終章:そして英雄へ――‐①

 考えてもみれば、無謀なことだった。

 雷光騎兵は二百騎。対するナバタイ騎兵はまだ二千はいる。いくら相性がいいとは言え、十倍する敵の中に突っ込むなんて……ヴェルダアース隊のような精鋭ならともかく、女帝のお飾りにも等しかった雷光騎兵が、戦術的な理由だけでそれをやるだろうか?

「こんなつもりじゃなかったんだ」泣き出しそうなジェロブ。「威嚇するだけにしようって言ったのに、繰り返すうちにエミールがだんだん無茶するようになって……」

「話はあとだ! すぐ探しに行くぞ!」

 まだ状況も感情も整理できていなかったが、ここで嘆いてばかりはいられなかった。オレは敵陣の方へ馬を進め、ジェロブたちもそれに続いた。

 エミールの馬鹿野郎! 一体なにを考えているんだ!? ジェロブを泣かせるなんて!

 最悪の予感が、脳裏をよぎる。

 最後に見た、どこかぼんやりしたようなエミールの顔。

 思い返せば、あの時から少し様子がおかしかった。

 エミールは死ぬ気だ。

 あいつは、永遠の幼精になるつもりなんだ。

 オレが気付かなかっただけで、本当はまだ、エミールは幼精と男の狭間で苦しんでいたのかもしれない。雷光祭ですっかり気が晴れたと思っていたのに、有終の美でめでたしめでたしと思っていたのに、まだエミールは……

 理想とする幼精の姿のまま、戦場で華々しく散ることが、お前の望みだというのか?


英気の泉エン・マクマーナ!』

 ジェロブが杖をクルッと一振りすると、色鮮やかな光の帯が、味方全体を包み込んだ。

 身体の奥底から力が湧き、連戦の疲れが取れていくようだった。愛馬の足取りも、心なしか軽くなったように感じる。

 オレは五十騎ばかりの重騎兵を率いて、ジェロブたちのあとに従った。

 雷光騎兵は向かうところ敵なし。迫られた敵の騎馬は逃げ散り、そのおかげでオレたちはほとんど敵と剣を交えずに進むことができた。

 重騎兵の馬は普段から見慣れているからか、味方の狩猟豹を恐れはしなかった。オレの馬も、行軍中にジェロブのアルルと、恋人と呼べるくらいには親しくなった。ジェロブ曰く、元来狩猟豹は体格の大きい馬は襲わないんだとか。

 ところがそれは、相手にとっても同じだった。

 敵陣の中を進むうちに、雷光騎兵に接近戦を仕掛ける敵が多くなった。特に回復役のジェロブが集中的に狙われている。

 誰だ! 今ジェロブに矢を射かけた奴は!?

 お前か? いや、お前だな!?

 オレは手当たり次第に弓で反撃した。気が済むまで矢を放ったあとは、ジェロブに近い奴から順に斬り飛ばし、永遠にジェロブに近付けないようにしてやった。

 ジェロブに剣を向けるなんて……お前ら、人間じゃねぇ!

 そうしているうちに、馬も人もオレを恐れて、距離を取るようになった。

 ジェロブしか眼中になかったオレの目が、新たな騎影を捉えたのは、その時だった。

 狩猟豹が一匹……狩猟豹が二匹……人馬の群れを突き破って、続々と雷光騎兵が飛び出す。間違いなく、はぐれていた一隊だ。その中に――

「エミール!」

 無我夢中で突っ走っていたそいつは、弾かれたようにビタリと止まり、振り返った。

「ベテルギウス!? なんでお前が……」

「なんでじゃねぇよ! お前を助けに来たに決まってんだろ!」

 オレというこの上なく頼もしい助っ人が来たというのに、エミールに喜びの色はなく、深い後悔と罪悪感に打ちのめされたような顔をしていた。

「なんでこんな無茶なことをしたんだ。お前、死ぬ気だったのか?」

 うつむき、相棒フワワの首輪をギュッと握り締めるエミール。オレは続けて言った。

「お前が雷光騎兵でいられる日はもう長くない。逸る気持ちがあるのは分かる。この先のことを考えると、辛くなるのも分かる。けど、だからって死にに行くのは――」

「違う!」

 エミールが吼えた。

「オレはただ、雷光騎兵の隊長として、やるべきことをやっただけだ。確かに、無茶な作戦だったとは思うよ。でもオレがためらってパルテミラが負けたら、絶対後悔するから……勝つために命を懸けるのは、戦士なら当然のことだろ!?」

「!」

 なんと言い返してやればいいのか、分からなかった。

 スパルタクスでは戦場での死こそが至高の名誉とされ、オレ自身も、カルデアの戦いでは部下をそう導いた。蛮勇であるには違いないが、エミールの行動は、スパルタクスであれば称賛されるべきものだった。

 しかしオレはもう、あの時とは違っていた。エミールを死なせたくない。

 エミールに付き従っていた雷光騎兵の一人が、オレの気持ちを代弁してくれた。

「馬鹿。お前のは死に急いでるだけだ。部下を置いて、一人で突っ走ってんじゃねぇよ。隊長としての自覚が足りないんだよ。自覚が」

 燃えるような赤髪のちっちゃい幼精――アルバロスだった。

「死んだら許さないからな。お前には、雷光祭の借りがある。こんな所で死なれたら、オレは一生お前に勝てなくなるだろうが」

 お前、たまにはイイこと言うじゃないか!

 生きて帰れたら、ご褒美にほっぺムニムニしてやるぞ!

「エミール。勝つために命を懸けようっていうその意気は認めてやる」

 オレの方からも、エミールの馬鹿野郎に言ってやった。

「だがな、今回ばかりは、それはオレの役目だ。お前が命を張るにはまだ早い。一人前の戦士になる前に、お前はまず、女帝が惚れ込むぐらいのいい男になれ」

「なんで女帝陛下なんだよ!?」

「好きなんだろ?」

 エミールの顔が、みるみるうちに紅潮していった。

「はぁ!? 違うし!」

「じゃあ嫌いなのか?」

「そういうことじゃねぇよ! 陛下には恩があるし、尊敬しているけど……別に好きだとかそんな……」

 話の途中で襲ってきた不躾な敵をぶった斬って、オレは言った。

「だったら、その尊敬する陛下の期待に応えてやれよ。今ここで死ねばそれまでの男だ。陛下が期待してるのは、そんなことじゃねぇだろ。お前は、今よりもっといい男になれる。もっと強くなれる。半幼精のお前ならな」

「!」

 純粋な幼精としてのエミールは、もうすぐ終わる。

 だが、それですべて終わりではないのだ。エミールはまた新しい、より強い自分を見つけるだろう。いずれオレと肩を並べる日が来るまで、死なせるわけにはいかない。

 突然、群がっていたナバタイ騎兵が攻撃をやめた。

 オレたちから離れ、綺麗な包囲の円を描いて静止した。

 人馬の列の間から、一人の男が進み出た。

 男は頭に白いターバンを巻き、鼻筋高く、クルミのむき身色の肌をしている。顔にはまだ若さも残るが、何十年もの年月を戦場で過ごした、老将のような風格も漂わせていた。

「その小勢で我が軍勢に挑むとは、大した度胸だ。そこの男。お前が噂のベテルギウスか?」

「いかにも。そういうあんたは、噂のキュロスで間違いないな?」

「ああ。私がキュロスだ。ティリオンが世話になったそうだな」

「なに、礼には及ばんよ」

 暗く光る瞳で、キュロスはじっとオレを見つめている。それは獲物を狙う獣のようでもあり、美女を品定めする男のようでもあった。

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