Ⅻ.セルキヤの戦い‐②
霊羊騎兵は統制を失ってはいたが、まだ戦意までは失っていなかった。しかし、すでに矢は尽きかけ、駱駝から補充することも敵わず、ほとんど白兵戦を強いられていた。
ヴェルダアースの言った通り、ローマの騎兵は弱かった。笑っちまうくらい弱かった。弱いには違いなかったが、剣と剣であれば、霊羊騎兵に対して優位に戦うことができた。
今、女精の一人がローマ騎兵に剣を叩き落とされた。咄嗟に逃げようと手綱を引くが、ローマ騎兵は隙を与えず、武器も持たない罪なき女精の頭めがけて、剣を振り下ろす。
すんでのところで凶刃を防いだのが、このオレだった。
「女に剣を向けるとは……貴様、それでも男かぁ!」
そう怒号して、オレはその最低な男を斬り飛ばした。
「だってあいつが先に……」という男の遺言を無視して、さらなる敵を求めて突き進む。
今度の敵は三人。三方からオレを押し包むように迫ってくる。
オレは馬の速度を少しも緩めずに、まず一番右の奴に突進をかました。
そいつは転落して、よろめき倒れた馬の下敷きになってしまった。
うめき声と入れ違いに、雄叫びが上がった。一番弱そうな真ん中の奴が、馬を躍らせて襲い掛かって来たのだ。オレはたったの一撃でそいつの剣を跳ね飛ばすと、ぶらぶらになったその右手を引っ掴んで、残ったもう一人の方へぶん投げた。
ブッチューッ!
ぶつかった二人は、正面から抱き合ってチューしたまま地に転げ落ちた。
「おっと失礼」
オエッ、という断末魔の二重唱を聞きながら、オレはさらに突き進む。
槍を血染めにしたヴェルダアースが、オレに並んだ。
「指揮官を探し出せ! 鷲獅子騎兵が来る前に決着をつける!」
「おうよ!」
オレたちは二人で先頭に立って、敵勢の真っ只中に躍り込んだ。長槍の穂先を揃えた部下たちがあとに続く。
ヴェルダアースは侵略者に対して一切容赦がなかった。槍を一振りするたびに、彼女の周囲では血煙が起こり、首が舞い、人が空を飛んだ。技の駆け引きもなにもあったものじゃない。それはもはや死の暴風。人の手ではどうすることもできない災厄そのものだった。
オレの方も、ローマ軍相手に容赦する理由などどこにもなかった。カルデアの戦いで発揮し損ねた力を、存分に揮った。
パルテミラ最強の二人がここに揃っている。ローマ人の鋼の心も、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったようだ。ローマ騎兵は秩序を失い、逃げ崩れてしまった。
そんな中でも、なお踏みとどまり、逃げる味方を呼び止める者があった。
「止まれぇ! 逃げるなぁ! 貴様ら、それでもローマ人かぁ!」
そいつがローマ騎兵の指揮官で間違いなさそうだった。
斬りかかる前に、オレはそいつに声をかけた。
「この状況で逃げ出さねぇとは、大した奴だ。名前を聞いておこうか」
が、途端にそいつは馬首を転じて、全力で逃げ出したのだった。
「ちょっと待て! 逃げるなぁ! 貴様、それでもローマ人かぁ!」
そう呼びかけるが、振り返る様子もない。あと、意外と逃げ足が速い。
オレは大慌てでそのあとを追った。剣を鞘に納め、弓に持ち替える。そして馬を疾走させたまま、弓を引き絞った。
―――馬体が宙に浮いて安定した瞬間を狙え……
スレイナに騎射を教えてもらった時の記憶が、鮮明に甦る。
遊びでやってみたかっただけなのに、熱の入った指導だった。おかげで、久々にやるのに外す気がしない。
ブスッ!
オレの放った矢は、敵の指揮官の馬の、美しい尻に命中した。
ああ……! そんなつもりじゃなかったのに……
だがそれで十分だった。かわいそうな馬は痛みで飛び上がり、騎手を鞍から放り出したのだった。落っこちた指揮官は起き上がる間もなく、駆けつけた重騎兵の槍で地面に縫い付けられた。
「よくやった」と、ヴェルダアース。「お前、意外と器用なところもあるのだな」
「意外とってなんだ、意外とって。オレが筋肉だけの男とでも思ったか?」
互いの労をねぎらう代わりに、オレたちは軽口を叩き合った。ヴェルダアースの、長い口髭の下から覗く唇が、微かに綻ぶ。だがそれも一瞬のことだった。
いくつもの動物が混ざりあったようなあの鳴き声が、オレたちの警戒心を呼び起こした。
「早いな……」
振り返るより先に、ヴェルダアースがつぶやいた。
澄み渡った青空に緩やかな弧を描きながら、鷲獅子騎兵がこちらへ向かっている。
千頭の駱駝を殺戮し尽くすにはまだ早い。オレたちの動きに気付いて、攻撃目標を切り替えたのだろうか。
「全軍散開せよ!」
部下たちは素早く指示に従った。
だがその隊形は、先程のような効果は示さなかった。空から投じられた五十本あまりの槍は、すべてヴェルダアースに向けられていたのだ。先頭に立って戦っていたことで、居場所がすぐに割れてしまったようだった。
「将軍!」
ガキ、ガキキン!
バキバキ、ベキキ!
ドドドドッ、ザクッ!
いくつもの種類のえげつない音が、一度に湧き起こった。
ヴェルダアースを知らない者であれば、土埃の先に凄惨な光景を覚悟したことだろう。
しかし、そこはやはりヴェルダアースだった。
馬体にも鎧にも傷一つ付いていない。降りかかってきた槍は、大きく外れたものを除いて、すべて槍で打ち払われていたのだ。
すげぇ……などと、感心している場合じゃなかった。
反撃するなら今しかない。オレは大慌てで矢をつがえ、ろくに狙いも定めずに空に向けて放った。だがすでに鷲獅子騎兵は高く舞い上がっていて、オレの矢は届きもしなかった。それどころか、途中で矢尻が向きを変え、ヴェルダアースの頭上に落ちかかったのだった。
矢を一瞥もせずにかわしたきり、ヴェルダアースはなにも言わなかったが、表情の見えない兜がこの時ばかりは恐ろしかった。
「どうする? オレたちじゃ、あの魔獣に反撃できないぜ」
「奴らの槍を投げ返す。私の力ならば届くはずだ」
ヴェルダアースは地面に突き立った投槍を引き抜いたが、その穂先を見て愕然としたようだった。落下の衝撃でひん曲がり、使い物にならなくなっていたのだ。
ローマ軍の投槍は、穂先が細く曲がりやすくなっている。それは盾から引き抜けなくするためでもあり、敵に槍を投げ返されないためでもある。
「……考えている暇はなさそうだな」
そうつぶやいて、ヴェルダアースは馬を走らせた。
鷲獅子騎兵が、狙いを定めるために降下を始めている。さすがのヴェルダアースも、動かぬ的になるつもりはないようだ。第二射は、動き回る的からほとんど外れていた。
飛んできた槍をことごとく叩き折ってから、ヴェルダアースは叫んだ。
「槍を我が手に!」
言われた通りに、オレは落ちた投槍を手当たり次第に拾いまくった。
そうか……ひん曲がった穂先を腕力で戻して使う気か! そうだろ、ヴェルダアース!
だが、オレが投槍を持っていく前に、ヴェルダアースは近くの部下から長槍を渡されていた。そして次の瞬間、舞い上がっていく鷲獅子騎兵に、それを投じたのだった。
「キョエエエエエェエ!」
それが最初に上がった、魔獣の悲鳴だった。
その声が切れるよりも前に、ヴェルダアースは次の槍を投じている。直後に人の悲鳴が混じった奇声が、魔獣の巨体もろとも空から降ってきた。
投げるには絶望的に向かない槍を、ヴェルダアースは次から次へと空に放つ。槍は太陽をも穿つような勢いで、面白いように空の敵に命中していく。恐るべき投擲力だった。
鷲獅子騎兵も第三射、四射と攻撃を繰り返すが、仲間の犠牲が増えるばかりで、しまいにはヴェルダアースが、飛んできた投槍を素手で掴み取って投げ返すというあり様だった。
ヴェルダアースが最後の槍を天国に送り込むまでに、二十騎を超える鷲獅子騎兵が討ち取られた。オレが張り切ってかき集めた投槍は、最後まで使われることがなかった。
攻撃能力を三分の二にまで減らされた鷲獅子騎兵は、ついに作戦を断念したようだった。
一匹がパオーンと鳴いて飛び去ると、他の鷲馬もあとに続く。
が、その飛んだ先がまずかった。
「なっ!? あいつら……!」
鷲獅子騎兵が向かった先はゼノビアの本陣。
この期に及んで駱駝を狙うなんてことはないだろう。奴らは残った戦力で、本陣に特攻を仕掛けるつもりらしかった。馬の脚では到底追いつけない。オレたちは、流星群のように本陣へ落ちていく鷲獅子騎兵を、見送ることしかできなかった。
ひん曲がった投槍の束を抱えたまま呆然とするオレに、ヴェルダアースは冷静に言った。
「問題ない。本陣の守りは鉄壁だ。陛下に槍は届かぬ」
ヴェルダアースの予想は、今度は外れなかった。
鷲獅子騎兵が歩兵部隊を飛び越えて、本陣の真上に来ようかという時のことだった。突然、幼精たちの歌声が聞こえてきたかと思うと、先頭を飛んでいた鷲馬が羽ばたくのをやめ、向こう側へ落ちていったのだった。後続も続々と制御を失い、落ちていく。
それは、怒りも憎しみも、恐れも不安も忘れさせるような、温かく心地よい歌声だった。
「『
かくして、大ローマ帝国の誇る鷲獅子騎兵は、みんな仲よく地に横たわったのだった。
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