終章:そして英雄へ――‐②

 オレは全身の血が沸き立つのを感じた。

 こいつがすべての元凶。スレイナの暗殺を指示し、この戦争を引き起こした張本人。

「わざわざそっちから出向いてくれるとはな。ちょうどいい。あんたを倒して、この戦は終わりだ」

「無駄だ。私が斃れても百人の同志が跡を継ぐ。お前たちはこの包囲から逃れられない」

 キュロスの背後には、漆黒の外套を着た者たちが控えていた。

 どいつもこいつも復讐に燃えるような目をしていて、他のナバタイ騎兵とは明らかに雰囲気が違う。キュロスが同志と呼ぶ者たちらしかった。

「ベテルギウス、私の同志にならないか?」

「……!」

「お前をここで殺すのは惜しい。もし、今からでもパルミュラ再興のために力を貸してくれるというのなら、これまでの罪は水に――」

「断る」

 キュロスが一瞬、面食らった鶏のような顔をした。

「即答だな」

「当然だ。あんたらは私怨を晴らすためだけにローマ軍を祖国に引き込んだ。そんな愚か者どもと手を組もうだなんて、まっぴら御免だね」

「この国は間違っている」キュロスは言った。「パルテミラの男たちは生まれながらにして悪人のような扱いを受け、帝都に入ることも許されず、政からも遠ざけられ、一生を日陰者として生きていかねばならない。我々は、女による不当な支配を打破し、この国を正しく導くために戦っているのだ。決して私怨を晴らすことだけが目的ではない。お前も男ならば、分かってくれると思ったのだがな……」

 ―――歴史が、繰り返されようとしている……

 まったく、ゼノビアの言った通りになった。

 パルテミラの建国者セミラミスは、女たちの中に燻っていた不満を利用することで、革命を成功させた。皮肉か単なる偶然か、キュロスはその歴史をなぞろうとしている。

 因果応報ではある。だが、オレにはどうしても許せないことがあった。

「どうしようもない阿呆だな、お前は」

「なんだと……?」

「ローマが敵対者にどんな仕打ちをしてきたか、知らぬわけじゃあるまい。脅威となる敵に対して、ローマは無慈悲だ。滅ぼされた国のいくつかは、都市を徹底的に破壊し尽くされ、大地に塩が撒かれ、人は殺されるか奴隷として売り飛ばされた。パルミュラ時代から因縁のあるこの国を、ローマがただで済ますはずがない。そんな奴らを、お前はむざむざこの地に引き入れたんだ」

 キュロスの顔が険しさを増した。殺気が砂漠の熱風のように吹き付けてくる。

「お前は、この国を正しく導くために戦っていると言ったが、これが正しいことなのか? かつての栄華など見る影もないくらいに荒廃した大地に、王国を築こうとでもいうのか?」

 長い沈黙。やがてゆっくりと面を上げたキュロスが、低い声を震わせた。

「お前は……お前はこの国がこのままでいいのか!?」

「いいとは思わん」

「だったらなぜ……!」

「国を離れて、こそこそ暗躍してたあんたには分からないだろうがな、この国は今まさに変わろうとしている。テシオン唯一の男であるこのオレが、肌で感じていることだ。ゼノビアなら、あんたの言うこの国の間違いも正せると、オレは信じている」

 キュロスの表情から、急速に熱が引いていった。

 オレを見据える目は冷淡で、しかし殺気はむしろ増したようにも感じられる。

「随分と偉そうなことを……所詮はよそ者。我々とは分かり合えないようだな」

「そうかもな……オレはあんたらの苦労を知らない」オレの方も落ち着きを取り戻し、小さくため息をついた。「いろいろと話したが、結局のところオレは、今の楽しい生活を壊されたくない。その気持ちが一番なんだろう。だが確かに言えるのは、オレが、お前たちの中の誰よりも、この国を愛してるってことだ。ここは譲らねぇぜ」

 話はここまでだった。

 周りもそれを感じ取ったのだろう。合図があったわけでもないのに、誰からともなく戦闘態勢に戻っていた。

「ああ、そうだ。あんたのために一つ言っておこう」戦いの火ぶたが切られる前に、オレは釘を刺しておいた。「ジェロブに怪我一つでも負わせたら、パルテミラ全土の民を敵に回すことになる。せいぜい気を付けることだ」

 それはキュロスに向けた言葉だったが、まったく違うところで反応が起こった。

「なにっ!? ジェロブがいるのか?」

「どこだどこだ?」

 キュロス自慢の同志たちが騒ぎ出した。テシオン幼精歌劇団の公演を見に来た女たちのように、興奮した様子で。

 お前ら……意外と気が合いそうだな!

 考え方は違えども、ことジェロブのことに関しては、こいつらはお仲間のようだ。

 敵が目的を忘れて騒いでいる隙に、オレたちは逃げ出した。

「お前たち、なにをぼさっとしている!? 追え! 奴を逃がすな!」

 多分、キュロスもぼさっとしていたんだろう。遅れて指示を出すと、自らも先頭に立って追撃を始めた。その時には、雷光騎兵が包囲の一角を大きく突き崩している。

 キュロスと対話している間に、雷光騎兵は回復魔法ではどうにもならなかった呼吸を整えることができた。狩猟豹に慣れてきた敵の馬も、活力を取り戻した狩猟豹の群れに迫られればひとたまりもない。騎手の意に反して、道を開けてくれた。

 問題は重騎兵だ。雷光騎兵のあとに続けば一直線に進むことができたが、ほとんど裸馬同然のナバタイ騎兵には、どうしても追いつかれてしまう。

 オレは殿になって、敵の追撃を食い止めた。

 簡単な相手ではなかった。ナバタイ騎兵はハエのようにオレに群がり、三日月のように湾曲した刀で次々に斬りつけてくる。なかなか反撃の隙を与えてはくれない。

 なんとか五人目までを馬上から斬り落とした時、オレの胸を矢がかすめた。

 矢を放ったのはキュロスだった。目が合うや否や、すぐさま三日月状の刀に持ち替え、突進してきた。

「貴様は私が直々に地獄に叩き落としてくれよう」

「地獄か……帰り道があるのなら行ってやってもいいぜ。スパルタクスとどっちがキツイかな」

「寝言は死んでから言え!」

 キュロスの手首が旋風を起こした。

 ギャリィン!

 剣と剣がぶつかった瞬間、刃が滑ったような感触があった。自由になったキュロスの刀が、小さく弧を描いてオレの横っ腹を狙う。オレは肘にはめ込んでいた丸盾で、その斬撃を弾いた。

 独特な剣術だった。ナバタイに潜伏している間に身に付けたのだろうか。小さな円を描くように振り回されるキュロスの剣は、流水のように滑らかで、止まることを知らない。防御を滑り抜けた剣は、しばしばオレのお気に入りの鎧を傷つけた。

 こんな奴に負ける気はしなかったが、これ以上手こずっていたら死ぬのはオレの方だ。オレは長剣をキュロスの顔めがけて突き出し、奴がのけぞった隙に馬の尻を向けて逃げ出した。

 ところが、この時にはすでに、オレは黒ずくめの男たちにほぼ包囲されていた。遠巻きに矢を射かけられ、ともに殿を務めた重騎兵が一人、また一人と脱落していく。追いついたキュロスが、オレを狙って弓を引き絞っているのが見えた。

 退き時を誤ったか――そう、思った時のことだった。

 一筋の雷光が、オレの横を疾り抜けたように見えた。

 雷光はジグザグに進みながら、黒い包囲網を蹴散らし、弓を構えたキュロスを襲った。

「あっ!?」

 オレのことしか眼中になかったキュロスの間抜け野郎は、反応が遅れた。両手に弓矢を持っていたおかげで防御もできず、繰り出された二つの斬撃を馬体と太ももに受けて、派手に転倒した。

「エミール、なんで戻って来た!? 先に行けって言っただろ?」

「お前がもたもたしてるからだよ! オレにあんなこと言っといて、自分は死ぬ気かよ!? ふざけんな!」エミールは反転して、またオレの横を駆け抜けた。「早く行くぞ!」

「はぁ……」

 返す言葉もない。

 エミールにこんな剣幕で怒られたのは、本当に久しぶりだった。ちょっとカッコつけすぎたか……

 包囲を突破する中で、オレはエミールの剣術の冴えを目の当たりにすることとなった。

 狩猟豹に跨りながら双剣を振るえるのは、エミールしかいない。話には聞いていたが、実際に目にすると、どれだけ神がかったことだったのかに気付かされる。両手を放しているにもかかわらず、激しくうねる狩猟豹の背の上でも、エミールはまったく体勢を崩すことがなかった。

 引退が近いのが、本当に惜しまれる……

 これがエミールの、雷光騎兵としての最後の輝き。

 遠くで角笛の音がした。これは攻勢の合図。オレは勝利の時が近いことを知った。

 前方にはもう、味方の歩兵の列が見えていた。あと少し――

 ドンッ

 妙な衝撃が、鞍から伝わってきた。

 途端に馬が歩調を乱し、オレを乗せたまま枯れ草の中に倒れ込む。

「エロース! どうしたエロース!?」

 受け身を取って着地したオレは、愛馬の尻に矢が刺さっているのを見た。

 後ろを振り返ると、今、弓を放ったばかりのキュロスが迫って来るのが見えた。

「チィ……しつこい奴だ」

 びっくりして立ち止まったエミールに、オレは言った。

「エミール、先に行ってろ」

「だから何度も言わせんな。お前を置いていけるかよ」

「アルルの体力はもう限界だろ。オレに構ってる場合じゃない。早く行け」

「嫌だ!」

 頑なに拒むエミール。オレから離れることが不安で仕方がないようだった。

「まったく、この……甘えん坊が……!」

 追いついたキュロス直属の配下たちが、オレたちの退路を断とうとしている。

 徒歩になったオレを庇いながらでは、エミールも満足に戦えないだろう。

「キュロス、もう一つ忠告しておく」オレはキュロスの頭に、もう一本釘を刺しておいた。「こいつを傷つけたら、パルテミラの全ての民とまではいかなくとも、半分は敵に回すことになる。気を付けることだな」

「貴様に言われなくとも、部下には無闇に幼精を殺さぬよう言いつけてある。安心して逝け!」

 言うと同時に、キュロスは馬腹を蹴って突進してきた。

 オレは剣と盾とを構えて、キュロスを待ち受けた。一撃で決めてやるつもりだった――

 ローマ本軍の方から、連続したラッパの音が響き渡ってきたのは、その時のことだった。

 オレたちを取り囲んでいた敵の顔が、みるみるうちに蒼ざめていった。

 ローマ軍の撤退を告げる合図だった。

「マンティコラスの腰抜けめが……!」

 忌々しげに、ローマ軍総帥の名をつぶやくキュロス。

 この瞬間、彼の野望は打ち砕かれたのだった。

「キュロスよ……お主の負けじゃ」

『音響魔法』が、鷹揚な女の声を運んできた。

「お主が雷光騎兵に手を焼いている間に、ローマ軍は崩壊したぞ」

 パルテミラの軍列の前に、女帝ゼノビアが馬を立てていた。

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