第2話
軽く自己紹介をしておこう。
僕の名前は神崎貴。高校一年生。両親二人と僕の家族三人暮らし。姉がひとりいるが、今は東京の大学に行っているので、家には住んでいない。
「…………それで?」
「それで? そうだな……オムライスが好きだぞ」
「いや、それはどうでもいいんですけど……」
翌日の昼休み。僕は学校の食堂にやってきていた。広々とした清潔な空間で、長テーブルがいくつも並べられている。対面には荻原芳子。たまたま出くわし、これ幸いと話をすることにしたのだ。二人共一番安いうどんを頼んでズルズルと食べている。
昨日は結局、荻原は僕の誘いに返事をすることもなく、スケッチブックだけを奪って帰ってしまった。いろいろ聞きたいことがあったらしく、荻原は話しかけてくる。
「そうじゃなくて、昨日のあれですよ。その……あれ」
「漫画のことか?」
「そうです。その、どういう意味なんですか。さっぱりわからないんですけど」
「なぜだ? 頭が悪いのか? そのままの意味だ。お前、漫画家になる気はないか。あるなら、僕が手伝ってやる」
「それが、よくわからないんですけど……。いえ、わたしの頭が悪いからではなくて! どうしてそんな話がいきなり出てくるんですか」
「ふむ……。イエスかノーか、返事を先に聞きたかったが、まあいいだろう」
僕はうどんを食べる手を止めて、水を飲むと、説明してやることにした。
「僕は、常々考えていたんだ。優秀な僕は、何をなすべきなんだろうとね」
「は?」
「僕は自慢じゃないが、顔も良いし、成績も良い。およそほとんどのことは要領良くなしとげる頭脳もある。だがその能力を自分のためだけに使うのはどうなんだろうとね」
「頭おかしいんですか?」
「聞け。それでだな、考えたんだよ。僕が何をなすべきか。それで一つ思いついたことがある。それはだな、自分の力を人のために使うことだ。そう、例えば人を育てるとか」
荻原は首を傾げている。見るからに鈍臭そうなこの女はやはり頭の回転も相応にのろいのだろう。
「人を育てる……?」
「そうだ。導くと言っても良い。お前のように見るからにトロそうで、どうしようもないほどに残念な頭が顔つきに現れてしまった哀れな人間をだな、僕が導く。優秀な僕が育ててやるということだ。どうだ。素晴らしい思いつきだとは思わないか?」
「頭にうじが湧いているとしか……」
「ふっ。やはりぼんくらには理解されないか。まあいい。とにかくだ。優秀な僕が、お前を育ててやろうと言っているんだ。お前は見るからに人生に潰しが効かない顔をしているが、安心しろ。僕がお前を、漫画家にしてやる。そうしたら、お前はハッピー。僕は善行を一つ成し遂げることができてハッピー。どうだ。ウィンウィンな関係だろ」
「怪しい勧誘にしか思えない……」
荻原はため息をついて、もそもそとうどんを食べる作業に戻る。麺をすすり俯いたまま言う。
「そもそもわたし、別に漫画家になりたいとか思ってないんですけど」
「ふむ。そうなのか?」
「はい。そりゃあたまに絵を描いたりはしますけど。でも別に、本気で漫画家になりたいとか、思ったことないです」
「だが、他にやりたいことでもあるのか?」
「それは……」
荻原は一瞬手を止めたが、すぐにまたうどんに戻った。
「まだ、よくわかりません。将来なんて、だってまだ高校一年生ですよ。そんなこと考えている人、いないと思います」
「まあな」
先のことは、先にしかわからない。未来についてあれこれ考えて、気を揉み続けるなんて、阿呆のすることだ。
「だから、漫画家になれ、とか言われても困ります。……そもそも、えっと、神崎さん、でしたっけ。あなた、漫画とか描いたことあるんですか?」
「ない」
「……絵は?」
「ほとんどない」
「だめじゃないですか」
荻原は呆れた眼差しを僕に向ける。
「なぜだ。絵を描いたことがなければ漫画家を目指してはいけないのか?」
「いや、知りませんけど。でも、少なくとも、わたしを育てるって言ってる人が、経験なしじゃ意味がないと思うんですけど。教えられるようなこと、何もないじゃないですか」
「そんなことはない。僕は優秀だからな。言えることはいくらでもある。それに、一人でやるより二人でやった方が、気づけることもあるだろう」
「無駄に自信満々ですね……。でもとにかく、わたしは別に漫画家になりたいとか思ってないんで、必要ないです。神崎さんの指導とやらは」
すげなく言って、荻原はお椀を持ち上げ汁を飲んだ。僕は少し悩み、頷く。
「まあいい。今日のところは引き下がろう」
「いえ、今日のところって……これからずっとやる気はないですけど」
「ふっ。未来のことなんて誰にもわからないさ。何より、自分のことはな。まあ、僕は別だが」
「……あの」
荻原はぽつりと言った。
「一つだけ訊いてもいいですか」
「なんだ」
「……どうしてそんなに、偉そうなんですか?」
「決まってるだろ。僕だからだ」
その答えに、荻原は問い返す気力もなくしたようで、深々とため息をついた。
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