Ⅶ.亡国のアサシン‐①

 最後にスレイナと会ったのは、事件の起きる三日前のこと。

 演習場に呼ばれて、騎射を教えてもらったばかりだった。

 馬が合うわけでもなく、鹿が合うわけでもなかったが、よき戦友になれるだろうと思っていた矢先の出来事。エクサトラから訃報を知らされた時、流石に言葉が出てこなかった。

「そっか……スレイナがな……」

 結局、最後まで笑顔を見せてはくれなかった。それが心残りだ。

「やっぱり、例の旧パルミュラ勢力の仕業なのか?」

「恐らくは」

 うつむき、肩を震わせるエクサトラ。

 彼女にとって、スレイナは憧れの存在だったのだ。自分がその場に居合わせれば、あるいは――という悔恨の念もあったのかもしれない。

「このような状況ですので、すみませんが、今後しばらくの間は、夜間に一人で出歩かないようにしてください」

 また、元通りか。

 疑われているわけではないだろう。事件の夜、オレはジェロブとエミールと三人で行動していた。だからこれは、それを知らない市民たちを混乱させないための措置。

 だがオレとしては、こんな状況だからこそ、じっとしているわけにはいかなかった。

「二人なら、いいんだな?」

「はい。なるべく、それも控えていただきたいのですが」

「じゃあエミールを呼んでくれ」

「すみません。エミールはその時間、手が空いていないので、他の人で……」

暗殺者アサシン探しだろ?」

「そうです」

「だったらオレも手伝うぜ。相手はスレイナを殺したほどの奴だ。とてもエミールの手には負えないだろ?」


     *  *  *


 さっそくその夜から、オレはエミールと街の警戒にあたった。

 月の明るい晩だった。にもかかわらず、人通りは少ない。まだよい子でも起きている時間なのに、表通りですら閑散としていた。たまにすれ違う人たちには、笑顔がなかった。

 一般市民に外出禁止令は出ておらず、要人でもなければ命を狙われる心配もないのだが……やはり、スレイナの存在はそれほどに大きかったということか。

 エミールは、これまでの暗殺現場を、いくつかオレに見せて回った。

 と言っても、なにか手掛かりがあるわけでもない。暗殺は、隙あらばどこででも発生していた。夜に人気のない所で暗殺されることが多かったが、白昼堂々、人混みの中で殺されることもあった。

 エミールが最後に連れてきたのは、娯楽施設の通りを抜けた辺りの、石像が並んだ一本道。

 そこは、スレイナが暗殺された場所だった。

 軍事演習の帰り道、公衆浴場で疲れを癒したあとの出来事だったという。

 意外と近場でゾッとする。下手をすれば、ジェロブの見送りで通っていたかもしれない道だ。

「スレイナ将軍は、背後から心臓をひと突きにされて即死だった。剣も抜いてなかったって話だ」

「衛兵は付けてなかったのか?」

「付いてたけど、全員殺された。目撃者もいない」

 衛兵付きのスレイナに対して、そこまで完璧な暗殺ができるものなのか……? にわかには信じ難い。

 パルミュラの暗殺者アサシン――想像していたよりも、遥かに手強そうだ。

 この日は進展のないまま、警戒活動を終えた。

 厳戒態勢が敷かれているうちは、流石に向こうも動きづらいだろう。オレとしても、エミールの気が昂っている今は、敵と出くわしたくなかった。


 二日目から、オレは女装して警戒にあたることにした。

 エミールからは真面目にやれと言われたが、オレは至って真面目だ。

 市民を混乱させないためにも、暗殺者に気取られないためにも、女装は必要なことだった。周りからは、見目麗しい姉弟がイチャついているようにしか見えないだろう。

 三日目は王立学校の周辺で、四日目は王宮周辺で張り込みをした。

 道行く女たちをまじまじと見つめるエミールを、オレはちょっとからかってみた。

「エミールさ、胸ばっかり見てるよな」

「え……? なっ……こ、これは暗殺者探しのためだから!」

 顔を赤らめて、あたふたするエミール。冗談で言ったつもりだったのだが、まさかの図星だったようだ。

「そんなんばっか見てても意味ないぞ。オレみたいに女装してたらどうするんだ? 第一、暗殺者が男かどうかも分かってないのに」

「それはそうだけど……今までの暗殺者はみんな男だったし、目撃情報がない以上、今回のも男だと思って探すしかないだろ?」

「……だな」

 旧パルミュラ勢力になびいた女がいる、軍に内通者がいる……疑い出したらキリがない。

 エミールの言う通り、今は一つの可能性に賭けてみるとしよう。

 まあそれでも、怪しい奴を片っ端から調べておくに越したことはない。パルミュラは元々美男美女の国として知られていた。めかしこんだら、本当に男か女か見分けがつかないかもしれない。

 よい子が寝る時間になるまでに、オレたちは二十人ほどに声を掛けた。

 その中には、いつぞやの禍々しい水晶玉を抱えた老婆もいたから、ついでにいろいろと占ってもらった。

「暗殺者は、まだこの街にいるか?」

「多分」

「そいつは男か?」

「多分」

「オレの好きな人は?」

「ジェロブ」

 大正解!

「じゃあ、エミールの好きな人は?」

「やめろ!」

 そのあと、オレたちは王宮の裏門の近くに場所を移して、さらに張り込みを続けた。

 裏門を出てすぐの所に役所があるのだが、この時間はすべて閉まっていて、ほとんど人出がない。エミール曰く、王宮周辺で一番の死角だ。

 しかし、いざ行ってみれば、人出がなさ過ぎて張り込み甲斐がない。

「流石にないか……」

 エミールがつぶやき、早々に引き上げることになった。

 と――その時、オレは向こうから歩いてくる人物に目を留めた。

 エミールはなにやら考え込んでいて、気付いていない。が、オレはもうほとんど確信していた。

 さり気なく近寄り、すれ違い様、その耳元に――

「フゥッ」

「ひゃあっ!?」

 上がった悲鳴は、テノールだった。

「!」

 その声を聞いて、ようやくエミールも気付いた。

 そいつは――男だ!

「男が、女装をしてなにをこそこそとやっている? この街に入っていい男はオレだけだ」

「そうか……貴様がベテルギウス」男は屈辱に顔を歪めた。「なぜ、オレが男だと分かった?」

 オレはかつらの長髪をファサッとひと撫でしてから言った。

「なに、単純なことさ。オレが……筋金入りの変態だからだ!」

「………」

「顔や胸は女に寄せられても、骨のつくりまでは誤魔化せまい」

 その男の容貌は繊細で、ほんのりと金色がかった髪は長く、若い女のようにも見える。目の肥えたオレでさえ、なんだ、ただの美女か――と見過ごしそうになったほどだ。

 しかし女にしては広い肩幅と、くびれのない腰、小さな尻を、オレは見逃さなかった。

「大人しく捕まるならばそれでよし。だが抵抗するってんなら、腕の一本や二本や三本は覚悟してもらう。さあ、どうする?」

 男は油断のない目つきでこちらを睨むばかりで、なにも答えない。痺れを切らしたエミールが、オレを押しのけて、重ねて問うた。

「スレイナ将軍を殺したのは、お前か?」

 男の顔に、初めて笑みが浮かんだ。

「これから死ぬ奴が、聞いてどうする?」

 瞬間、男は手に白刃を閃かせ、エミールに突き掛かった。

 オレは前に躍り出て、その刃を長剣で受け止めた。

 速い。無駄な動きがまるでなかった。やはりこの男が、パルミュラの暗殺者。

 しかし、なにかが物足りない。本当にこいつが、あのスレイナを瞬殺してのけたのだろうか。それとも、他に暗殺者が……?

 そう考えていると、暗殺者は刃をかみ合わせたまま、ささやくような小声で、なにかを唱え始めた。

 ペルシス語のようにも聞こえたが、なにを言っているのかさっぱり分からない。

 そこへ、エミールの警告が耳に入る。

「まずい! そいつから離れろ!」

 オレはそれに従った。が、遅かった。

 詠唱を終えた暗殺者は、最後に一言――

「『時の深淵アビソス・ズーマ』!」

 そう言って、目にも留らぬ速さで、オレに襲い掛かったのだ。

 暗殺者の短剣は、長剣の防御をすり抜けて、オレの左胸に深く突き刺さった。

 力を失い、地面に崩れ落ちるオレの体。

「ベテルギウス……! うわ……あああ!」

 取り乱したエミールが、二本の短剣で反撃に出るが、一合も交えることなく蹴り飛ばされる。

「わめくなエミール。目を覚ませ。お前はこっち側の人間だろうが」

「!」

 突然、エミールに投げ掛けられた、意外な言葉。

 なんだこいつ……? エミールのことを知っているのか?

 オレは死んだフリをしたまま、耳をそばだててみた。

「なにを言ってる? オレはパルテミラに忠誠を誓っている」

「そういうことではない。まさか、なにも知らないわけではあるまい。自分がどう生まれ――」

「黙れ!」

 エミールが叫び、再び暗殺者に突進する。

 時間切れ。これ以上は危険だ。オレは素早く体を起こし、胸の詰め物を暗殺者に投げつけた。

「チッ、話を聞かぬ奴め。やはり殺――べふっ!?」

 乳房が暗殺者の横っ面に命中し、一瞬の隙を生む。

 間髪入れずにエミールの双剣が叩き込まれ、暗殺者は仰向けに倒れた。

「お前……生きてたのか!」

「ああ、女装してたお陰でな」

 女装で命拾いしたのは、相手も同じだった。

 暗殺者は立ち上がると、刀傷の入った両の乳房を投げ捨てた。

「オレとしたことが……油断していた。だが二度目はないぞ」

「お前もな」

 オレはお腹に詰めていた盾を取り出した。ここから先は、男と男の真剣勝負だ。

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