Ⅷ.嘆きの丘‐②

 祭壇の一つに視線を落としたゼノビアは、笑顔こそ崩さなかったが、その瞳の底には言いようのない、憂いの色が沈んでいるようだった。

 夢の国――パルテミラの、負の側面。

 なにかあるとは思っていたが、ここまで根深いものだったとは……

「私は建国以来の、この男女の分断を終わらせたい。その第一歩として、お主をテシオンに引き入れた。パルミュラ時代からの因縁とは無縁のお主ならば、テシオンに新たな風を吹き込んでくれるだろうと思うたのじゃ」

「私如きに、そのような大役が務まるでしょうか」

 誰よりも汚れた心を持ったこのオレに、その役目は重過ぎるように感じられた。

 だが、ゼノビアは魔法のような言葉で、オレの心を軽くしてくれたのだった。

「あまり重く考えるな。今まで通り、お主の好きなようにやればよい。お主はもう十分、テシオンの街に溶け込んでいるではないか」

 丘の上を風が吹き抜け、自生する草花を優しく揺らした。

 少しの静寂のあと、ゼノビアがまた口を開いた。

「エミールは元気にしているか?」

「まあ、それなりには」元気と言えば元気だが……「エミールがどうかしたのですか?」

「なんとなくじゃ。あの一件以来、エミールの様子がいつもと違うような気がしてな。お主ならば、なにか知っているのではないか?」

 ああ、そういや、エミールはゼノビアの親衛隊だったっけな。意外と、オレよりもこの女帝の方が、エミールと近しい関係にあるのかもしれない。

 オレは話した。暗殺者がエミールの素性を明かしてしまったことを。

「そうか……やはり……」

 ゼノビアの顔に、また影が差す。

「エミールは、女精が暴漢に襲われた時に身籠った、言わば望まれない子だった。母はとてもエミールを育てられる状態にはなく、やむなく王宮で預かることになったのじゃ。このことは長いこと秘密にされていたのだが、どこから漏れたのか、ある時エミールがそれを知ってしまった。それ以来、あの子は心を閉ざしてしまった。口には出さないが、今も自分の生まれに引け目を感じているのかもしれぬ」

 過激なまでに、男への敵意を露わにしていたエミール。

 今なら、その気持ちが少し分かるような気がした。そうしなければ、自分を保ってはいられなかったのかもしれない。

「エミールは半幼精。これから先、本当にゆっくりではあるが、心も体も男になっていく。あの子にとって、これほど残酷なことはないだろう。テシオンは女の都で、男は疎まれる存在じゃ。そんな世界で、エミールは生きていくことになる」

 空を見上げる女帝ゼノビアは、我が子の行く末を案じる母のようで――

「ベテルギウス。これからも、エミールのことをよろしく頼む。エミールには、お主が必要じゃ。男であるお主の存在が、あの子の未来を照らす『導きの光オル・ルフズミン』になると、私は信じておる」

 オレはゼノビアに向きなおって、その思いに応えた。

「ご安心ください、陛下。あんな可愛い奴、私が放っておきませんよ」

 ゼノビアが満足げに微笑んだ。


 それからオレたちは、来た道を少し戻った。

「見よ。生誕の儀が始まるぞ」

 ゼノビアが、麓の方を指差す。

 その先には、真っ白な装束に身を包んだ者たちが、大勢並んでいた。

 スレイナの葬儀にも参加していた、一般の者たちだ。テシオンから来た者もいれば、他の都市からはるばるやって来た者もいる。それが三人一組になって、神殿の方に向けて祈りを捧げていた。女だけの組もあれば、一人二人の幼精が混じっている組もあった。

「元々は、慰霊のために始まった行事なのだがな、今では新しい命を迎える儀式として行われている。ほれ、ああやって、仲のよい三人組で祈りを捧げると、三人のうちの一人がお腹に子を宿す。そうして生まれてくる子が、幼精、女精なのじゃ」

 話を聞きながらも、オレの意識はほとんどその儀式に向いていた。

 テシオンが百年もの間、男人禁制を貫くことができた秘密が、そこにあった。

「初代女帝――セミラミスの話には続きがあってな」と、ゼノビア。「亡き弟を偲んで、彼女が再びこの丘を訪れた時のことじゃ。嘆き悲しむ彼女の耳元に、奇妙なざわめきが聞こえてきた。それは人の話し声だった。かすれた小さな声で、言葉も少し違っていたが、セミラミスには、それが今まで犠牲になった生贄たちの声であるように思えた。それからもセミラミスはモーリヤの丘に通い続け、精霊たちとの会話を試みた。彼女の仲間たちも、それに加わった。そして精霊たちが反応を返すようになった頃――セミラミスは妊娠した。男と関係を持ったことがないにもかかわらずじゃ。人々は噂した。弟に会いたいという彼女の願いを、精霊たちが聞き届けてくれたのだと。生まれてきたのは、女の子だったがな」

 フフッと、四十代の女帝は、まるで少女のように笑ったのだった。

「ともかく、それが古代語魔法の始まりであり、最初の女精が生まれた瞬間でもあった。パルテミラの時代になって、嘆きの丘は、おめでたの丘に生まれ変わったのじゃ」

 折しも聞こえてきた聖歌隊の歌声が、澄みわたった青空に吸い込まれていく。

 去り行く命あれば、生まれ来る命もある。

 幼精は精霊の移し身。幼くして天に昇った魂が、また地上に舞い降りて、人生という名の旅の続きをしているのだ。

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