Ⅺ.護国の聖歌‐②
ティリオンの情報が正しいことが証明されたのは、それからわずか十日後のことだった。
ローマの大軍が南から接近しているとの報せを受け、女帝ゼノビアは自ら軍を率いて、これを迎え撃つことにしたのだった。
緑と白、黄金色の軍装をした人馬の群れが、秋の草原を彩った。
この世に、これほど美しい軍隊が他にあるだろうか。
カルデアの荒野で見たのは、彼女たちの勇姿の、ほんの一部に過ぎなかったことを、オレは思い知らされた。
ローマを迎え撃つべく集められた兵は、総勢二万三千。
うち
主力である霊羊騎兵は、スレイナ亡きあと、エクサトラに指揮権が引き継がれていた。彼女はまだ若いが、カルデアの戦いにおける活躍を鑑みれば、妥当な人選と言えるだろう。
歩兵部隊は、女帝が自ら指揮を執る。テシオン市民の女だけで構成された歩兵は、少数精鋭の重騎兵、一芸に秀でた霊羊騎兵に比べると、どうも心許ない。しかし
オレは持ち場を離れて、エミールたちの元へ馬を走らせた。
先月、雷光騎兵の隊長になったばかりのエミールは、緊張しているというよりは、心ここにあらずといった感じだった。
狩猟豹にビビった愛馬に吹っ飛ばされて、オレはエミールの前に降り立った。
エミールはびっくりした顔でオレを見た。
「なんでお前がここにいるんだよ!? お前はヴェルダアース将軍の所だろ?」
「いやね、初めての戦でお前が怖がってないか気になったんでね」
そしてオレが頭をよしよししてなだめる――そういう筋書きだ。
「別に怖くねぇよ。そんなことより……」
エミールはオレの筋書きを一蹴しておいて、
「お前は大丈夫なのかよ? ローマ側には、スパルタクス人もいるんだろ?」
オレは明るく笑ってみせた。
「いいんだ。オレは自分から願い出て参加したんだ。お前たちを守るためなら、たとえ同郷の人が相手だろうと、全力で戦うつもりだ」
スパルタクス軍の参加を聞いた瞬間、オレには誰が来るのかが分かってしまった。本当は、エミールに頭をよしよししてもらいたい気分だ。
だが、体に染み付いたスパルタ根性が、それを許さなかった。
スパルタクス人たる者、いかなる時も弱さを見せるべからず――だからオレは、鞭打たれる時も、気持ちよさそうに笑うのだ。変態呼ばわりされるいわれはない!
「ベテさん、やっほ!」
邪念の入る余地もない、天使の声が、荒ぶりかけたオレの心を鎮めた。
「おう、ジェロブ。今日も元気そうだな。戦は怖くないのか?」
「そりゃあ、ちょっとは怖いよ。でも僕らは親衛隊だから、堂々としてないと」
ジェロブ……なんっていい子なんだ……!
本当は、ちょっとどころじゃないくらい怖いだろうに、オレたちを元気づけようと、明るく振る舞っている。抱きしめてやりたかった。畏れ多くて、今まで指一本触れたことがないのだが……
戦力にならないと言われている雷光騎兵を、ゼノビアがなぜあえてそばに置いたのか、分かった気がした。
「見て。
ジェロブの指差す先には、白絹の衣装を着た幼精たちが並んでいる。
「聖歌隊が歌う歌も、一種の古代語魔法なんだ。ああやって、戦の前にみんなに歌を聞かせることで、精霊からより多くの力をもらえるようにするんだ」
辺りが静まり返ったところで、ひときわ高い声を持つ幼精が、独唱を始めた。
やがて残りの歌い手も追従し、歌声は大きく、力強く、膨れ上がっていった。
精霊たちよ
聞こえているか、この歌声が
見ているか、テシオンの輝きを
感じているか、我らが意志
戦う時が来た
苦しみを乗り越え
悲しみを乗り越え
あなたが遺せしもの
それは愛……命……知恵……
大いなる遺産を守るため、我らはゆく
精霊よ、来たれ
我が身に降りて大いなる加護を与え給え
精霊よ、来たれ
この地に降りてすべての邪悪を退け給え
精霊よ、我が魂とともに……
いつしか、ジェロブも、他の兵たちも歌っていた。
オレも一応、口パクで……
古代語を知らないオレは、その歌に込められた想いを、この時はほとんど理解することができなかった。
オレの胸にあったのは、この美しい歌声を護りたいという想い。ただ、それだけだった。
* * *
十月十二日。パルテミラ帝国と大ローマ帝国の両軍は、セルキヤ南方の平原で正面から睨み合った。
「セルキヤは、パルミュラ滅亡を決定づける決戦が行われた地だ。今、ローマ軍を手引きしているのはキュロス。キュロスはかの戦いを、今度は逆の形で再現するつもりらしい」
オレを含めた重騎兵を率いるヴェルダアースは、行軍中にそう言っていた。
「だが、キュロスの思惑は外れる。過去にとらわれている限り、彼に成功はないのだ。我々はこの決戦を乗り越え、新たな時代を作っていく」
雲の切れ間から陽光が差し込み、整然と並んだ甲冑の群れをきらめかせた。
半年前は、オレも向こう側にいたのかと思うと、多少のむずかゆさはある。
だが後悔はない。オレの居場所はここ――それだけははっきり言える。
騎兵が左右に展開し、ローマ軍の全貌が見えてきた。
中央に重装歩兵。オレから見て左手に南国ナバタイの傭兵と思しき軽騎兵。右手にローマの重騎兵。
その上空では、馬のような体をしたなにかが、大きな翼をはためかせて飛び回っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます