Ⅵ.知恵と芸術の都テシオン

 テシオンは豊かで美しい、夢の都だった。

 街にはトラキヤ風の建物が立ち並び、行き交う人々は、髪色、顔形も様々。共通の特徴と言えば、月や星の模様が入った絹服くらいなものだ。それもオレたち西側の人間からすれば、ほんの一握りの上流階級にしか手にできない代物なのだが。

 王宮前広場メイダーネ・シャーは、普段は市場バザールとして開放されているようだ。主要なトラキヤ語、ペルシス語の他、聞き慣れない言語が多数飛び交い、陶磁器、青銅器、絨毯、宝石類に香水など、東西諸国から運ばれた品が売り買いされている。

 陳列されているのは物ばかりではない。頭に載せた蛇を笛の音で操る褐色肌の美女、危険な技で人々を震えおののかせる軽業師、いつぞやの、禍々しい水晶玉を抱えた怪しげな老婆も、昨日見かけた。

 東西の文化が融合した世界が、そこにあった。

 だがこの街の真の魅力は、もっと別のところにあった。

 単なる寄せ集めではない。テシオンにも、独自に花開いた文化があるのだ。


「ああロダ! どうしてあなたはロダなの?」

 夜空に向かってつぶやく、少女役の幼精。

 ため息のような、悲哀に満ちたその声は、音響魔法エコースティカで円形劇場の全体にこだまする。

「そんな名前はあなたじゃない。ロダと呼ばなくても、あなたはあなたじゃないの。ラーレ(チューリップ)がなんと呼ばれようと、あの甘い香りと美しさは変わらないでしょ? だからお願い、ロダ。私のためにその名を捨てて」

「君のためなら、喜んで捨てるよ!」

「!」

 突然、暗がりから響いてきた声に、少女が驚いて振り向く。

「誰?」

「僕だよ。君が好きと言ってくれた。名前はもう捨てちゃった」

「もしかして、ロダ……?」

 名を呼ばれた声の主は、『導きの光オル・ルフズミン』に照らされた舞台に姿を現した。

 もふもふの、純真無垢な白い髪。見ているだけで幸せな気分になる笑顔。

 誰あろう、パルテミラの至宝――ジェロブだった。ロダと呼ばれようがなんだろうが、それはジェロブだった。美しさの変わらない、世界でただ一人のジェロブ。

「ロダ……どうしてこんな所に?」

「君にもう一度会いたくて、気付いたらここに来ていたんだ」

「全部聞いていたのね。ああもう、恥ずかしい」

「大丈夫だよ。僕だって、同じ気持ちだから」

 図らずも想いが通じ合い、抱き合う二人。悲鳴にも似た、黄色い歓声が客席から漏れる。

 それから少女役の幼精が身体を離し――

「やっぱりダメだよロダ。見つかったら殺されちゃう!」

「いいんだ。死ぬのは怖くない。君に会うためなら、どんな危険だって冒すよ。たとえ君が最果ての海オケアノスの彼方に居ても、僕は探しに行く」

 見つめ合う二人の姿が、『蜃気楼ミラズ・アルサラブ』に映し出される。

 顔と顔が、ゆっくりと近付いていく。「おおっ!?」と、観客たちの期待が最高潮に達する、その寸前――『導きの光』の照明が消え、舞台の幕が下りた。

 続きは、また来週。

「ああ~!」

 二万人分の落胆の声が、客席から舞台に滑り落ちていった。

 オレもその中に、さりげなく混じっていた。


 御前試合から一週間。オレはテシオンの街を一人で出歩けるようになっていた。

 大魔神ヴェルダアースに勝ったという肩書きが、やはり大きかった。今やこの街でオレの名を知らぬ者はいないだろう。多分。

 この日、オレはテシオン幼精歌劇団の公演を見に来ていた。

 今しがた演じられたのは、史上最高の名作と讃えられる『ロダとユーリエ』の一幕。

 互いに憎しみ合う二つの氏族、それぞれに生まれた男女が紡ぐ、禁断の恋の物語だ。

 男を締め出しているこの街で、このような恋愛ものがもてはやされているのが、なかなか興味深い。いや、むしろその反動と見た方がいいのだろうか。

 テシオン幼精歌劇団はその名が示す通り、幼精だけで構成されているのだが、これが今、パルテミラ国内で爆発的な人気を博しているらしい。前の席の人なんかは、ジェロブを一目見たいがために砂漠を越えてきたと、自慢げに語っていた。

 オレはもっと遠くから来たけどな!

 余韻に浸っているうちに、客席側が明るくなり、お別れを告げる曲が流れ始める。

 まだ帰りたくないな――と思いつつ、オレはまた舞台に視線を戻す。

 客席の最前列に、見覚えのある後ろ姿を見つけたのは、ちょうどその時だった。

 そいつもまだ帰りたくないのだろうか、席を立つ気配がない。

 オレは人の流れがまばらになった頃を見計らって、声を掛けに行った。

「そこにいるのは、エミール! エミールじゃないか!」

「なっ!? お前は……!」

 ギョッとして振り向くエミール。ロダを見つけたユーリエよりもいい反応だ。

 実を言うと、今日はエミールに街の案内を頼もうと思っていたのだが、忙しいからと断られていた。なるほど、これは忙しい。

「さては、お前もジェロブという甘い花の香りに誘われてここに来たんだな?」

 流石はジェロブ! パルテミラの至宝! 老若男女はもとより、同じ幼精すらも虜にしてしまうとは――と、オレは勝手に決めつけ、うんうんと一人で納得する。

「なに言ってんのか分かんないけど、別にそういうのじゃないから」

「またまたぁ~、素直じゃないんだから」

「いや、あのさ……そもそもオレ、ジェロブとほぼ毎日会ってるんだけど?」

「なにぃ!?」

 心の声が、思いっきり口を突いて出る。

 ユーリエの父が娘とロダの関係を知ったら、きっとこんな反応をするんだろうな。

「オレたち幼馴染だし、ジェロブも王宮にいることが多いから、今でも普通に会うよ」

「なんだ、エミールってジェロブと友達だったのか」

「まあな。今日は夜の公演ってことで、その送り迎えで来てるんだ。ほら、最近はこの街も物騒になって来ただろ? 一人で帰らせるわけにはいかないじゃん」

「そうだな。夜道は危ない。オレもこの前殺されかけたしな――林檎食ってる時に」

「わ、悪かったよ……て言うか、まだ根に持ってるの?」

「いいや? 今となってはいい思い出さ」

 そんなこんなで時間を潰していると、舞台脇の出入り口から、劇を演じた幼精たちがぞろぞろと出てきた。果物屋の店主役、立派な鼻毛の領主役、欲張り爺さんに意地悪婆さん、ユーリエ役の長髪幼精、そしてロダを演じた――ジェロブ!

「エミール~! お待たせ~!」

 こちらに気付くと、ジェロブは手を振ってパタパタと駆け寄って来た。

 そしてオレの存在にも気付き、翠玉エメラルド色の瞳を輝かせた。

「あっ、ベテルギウスさん! 見に来てくれたんですね!」

「ま、まあな」

 ジェロブに会うためなら、最果ての海オケアノスも最寄りの砂漠もへっちゃらさ――という言葉は心にしまう。ああ、オレらしくもない。

「どうでした? 僕上手く出来てました?」

「そりゃあもう、最高に可愛かったぞ」

「えへへ……」

 照れ笑いするジェロブ。褒めると殴ってくるエミールとは大違いだ。

「男役が可愛かったらダメだろ」

 案の定、無粋なことを言うエミール。オレは便乗して言ってやった。

「そうだな。男は薄汚い欲にまみれた愚かな生き物じゃないとな」

「やっぱ根に持ってるでしょ」

「いいや?」

 今となってはなんとやら。

 なんの話か分からないであろうジェロブは、きょとんとした可愛らしい顔でやり取りを見守っていたが、やがてオレの顔を見上げ――

「ねっ、ベテルギウスさん。もしよかったら、僕たちと一緒に帰りませんか?」

 なにぃ!?

 願ってもない、思いがけない提案。オレは二つ返事で飛びつこうとしたのだが……

「やめとけよ。こんな奴とつるんでたら頭おかしくなるぞ」

 おい、エミール! なんてことを言うんだ!

 オレは変態だが、関わっちゃいけない人間だと言われるいわれはない!

「いいじゃん。男の人と話したことなかったから、もっと話してみたい」

 そうだそうだ! きっと役作りの参考になるぞ。

「あとベテルギウスさんって強いんでしょ? ヴェルダアース将軍にも勝ったんだってね」

 そうだぞ! オレとエミールでジェロブ親衛隊を組めば、万敵も恐れることはない。

 かくして、ジェロブの強い希望とオレの願望で、その日は三人で帰ることとなった。


 劇場のすぐそばには、アミュンタス王立学校がある。

 元々この学校は、ペルシスを滅ぼしてこの地を征服したマルゲニアが、王の名を冠して建てたものだという。マルゲニアはトラキヤの辺境にある国で、アレクセロス大王の時代に世界帝国を築いた。そして征服した国々に、トラキヤの文化を広めていったのだ。トラキヤ色の強いテシオンの街並みには、そういった背景があるのかもしれない。

 オレたちは帰る前に、学校の緑広場でくつろいでいくことにした。

 どこからともなく聞こえてくる、素朴でのんびりとした笛の音。

 じゃがいもを投げ合って遊ぶ三人組。

 その向こうでは人だかりができていて、華やかな衣装で着飾った美女と美少年とが妍を競い合っている。

 一般市民にも開放されたこの広場は、憩いの場であり、自由な表現の場でもあった。

「僕たちは、この学校の同期だったんだ。今年卒業したばっかりでね」

 芝生の上に寝そべり、楽しそうに語るジェロブ。

 エミールはふてくされた顔でそっぽを向いている。

「読み書き、算術、芸術とか、基本的なことは十二歳までに学んで、残りの三年間は自分の好みに合わせて、専門的に学んでいくんだ。そして僕は古代語魔法が専門」

「意外だな。芸術とかじゃないんだな」

「うん。古代語魔法はまだ歴史が浅いから、新しい発見が多いし、なにより人の役に立てるから好きなんだ。古代語魔法は今や、この街になくてはならないものだからね」

 確かにな。今ではすっかり当たり前になってしまったが、『導きの光』がなければ、この緑広場は真っ暗闇だ。テシオンの娯楽の象徴たる歌劇にも、複数の魔法が使われていた。

 と、そこへ、そっぽを向いていたエミールが口を挟む。聞き耳はしっかり立てていたようだ。

「こいつ一応、王宮魔術師なんだぜ。新しい魔法も何個か開発してるし」

「なにぃ!?」

 歌も踊りも演劇もできて、古代語魔法もそこまで極めているのか。ジェロブすげぇな!

「ふふ……そんなに驚かなくても」

 いやいや、驚くよ。なあ?

 神よ……いくらなんでも、ジェロブ一人にいろいろと与え過ぎではないか? まあ、そうしたい気持ちはよく分かるが……

 あまり動揺しているとかっこつかないから、オレは平静を装ってエミールに話を振った。

「エミールは学校で剣術とか習ってたのか?」

「ん? まあ、そうだけど」

「いつかは、オレみたいな立派な戦士になるんだな」

「なんでだよ!? オレが目指してんのは、ヴェルダアース将軍だから」

「オレはヴェルダアースに勝ったぞ?」

「あれはまぐれだろ。あとお前、オレに負けてたじゃん」

「いや、あれはなし……」

 ふと、オレはエミールとジェロブを見比べて、あることに気付いた。

「エミールって、幼精にしては割と身長あるよな」

 それを聞いたジェロブが、エミールの隣に転がっていく。

「ホントだ。去年までは僕の方が高かったのにね。抜かされてる」

「幼精ってその年になっても背伸びるのか?」

「伸びる人は伸びるんじゃない?」

 当の本人は、あまり嬉しくなさそうだ。身長は戦士に求められる、重要な資質の一つなのだが。まあ、大人になれない幼精に多少身長があったところで……という話ではある。

「そんな伸びてない。ジェロブが縮んだんだよ」

「縮んでないよ。この前測ったばっかりだもん」

「じゃあ今日は縮んでるんだ」

「縮んでないよ」

「縮んだ」

 なぜ、エミールがそこまで意固地になるのか分からないが、これはこれでいいか……

 可愛らしい言い争いを繰り広げる二人を見つめて、オレはニヤけた。

 剣の道を進むエミールに、歌も踊りも演劇も古代語魔法も極めるジェロブ。それぞれが夢を持ち、のびのびと自由に暮らしている。これほど笑顔にあふれた都は、地上に二つとないだろう。やはり、ここは天国だ。

「ねぇ、ベテさん。これからもずっと、この国にいるんですか?」

「ああ、多分な」

「やったぁ!」

 飛び跳ねて無邪気に喜ぶジェロブ。ああ、なんて可愛らしい。

 これだから、人々はジェロブに夢中になるのだろう。一挙一動が、人を幸せにする。みんなから愛される性質を、彼は生まれながらにして持っているのだ。

 オレはもうすっかり、テシオンに住みつく気でいた。もうこの都を離れられない。

 願わくば、ベテおじさんと呼ばれる日まで、この都で生きていきたいものだ――

 そのあと、王宮前までジェロブを見送ってから、オレは宿に戻った。

 今夜はいい夢を見れそうだ。


 実はその夜、オレは知る由もなかったが、ある凶報が王宮を震撼させていた。


 将軍スレイナが、暗殺されたのだ――

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