Ⅶ.亡国のアサシン‐②

 互いに睨み合い、静かな時が流れる。

 先に動いたのは暗殺者だった。音高く石畳を蹴り、高速で刃を繰り出す。

 オレは逃げて、逃げて、逃げまくった。

 臆病風に吹かれたのではない。戦闘が長引き、人が来れば、窮地に立たされるのは暗殺者の方だ。焦らして焦らして、黒焦げになるまで、じっくり料理してやろうという腹だった。

 むろん、相手もただでは焦げない。再度、オレの知らない言葉で詠い始める。

「気を付けろ!」

「分かってる」

 言葉は分からなくとも、暗殺者が先程と同じ文句を唱えていることくらいは分かった。

 剣と盾で、万全の迎撃態勢を取る。

 そして、詠唱を終えた暗殺者が、正面から音もなく肉迫する。

 詠唱前とは比べるべくもない速さ。加速したというよりは、その時を境に、一気に倍速になったという感じだ。

 暗殺者が短剣を突き出すのに合わせて、盾を突き出す。が、その時にはすでに暗殺者は側面に回り込んでいた。白い光が走り、オレの頬から血が滲み出た。

 距離を取ろうと跳びすさると、今度は背後に暗殺者が回り込む。

「チィ!」

 とっさに身を反転させ、盾で守ろうとすると、暗殺者はさらに反対に回り込み、盾とオレの間に潜り込んだ。脇腹がカッと熱くなる。

 止まっている暇はなかった。

 刃が届こうが届くまいが、暗殺者は一喜一憂せず、ただ無言で刃を振るい続けた。

 突然、暗殺者の動きが鈍った。オレが力任せに長剣をひと薙ぎすると、暗殺者は剣でそれを受け止め、剣圧に押されるようにして大きく退いた。

 詠唱が終わってからここまで、恐らく十秒にも満たない。

「なんだったんだ……? 今のは……」

 誰に向けられたわけでもない、その問いに答えたのは、エミールだった。

「古代語魔法だ。古代語魔法は、精霊に語りかけることで、その力を借りることができる」

「なるほどな。じゃああいつがしゃべったのは、古代語ってわけか」

 魔法自体は何度か目にしいてたが、そういうものだったとは。

「お前もできるのか?」

「無理に決まってんだろ」と、エミール。「あんなのは、オレも初めて見る。語りかけるの聞いた感じだと、時間を操る魔法みたいだけど」

「オレもそんな気がする」

 詠唱後の暗殺者は、反応速度も格段に上がっていたように感じられた。

 奴からは、オレがゆっくり動いているように見えていたのかもしれない。

「エミール。人を呼んで来てくれ。オレが時間を稼ぐ」

「分かった。死ぬなよ」

 二人で掛かっても勝てる保証はない。ならば目撃者だけでも、確実に残そうという判断だ。

 幸い、ここは王宮のすぐ近く。すぐに仲間を連れて戻って来れるはずだ。

「オレが、それを許すと思うか?」

「思うぜ」

 エミールが走り出すのと同時に、暗殺者が動く。オレはその前に立ち塞がる。

 二合打ち合うより早く、暗殺者は古代語の詠唱を始めた。

 当然、そう来るよな。なら――

「ジェロブジェロブゴコウノスリキレナントヤラ」オレは暗殺者が口ずさんだ言葉を、一字一句違わず真似してみた。「ロパドテマコセラコガレオクラニオレイプサノドリミュポトリマトシルピオカラボメリトカタケクメノキクレピコッシュポパットペリステラレクトリュオノプトケパッリオキグクロペレイオラゴーイオシライオバペートラガノプテリュゴーン(魚とサメとシルフィウムとカニとエビとハトとニワトリとカイツブリとムストとピクルスのごった混ぜフリカッセ)!」」

「愚弄しているのか!?」

 逆上した暗殺者が、詠唱を中断する。

「古代語魔法は、精霊の加護ある者にしか扱えん。貴様が真似したところで無駄なことだ」

「そのようだな。だが、お前の魔法を打ち消す効果はあったみたいだぜ」

 オレの指差す先に、エミールはもういなかった。

「小癪な……!」歯軋りの混じったような声で、暗殺者が唸った。

 不思議でならないのは、なぜ、この男が古代語魔法を使えるのかということだ。

 普通の人には扱えないと、自分で言っていたではないか。まさか、その図体で幼精エレノスということはあるまい。オレよりは小柄だが、どう見ても大人だ。

 一体何者なんだ? こいつは……? まさか――

 ある一つの可能性が、頭をよぎる。

 が、それがなにかを確かめる前に、謎の男は冷ややかな声でオレに問い掛けた。

「ベテルギウス。お前は誇り高きスパルタクスの戦士であろう。なぜ、パルテミラに魂を売った?」

「それは、お前に関係のあることなのか?」

「オレの質問に答えろ!」

「やれやれ……まあ、いろいろあったんだけどな」

 ジェロブにつられただなんて、とてもじゃないが言えない。

「つまるところ、オレはこの国が好きになっちまったのさ。だから、その平穏を掻き乱すお前たちを、許しちゃおけない」

「………」

「オレからも一つ質問だ」まっすぐに、暗殺者を見据える。「パルミュラなんてのは、百年も前に滅んだ国だろう? その残党が、今さら暗躍して、一体なにをしようってんだ? パルミュラだろうと、パルテミラだろうと、みんなが幸せに暮らせているのなら、それでいいと思うのだがな」

「……そう見えるか?」

「?」

「幸せに見えるか?」

 暗殺者の声には、軽薄な返答を許さないような響きがあった。

 だがオレは、率直な気持ちを、そのまま口にしたのだった。

「少なくとも、オレから見たらここは天国だ。お前らの邪魔さえなければな」

「そうか……」

 たちまち、ドス黒い殺気に包まれてゆく暗殺者。

「貴様らの、そういうところが許せないのだ! 我らの屈辱の日々も知らずに、ぬくぬくと生きている貴様らのことが……!」

 暗殺者の剣が躍った。

 血に飢えた蛇のように獰猛で、絡みつくような、捉えどころのない剣閃。

 盾がなければ、これだけでも苦戦を強いられていただろう。剣速、癖の強さはエミールを上回る。

 だが所詮はその程度。エミールに毛が生えた程度だ。

 懐に入られることさえなければ、どうということはない。

 問題はあれだ。

 暗殺者は剣を打ち交わしたまま、馬鹿の一つ覚えのあれを、悪魔がささやくような声で唱え――

時の深淵アビソス・ズーマ!』

 オレの視界から姿を消した。

 勘を頼りに、オレは頭上に盾を掲げる。

 直後、高速で降ってきた暗殺者の剣が、盾を叩いた。

「!」

「落ちるのも速くなるんだな」

 オレには見えていた。姿が消える直前、暗殺者の体が大きく沈み込んでいたのが。それは跳躍のための大きな予備動作。

「もう三度目だ。流石に目も慣れてきたぜ」

「なにを……!」

 ソプラノの雄叫びを上げ、突きかかる暗殺者。

 跳び退くオレを追撃し、一瞬で背後を取る――ことはできなかった。

 オレの背後は、すでに建物の壁に取られていたのだ。割り込む隙間もない。

「声も高くなるんだな。面白い魔法だ」

「余裕かましてんじゃねぇ!」

 焦燥に駆られ、怒涛の連撃を叩き込む暗殺者。

 一撃の重みは増していたが、背面を守られた今は、それほど脅威ではない。

 オレは壁に背を預けたまま、盾を頼みとした最小限の動きで、雨あられと降り注ぐ暗殺者の剣を捌き続けた。

 そして頃合いを見計らい、うろ覚えのあれを、抑揚のない声で詠み上げる。

「ジェロブジェロブ……」

「だから無駄だと言って――」

 そう言いかけた暗殺者の声が、ソプラノからテノールに変わる――その瞬間。

 暗殺者の視界から、オレの姿が消えた。

「なにっ!?」

「あそびす・ずーま!」

 背後を取ったオレは、相手のお株の決め台詞を叫び、長剣を叩き込む。

 声に反応した暗殺者が振り向き、短剣で受け止める。

 なかなかやるじゃないか……だが、これで終わりだ!

 暗殺者の背後には壁。逃げ場はない。

 オレは盾に全体重を乗せ、突進をかます。

 片手の塞がった暗殺者はなすすべもなく、盾に叩かれ、壁に叩きつけられた。

「がはっ……!」

 うつ伏せに倒れ、痛みに悶える暗殺者。

 なおも剣を取ろうとするその手を、オレは踏みつけた。

「やっぱりな。その魔法……なかなか強力だが、効果が切れる瞬間は、逆にオレが速くなったように見えるらしい。全然ついて来れてなかったぜ、お前」

 なんちゃってアビソス・ズーマを決められた暗殺者は、声を出すのがやっとだった。

「馬鹿な……そんなのは分かっている。しかしあの速さは……」

「戦い始めは、なかなか調子が上がらないんでな」

 強敵と見えた時、オレの戦いは守りから始まる。

 テシオンの城壁の異名で崇め讃えられるオレの最大の武器は守備力であり、これが上手く行くと調子が出てくるのだ。序盤は体を慣らすことと、相手の癖を読むことに徹し、本調子になったところで一気に全力勝負を仕掛ける――それがオレの勝ち筋。

「まあ、一発目で殺せなかった時点で、お前は半分負けてたってことさ」

 観念したのか、暗殺者が顔を地に伏せる。

 ちょうどそこへ、仲間を呼びに行ったエミールが戻ってきた。

「もう終わったのか!?」

「ああ、見ての通りだ。そっちも早かったじゃねーの」

「仲間がもうじき来る。ちゃんと取り押さえとけよ」

 そう言って、エミールは安堵のため息をつく。

 その時、ぐったりしていた暗殺者が、血走った目でエミールを睨みつけ、叫んだ。

「ふざけるなエミール! いつまで幼精エレノスを気取っている!?」

「!」

 エミールの顔に、怯えたような影が走る。

「いい加減目を覚ませ! お前は、男と女精エレノアの間に生まれた、不完全な――」

 ゴッ!

 暗殺者がすべてを言い切る前に、オレはその頭を盾でぶっ叩いた。

「続きは牢獄で話すんだな」

 昏倒する暗殺者に言って聞かせてから、オレはエミールの方に顔を戻した。

 すべてを聞かなくても、オレにはもう分かってしまった。

 同時に、幼精エレノスでもないのに古代語魔法を使う暗殺者が、何者であるのかも――

 エミールは暗殺者を見下ろしたまま、体を小刻みに震わせていた。「違う……違う……」とうわ言のようにつぶやきながら。

 間もなくして、増援が駆けつけた。

「そいつがパルミュラの暗殺者だ。運んどいてくれ」

 呆然とするエミールの代わりに、オレが指示を出してやった。

「さあ、帰るぞ。今日はお手柄だったな」

 エミールの肩に手を回す。震えが、少しだけ収まったような気がした。

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