Ⅻ.セルキヤの戦い‐①

「なによあれ!? 馬が空を飛んでいるの!?」

 パルテミラの陣営から、次々に叫び声が上がる。

「いや違うわ! だって鷹みたいな顔してるじゃない!」

「馬鹿ね。あれはどう見ても鷲でしょ!? どちらにしても化け物ね……」

 目を凝らしてよく見ると、それは鷲のような頭と翼、馬の胴体を持った生き物だった。背中の上には人の姿も見える。

 ローマ軍の陣頭に、馬を進める者があった。軍装からして、恐らくローマ側の指揮官だ。

「どうだ、驚いたかパルテミラの猿ども!」と、猿のような顔をしたその男は言った。「空飛ぶ騎兵――鷲獅子騎兵グリュプスだ。魔峰ヴェシモス山の怪鳥と馬を交わらせて作ったんだぞ。すごいだろう!?」

 へぇ、すごいすごい――オレは心の中で、奴の望む反応を示してやった。

 いや、実際あの空飛ぶ魔獣にはビビったのだが……ローマめ、なかなかふざけた指揮官を送り込んできたものだ。こんな奴が指揮官で大丈夫なのか? オレが代わってやろうか?

 ククク……という笑声が、『音響魔法エコースティカ』に乗って響いてきた。

「まるで玩具をもらってはしゃいでいる子供のようじゃな」それはゼノビアの声だった。「お主がローマ軍の最高指揮官マンティコラスか?」

「いかにも!」マンティコラスは馬上でふんぞり返った。「ゼノビアよ、よく聞け! ローマは敵対者を絶対に許さない。この戦に勝った暁には、そのギンギラギンの身ぐるみを剥いで、ローマ中を引き回してやるぞ!」

「上等じゃ。我々パルテミラも、侵略者を決して許しはしない。お主の方こそ覚悟せよ。必ず引っ捕まえて、身ぐるみ剥いで、テシオン市内を引き回してやるからな」

 それは……やめた方がいいと思うぞ。

 マンティコラスが興奮した様子でなにやらわめいたが、よく聞き取れなかった。にわかに鳴り響いた角笛の音が、すべての音を吞み込んだのだ。

 いよいよ戦が始まる。マンティコラスがローマの軍列に逃げ込むよりも先に、前面に広く展開していた霊羊騎兵アルセラフスが、前進を始めた。

 やや遅れて、ローマ軍の方でもラッパが吹き鳴らされた。

 目玉のような紋様をした大盾を隙間なく並べて、重装歩兵が前進する。のそのそしているが、妙な圧迫感を与える前進だった。

 霊羊騎兵の方から、矢が飛び立った。ローマ軍も槍を投げ返す。

 続けて十本、百本、千本、万本……両軍から放たれる矢と槍は、一秒ごとに数を増し、やがて秋の実りを食らい尽くすいなごの群れのように、空を覆い尽くしてしまった。


     *  *  *


「まだかまだか……」

 愛馬のたてがみをいじくり回しながら、オレは射撃戦を見守っていた。

 見たところ味方が圧倒的優勢なのだが、どうも落ち着かない。オレの心情を察してか、馬も鼻息が荒くなっている。

「落ち着け。まだ我々の出る幕ではない」

 先頭に馬を立てたヴェルダアースが言った。

 顔を覆い隠す黄金作りの兜をかぶっているのを、久しぶりに見る。敵として見えた時は不気味ですらあったが、今日はこの上なく頼もしい。

「霊羊騎兵の騎射で敵を弱らせてから、白兵戦で決定打を与える。そういう手筈になっている。今は味方を信じて待て」

 不意に、鳥とも獣ともつかぬ奇怪な叫び声が、空から響いてきた。

 鷲獅子騎兵グリュプスだ。

 射撃戦を繰り広げる敵味方の上空で、なにかを物色するように飛び回っている。

「なにしてんだ? あいつら」

「威嚇か、戦況を見守っているだけか……いずれにしても、あの数では大した脅威にはならぬだろう。見た目は派手だがな」

「うちの雷光騎兵と似たようなものか」

 ざっと見たところ、鷲獅子騎兵の数は五十から七十程度。

 空から攻撃されるとなかなかウザいが、戦局を変えるほどの力はないように思えた。

 だが、オレたちの予想は早くも裏切られることとなった。

 一頭の鷲馬が、長い叫びを放って、旋回を始めた。

 すると、各所に散らばっていた鷲獅子騎兵が続々と集まり、滝の流れるように急降下していった。

 騎手の手には投槍ピルム。そしてすべての鷲獅子騎兵が、一点めがけて槍を投じた。

「!」

 空中で披露された一斉攻撃はあまりにも鮮やかで、見る者の心と体を凍りつかせた。

「そうか……その手があったか……!」

 うめくようにつぶやくヴェルダアース。それがオレをさらに不安にさせた。

「どうした!? その手ってなんだ!?」

 オレも鷲獅子騎兵の動きに危険なものを感じ取っていたが、気が動転して、なにが起きているのかまるで分らなかった。教えてくれ、ヴェルダアース!

「奴らの狙いは指揮官だ! 空からなら、なんの妨害も受けることなく、直接指揮官を狙いにいける。そして指揮官一人だけを狙うならば、五十騎でも十分な戦力だ。このままではエクサトラがやられる!」

「!」

 再び前線に目を向けると、鷲獅子騎兵がまた一斉攻撃を仕掛けているところだった。

 霊羊騎兵の方も弓で反撃するが、空の敵に対してはあまり効果がなかった。攻撃しようと高度を下げた瞬間でなければ、ほとんど矢が届かない。エクサトラの姿は、こちらからは見えなかったが、捕捉されまいと動き回っていることだけはなんとなく分かった。

 やがて斥候が鹿を飛ばして、ローマ軍両翼の騎兵が動き出したことを告げた。

「エクサトラは今、とても指揮を執れる状態ではない。我々が迎え撃つしかあるまい」

 ヴェルダアースはすぐさま決断を下した。

「まずは右手の弱い騎兵を速攻で叩き潰す。左の軽騎兵は一旦霊羊騎兵に預けることとしよう。我々が援護に向かうまで、持ちこたえてくれればよいが……」

 その時、前線から悲鳴のようなざわめきが聞こえてきた。

 地上に向けて執拗に槍を投げつけていた鷲獅子騎兵が、高く舞い上がり、霊羊騎兵から離れていった。それは、彼らが目的を果たしたことを暗示していた。

「そんな……エクサトラ将軍……」

 ヴェルダアースの部隊にも、衝撃が広がる。そして立ち直る暇もなく――

「こっちに来るわ!」

 鷲獅子騎兵が、今度はこちらへ向かって飛んできたのだった。

「散開せよ!」

 ヴェルダアースの号令で、パルテミラ重騎兵は四方に散らばった。

 そこへ鷲獅子騎兵の投槍が降り注ぐ。だが、それは狙い定められたものではなく、散開していたこともあって、ほとんど被害は出なかったようだ。

 鷲獅子騎兵は、そのままオレたちの頭上を飛び越えてしまった。

 まさかゼノビアの本陣を……?

 一瞬そう思ったが、奴らにまだその気はなかったようだ。

 奴らが襲い掛かったのは、本陣の裏で待機していた駱駝部隊だった。駱駝には大量の矢が積まれている。ローマ軍は、一番厄介な霊羊騎兵の無力化を優先したようだった。

 オレたちは、鷲獅子騎兵に射かけられて駱駝が炎上するのを見た。

「早く奴らをなんとかしなければ、軍が崩壊するぞ」

「……分かっている。だが、向こうから来ない限りはどうにもならぬ。今は手の届く敵を倒すことだけを考えろ」

 ヴェルダアースは、もう駱駝を見てはいなかった。ただ地上の獲物に目を向けていた。

「作戦に変更はない。このままローマ騎兵を迎撃する。進め!」

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