な罠に引っかかってしまった……」
「いや、それは、違うだろう……」
僕もすっかり呆れて言う。
確かに荻原芳子と仲良くなるべく策を講じたが、まさかここまで簡単に事が進むとは思っていなかった。
仲良くなったかどうか……は、わからないが、僕と荻原は連日の強引な誘いが功をなしてか、いつの間にか、普通に雑談をするくらいの関係にはなっていたようだ。
「ち、違いますよ。これは、その、しゃ、しゃべる相手が、いなかったから、たまたま、たまたまです! どうしても感想を言いたいときってあるじゃないですか! それで仕方なく、神崎さんに話したんです。本当は壁でも良かったんですよ! 壁に向かって感想を言うよりはほんの少しだけマシかなって、それで、仕方なく! 神崎さんは壁です。壁の代わりです!」
「言ってくれるなちんちくりん。だが、まあ、いい。特別に許してやろう。しかしこの際だ。訊いておこう。お前、僕と一緒に……」
「それはだめです。だめー!」
「強情なやつ……!」
「だ、だってまだ全然仲良くなんてありませんから。言ったでしょう。今のは仕方なく話しかけただけ。本当なら、あなたの顔を見るのも嫌なんです。だから、金輪際、わたしに近寄らないでください!」
そう言って、荻原は脱兎の如く駆け出した。僕はわざわざ追いかける気力はなくて、小さくなる背中を見送った。
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