Ⅻ.セルキヤの戦い‐③

 鷲獅子騎兵が壊滅したことで、戦況は目に見えて好転した。

 最初に変化が表れたのは霊羊騎兵だった。それまで統制を欠いていたように見えたのだが、突然角笛の音がしたかと思うと、左右に分裂して、ローマ軍を挟み込むような動きを見せた。直後にゼノビア率いる歩兵部隊も前進し、ローマの重装歩兵と衝突する。その背後から、襲撃を生き延びた駱駝部隊がのこのこやって来るのも見えた。

「急げ! あとはナバタイの騎兵さえ叩けば、勝利は間違いなしだ!」

 ヴェルダアースを先頭に、オレたちの部隊はローマ軍の主力を回り込むように戦場を駆けた。士気は高く、無傷の者も多い。怖いものはなにもないはずだった。

 だが、ローマ軍の後背を駆け抜けようとした時、怖いものが現れた。

「な……なんなの!? あの人たち!?」

 なんと、人が馬と同じ速さで走っているではないか。

 わっせい、わっせい、という掛け声とともに、一糸乱れぬ動きで走っているではないか。

 鉄甲に覆われ、甲冑を着込んだ戦士を乗せているとあって、ヴェルダアースの部隊は騎兵としては遅い方だ。しかしそれでも、人に並ばれるほど遅くはない。ましてや、重装備という同じ条件で人間に並ばれるなんてことは……

 オレの知る限り、それができる歩兵部隊はただ一つ。

「ホァーッ!」

 黄金の兜、赤染のマント、筋肉の鎧を纏った男たちが盾を並べ、一斉に雄叫びを上げた。

 驚いた馬が足を止める。

 オレたちの前に立ち塞がったのは、そう……スパルタクスの重装歩兵だった。

 スパルタ戦士たちは、大きな胸を張ってどっしりと構えていたが、オレの姿を認めるや、狼狽した様子で騒ぎ出した。

「ベテルギウス将軍! 生きてたんですか!?」

「そんなとこでなにやってるんすかぁ!?」

 なんと言い返していいか分からず、オロオロするオレ。

 ヴェルダアースたちも、オレを慮ってか、下手に動けずにいた。

 そこへ、落雷のようなバカでかい声が轟いた。

「ベェテルギウスゥ! そぉおこにいたかぁあああ!」

 巨大な剣を担いだ男が、スパルタ戦士の列の中から飛び出す。

 顔を見なくても、誰だか分かった。

 他のどの戦士よりも、オレの知るどの女よりも大きい、あの胸――

 間違いない……あれは胸筋大魔王ソグナトゥス。かつてのオレの教官だ。

「戦で敗れたと聞いて心配していたというのに、これはどういうことだ!?」

 怒号とともに、大剣を叩きつけるソグナトゥス。質問しておきながら、問答無用で叩き斬るつもりだ。オレは盾で受け流したが、その衝撃で馬もろとも横転してしまった。

 歩兵にされてしまったオレは、立て続けに叩き込まれる大剣をよけながら叫んだ。

「待ってください! 違うんです! いや、違わないけど……決して任務を放棄して遊び呆けていたとか、そんなことは……」

「ならば剣を捨ててこっちへ来い!」

「できません!」

「ならば死ね! 将軍という責任ある立場にありながら祖国に仇なすとは、不義もいいところだ! 昔から手のかかる奴だったが、これほどまでに救いようのない奴だったとは思わなった。せめて儂が責任を持って、直々に引導を渡してくれるわ!」

 大剣は長さ、幅ともに人ほどの大きさがあり、ソグナトゥスはそれを棒切れのように振り回す。まともに受ければ剣、盾、馬もろとも両断されてしまいそうだった。

 オレが逃げ回るのを見かねたヴェルダアースが、槍を振るって助けに入る。

 だが――

「外野は黙っておれ!」

 たったの一合。ソグナトゥスが無造作に放った横薙ぎの攻撃を、ヴェルダアースは槍でまともに受けてしまった。馬上から吹き飛び、騎馬の列に激突する。

「覚悟はいいか、ベテルギウス!」

 ソグナトゥスには、もうオレしか見えていないようだった。

 怒りと失望の大剣が、一閃ごとに暴風を巻き起こす。ソグナトゥスの剣はこれまでも訓練で死ぬほど受けてきたが、今度こそ本当に死ぬかもしれない。オレは盾の丸みで大剣の刃を滑らせて、なんとかいなしていたが、それも長くは続かなかった。

 盾は大剣の平で叩き壊され、剣も一発で砕け散った。

 立ち尽くすところに、また横薙ぎの一撃がやって来る。オレは死を予期した。

 その時――

 ほんの一瞬、泣きじゃくるジェロブの姿が目に浮かんだ。

 むろん、ジェロブが泣いているところなんて見たことがないから、それはオレの妄想に過ぎないのだが――

 ともかく、それがオレを奮起させたのは確かだった。

 考えるよりも先に体が動き、薙ぎ込まれた剣の上を飛び越える。四肢を使って着地し、その反動で素早くソグナトゥスの方に駆け出す。剣を振る時間は与えない。

 だが次の瞬間には、オレの視界は目まぐるしく回転していた。

 背中を地面にぶつけ、息が詰まりそうになる。上下逆さまになったソグナトゥスが、怒気を漲らせた顔で迫ってくる。

「うおおおおお!」

 オレは右も左も分からないまま、その大胸筋めがけて突っ込んだ。

 こんな奴に敵うはずがない。そう頭で分かっていても、背を向けて逃げ出すなんていう、無様な姿を見せるわけにはいかなかった。

 オレは裏切り者だ。そう言われても仕方がない。だがスパルタクス人としての誇りを捨ててなんかいない。そのことを見せつけるかのように、あがいた。

 あがいた末に、組み伏せられた。

 味方の重騎兵が助けに入ろうとするが、スパルタ戦士が立ち塞がる。

 ソグナトゥスは、うつ伏せでもがくオレの顔を覗き込み、静かに言った。

「……なぜ、そこまで必死になる?」

 覗き込むソグナトゥスの眼差しは、恐ろしい戦士のものでも、鬼教官のものでもなく、あの時のような、深い愛情と熱意のこもった眼差しだった。

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