Ⅹ.雷光祭‐③
休憩の合間の歌舞で盛り上がっていた観客たちの声も、決勝が始まる頃には低いざわめきに変わっていた。地上最速を決める戦いが始まるのを、静かに待っていた。
「細工は上手く行ったか?」
「抜かりなく」
オレが悪い顔をして言うと、隣に来ていたジェロブがワッルイ顔で応じた。
そんな顔もできるんだな。オレの邪気が移ってしまったのだろうか……
だがジェロブは、すぐに天使の顔に戻り――
「うそ、うそ!」クスクスと無邪気に笑った。「ちゃんとアルバロスの狩猟豹も回復させたよ。二人には最高の状態で勝負して欲しいんだ」
決勝を争う八人の騎手が、走路の前に立った。
名を呼ばれた者から、丘の上にましますゼノビアに一礼し、開始位置に着いていく。
太鼓の合図で、全員が狩猟豹に跨る。
『蜃気楼』に映されたエミールは、ただ前だけを見ていた。
ジェロブが、祈るような形で、胸の前で手を組む。観客のざわめきも止んだ。
そして、地上最速の称号を懸けた戦いが始まった。
誰が最初に動き出したのかは分からない。類稀な才を持った八人の騎手が、八人とも最高の走り出しを見せた。
だがやはり、最初に抜け出したのはアルバロスだった。序盤のアルバロスはまさに無敵。
ジェロブよ……よくこんな奴と並べたな……
そう、思った時だった。
無敵だったはずのアルバロスを上回る加速力で、ひときわ大きな体をした狩猟豹が追い上げてきた。狩猟豹はどれも同じ顔をしていたが、そいつだけは間違えようがない。
誰あろう、もっふもふのフワワだ。
しかしこの展開は、まったく予期していなかった。新たな走法を身に付けたフワワの持ち味は、持久力のはずではなかったのか。それが序盤のうちからアルバロスの狩猟豹に並んだ。それも中間地点に達する前には、抜き去ってしまったのだ。
エミールは、フワワの背に必死にしがみついていた。
それで分かった。エミールは、フワワの本来の走り方で決勝に臨んだのだ。
決勝までに温存していた力をすべて出し切るには、それが一番だと考えたのだ。
前回王者を圧倒するフワワの激走ぶりに、会場が沸き立つ。
だがアルバロスも執念を見せた。前半の遅れを取り戻す勢いで、エミールに迫る。
「行け行けぇ!」
気付いたら、オレは心の中で念じていた言葉を、そのまま叫んでいた。
逃げ切れフワワ! 優勝したら――――――ジェロブが抱きしめてくれるぞ!
オレの『
そのまま――――――行け!
走路の最後の線を一番に越えたのは、エミールだった。
一秒の半分もしないうちにアルバロスが。さらに一秒もしないうちに、残りの騎手すべてが勢いよく駆け抜けていった。
時間にすればわずかだが、大きな差だった。ほんの十秒ほどの戦いだったのだ。
大地を揺るがさんばかりの歓声が上がっていた。
ジェロブが登場した時でさえ、これほどの歓声は上がらなかった。
歓声は次第に一体となって、新たな王者――エミールの名を連呼する声となる。
エミールは、なにが起こっているのか分からないといった様子で、観客で埋め尽くされた丘を見上げていた。それから、狩猟豹に顔を埋めて泣いているアルバロスを、複雑な表情で見つめるのだった。
決勝の余韻が抜け切らないうちに、表彰式が始まった。
衛兵が隊形を変え、丘の麓からゼノビアの席まで続く一本道を作った。
登って来たエミールを、女帝ゼノビアは席を立って出迎えた。
「凛々しくなったな、エミール。そなたのことを小さな頃からずっと見てきただけに、此度の優勝は、自分のことのように嬉しいぞ」
「ありがたきお言葉」跪いたエミールが、うやうやしく頭を下げる。「陛下のご恩に報いたい一心で、これまで鍛錬に励んで参りました。このような場で成果をお見せできたことを、大変喜ばしく思います」
女帝は微笑み、隣に控えた幼精になにやら指示を出した。
その幼精は、開会式で引退が発表された雷光騎兵の隊長だった。肩に掛けていた飾り帯を外し、エミールの肩に掛ける。それは、隊長の座がエミールに引き継がれたことを意味していた。
再度、エミールはゼノビアに頭を下げ、誓いの言葉を述べた。
「これから先もずっと、この命が続く限り、陛下をお守りすると誓います」
「なんだか、愛の誓いって感じだったな」
表彰式から戻って来たエミールに最初に掛けた言葉が、それだった。
「あ、あれは臣下としての言葉だから!」
半ば放心状態にあったエミールの顔に、血色が戻って来た。
よかった。いつものエミールだ。
隊長に昇格するだなんて聞いてなかったから、急にどこか遠くへ行ってしまったような気がして……オレに構ってくれなくなるんじゃないかと……
全然、心配はいらなかったな。
「アルバロスはあんなもんじゃねぇ。多分、ジェロブとの準決勝でかなり消耗してたんだ」
改めて、オレが優勝を祝うと、エミールは真面目くさった顔でそう言った。
「ジェロブ、やっぱりなにか細工した?」
「なにもしてないよ。ホントだよ? フワワが頑張ったからだもんね。あ、アルルもだよ」
二頭の狩猟豹をギュッと抱きしめて、ジェロブは黒い噂を消し飛ばしたのだった。
「ともかく、勝ったのはお前だ。勝者に値するだけのことを、お前はしてきたんだ。誇っていいと思うぞ」
「ああ。もう十分だ。思い残すことはない」今までにないくらいの、晴れ晴れとした顔で、エミールは言った。「応援に来てくれてありがとう、ベテルギウス。お前の声、ちゃんと聞こえてたよ」
それは、心からの笑顔だったろう。
だからオレは、その笑顔の裏に秘められた決意に、気付くことができなかった――
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