第4話
荻原芳子という女について調べよう。
ひとまず、知っている限りのことをあげる。
やつは僕と同じクラスだ。今まで話したことはなかったが、姿くらいは見かけている。地味で目立つようなタイプではない。いつも教室の隅っこで、仲の良い何人かとお喋りをしている。授業中は時々眠っていることもあるから、たぶん成績は良い方ではないだろう。まあ、それは顔つきからして予想できるが。
現時点でわかるのはそれくらいか。とにかく僕はやつに漫画を描かせたい。そのために、早速行動することにした。
翌朝。僕が学校の靴箱の前で待っていると、ようやく荻原はやってきた。
「遅かったな」
「げ……」
顔をしかめるのを隠そうともしない。
「なんだその反応は。クラスメイトに会ったんだ。挨拶くらいするのが礼儀だろう。おはよう荻原芳子。今日も良い天気だな」
「……っす」
荻原はコンビニ店員のいらっしゃいませと同じくらいわかり難い声で「おはようございます」と言った。
僕を無視して靴を履き替えようとする荻原の背後につく。
「ふむ。まあ、そう邪険にするな。一緒に教室まで行こう」
「いやですよ。ていうか、なんでここにいるんですか」
「お前を待ってた。話がしたくてな」
「話って、どうせろくでもないことでしょ」
「ろくでもないことなど、僕は言わん。時間がもったいないからな」
「なら、わたしに話しかけないでくださいよ」
「お前と話すのは、無駄ではない。頭の回転が遅くて効率は良くないが、必要なことだ」
「なんで朝から罵倒されてるんですか、わたし?」
「阿呆だからだろう」
「帰ってください!」
荻原はキレた。僕の背中を昇降口の扉の方へ押し出そうとする。
「やめろ。上履きが汚れる!」
「えーい、何なんですかあなた。朝から待ち伏せした挙げ句にむかむかすることをべらべらと! もう本当来ないでくださいよ!」
「同じクラスだ。一年間顔を合わせることになってる。よろしくな」
「ぎゃー!」
悲鳴をあげて荻原はその場に崩れ落ちる。この女、ちょっと面白いな。
「ほら立て。遅刻するぞ」
「うう……」
涙を浮かべる荻原の手を掴んで強引に立たせると、並んで教室まで向かう。階段をのぼる道すがら、話しかける。
「話というのは、昨日の続きだ。僕と一緒に漫画を描いてみようじゃないか」
「その話ならもうしましたよね? わたしは、やらないって何度も言ったじゃないですか」
「一日経って、気が変わったということはないか?」
「ありません! 何日経っても一緒です」
「ふむ。ならお前はこれから一生、漫画を描くことはないというんだな? 誓って、絶対!」
「なんですかその小学生みたいなセリフ。違いますよ。あなたとやる気はないって言ってるんです。漫画は……まあ、気が向いたら描くかもしれません」
「ふん。あのつまらんやつをか」
「つ、つまらないって言わないでくださいよ!」
「面白くないから面白くないと言ったまでだ。訂正させたいなら、僕が面白いと思うものをもってこい。それに、気が向いたら描くと言うなら今やってみたっていいじゃないか。暇なんだろ」
「決めつけないでください。暇じゃないです」
「どうせ部活もバイトもやってないだろ。家に帰ったってアニメでも見るか漫画でも読むか、それともネットサーフィンか夜中までSNSでさえずってるだけだろう?」
「なっ……そ、そ、そ、そそそそんなことないですもん!」
「気色悪い喋り方をするな。どうやら図星みたいだな」
「ぐぬぬっ……」
荻原は拳をぎゅっと握りしめて僕を睨みつけた。
「その時間を使って少しの間本気で漫画を描いてみないかと言ってるんだ。漫画家になれとは言ったが、別にずっと付き合えと言うわけじゃない。何なら、一回だけでも良い。一つの作品を僕と二人で仕上げてみる。ま、部活もどきみたいなものだ。お前だって趣味でイラストを描いてるくらいだ。真面目に漫画を描くことに興味がないわけじゃないだろ。それに、今は春じゃないか。天気も良い。新しいことを始めるにはちょうど良い季節だとは思わないか」
「いやです」
荻原の返事はにべもない。
「なぜだ」
「なぜ? わからないんですか。あのですねえ、漫画を描くのはそりゃ興味はありますよ。ぼちぼちうまくなったら良いなあくらいには思ってます」
「だったら……」
「ですけど!」
タッタッタと荻原は階段を駆け上がる。そして上から僕を見下ろして、びしっと指を突きつけた。
「あなたと一緒にはやりません! なぜなら、あなたのことが嫌いだから、です!」
くわんくわんと荻原の甲高い声が踊り場に響き渡る。タイミング良くチャイムが鳴った。間延びした鐘の音の合間、僕らは向かい合う。むむむ、と唇を震わせていた荻原はやがてバツが悪そうにそっぽを向くと、教室に向けて駆けて行った。
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