Ⅲ.妖精たちの饗宴‐②
ひょっとしたら女帝様は、オレなんかよりもずっと愉快な頭をしているのかもしれない。
祝勝の宴に、ついさっきまで敵であり、敗者であった男を招くのは、どうかしている。
しかも女帝にほど近い、なかなかの上席だ。
案の定、警戒と敵意を含んだ視線が、チラホラと感じられた。
「なんだ、まだ生きていたのか」
「おかげ様でな」
隣には、あの髭騎士――ヴェルダアースが座っていた。
相変わらずそっけない話しようだが、女の宴に男が混じっていることに、さほど嫌な気はしていないようだ。髭を生やしているだけのことはある。
「あんたに言われた通り、戦士らしい最期をと思ったが、どうもオレはまだ迷っているらしい。情けねぇ男だよな」
「そうだな。私の見込み違いだったようだ。生き恥を晒す方がお前にはお似合いだ」
言ってくれるじゃねぇか。
そうさ、オレの人生は恥そのもの。生き恥がなんだというのだ。今日からまた、新しい恥の人生が始まるだけのことではないか。
そうだろ? ヴェルダアース。
「………」
宴の料理は豪華なものだった。
鹿肉のシチュー、ラム肉と玉ねぎの串焼き、
味も量も、贅沢な食事をよしとしないスパルタクスのものとは大違いだった。あの腐った血のようなシチューを食わされていた日々を思うと、涙が出てくる。あれがあったからこそ、オレたちスパルタクス人は死を恐れずに戦えたのかもしれないが。
昼間からの空腹感から解放され、パンをシチューにつけてみようかと考え始めたところで、女帝ゼノビアが参加者たちに呼び掛けた。
「さあ、宴はここからが本番じゃ! そなたらのために、テシオンから愛らしい踊り子たちも来てくれたぞ! 引き続き、一夜限りの特別な宴を楽しんでくれたまえ!」
一番楽しんでいるのは女帝だな――と思いつつも、オレはなにが出るのか楽しみだった。
もてなされる側だけでも、十分美女ばかりなのに、その美女たちが、篝火に照らされていない入場口に、期待の眼差しを向けている。
最初に宴席の輪の中に入って来たのは、笛や太鼓、堅琴を携えた女たち。
だが主役は彼女らではない。女たちは目立たぬよう隅々に散って座り込むと、主役のために演奏を始めた。哀調を帯びた笛の前奏に、軽快な太鼓の音が加わり、独特な音色を生み出す。
その曲調に合わせて、小鳥のような軽い足取りで登場したのは――少年の踊り子たちだった。
「……!?」
どんな美女が出てきても驚かない自信があったが、完全に意表を突かれたオレは、シチューにつけるはずだったパンを、
肩やお腹周りがはだけた薄手の衣装は、女が着れば、起伏に富んだなよやかな曲線を浮かび上がらせていただろう。だがオレの目の先で浮かび上がっていたのは、肩からつま先までスラリと伸びた、しなやかなで、しかし直線的な体だった。
オレの目に狂いはない。あれは少年だ。男の子だ。
しかし、どういうことだ……?
テシオンから来たって言ったよな? だが確かテシオンは……
位置に着いた少年たちが旋回すると、衣装のベールがふわりとその軌跡を追った。
宴席から湧き起こる歓迎の拍手。それからまた演奏が始まり、少年たちは躍動した。
渦巻く疑問は、すぐに消し飛んだ。
それを考える余裕がないほどに、オレは少年たちの舞に見入っていた。
繊細でキレのある動きは、幼少の頃から特別に訓練を積んだ者でなければ……いや、そうであってもそうそう真似できないだろう。頭や腕を飾る金具、なめらかな質感の衣装が時折、篝火を反射してきらめく様が美しい。
大人の女も二人だけ混じっていた。ちょうどオレの目の前で、一人の女が踊っている。
その奥でクルクルクルクル回っている少年に目が行ったのは、偶然ではなかっただろう。
踊り子たちは、当然が如く美少年ばかりであったが、その羊のような毛色の少年は、遠目からでも圧倒的な存在感を放っていた。
なんというか、純粋に踊ることを楽しんでいるようで……回った時に一瞬だけ見えた笑顔が、眩しかった。
奥を覗こうとするオレの前に、女の踊り子が立ちはだかる。
美女よ、ちょっとそこを退いてくれ! 奥に天使がいるんだ!
オレが体を右にずらすとその美女も右にずれ、左にずらせば、自分を見てくれと言わんばかりに、また美女も左に動いた。
ああ、クソ! 今見えそうだったのに……!
オレが美女との駆け引きに苦戦していると、その様子を見ていたであろう女帝ゼノビアから、声が掛かった。
「あの少年が気になるか? ベテルギウス」
「大いに!」
「そうかそうか。楽しんでくれているようで、なによりじゃ」元気な即答をもらった女帝は、愉快そうに笑った。「あの白い髪の少年はジェロブ。心優しい活発な子でな、最近ではパルテミラの至宝とも呼ばれる、我が国一番の人気者じゃ。お前も目が肥えておるのう」
「いやあ、それほどでも」
オレは
「しかしこれは、どういうことでしょう? 聞いた話では、パルテミラの首都テシオンは男人禁制だと……」
その疑問に答えたのは、隣のヴェルダアースだった。
「彼らは男ではない。精霊の恩寵と人々の祈りから生まれた第三の性――
あの少年たちは、人ならざる者だとでもいうのか?
「他国の者に言っても分からぬよ」苦笑交じりに、女帝が補足する。「魔法から生まれた人間――とでも言っておこうか。テシオンからさらに東に行くと、古の霊が宿ると言われる丘がある。
なるほど……よく分からんが、やはり普通の人間ではないらしい。
あの美しさは、とてもこの世のものとは思えないしな。
「ゆえに彼らは、少年の姿のまま年を取らぬ。あの中には、お前より年上の者もおるかもしれぬぞ」
「ブフォッ!?」
オレは鼻から
汚物を見る目のヴェルダアース。
なるほど。よぉ〜く分かった。
要はあれだ。あの
それ以上に重要で、意味のあることなど、なにがあるというのか。
隆々でもなく、骨張ってもいない、なめらかな筋肉。抱き締めると壊れてしまいそうな、薄い胸板に狭い肩幅。小ぶりな腰から伸びた細長い足。
可愛いらしい子供から、凛々しい大人へ変貌する――その途上にある少年は、美を追い求める女も、筋肉を追い求める男も、決して真似ることのできない、奇跡的な美しさを備えている。
そんな彼らが本気を出せば、どうなるか――答えは今、目の前にある!
舞が終わりに近付くにつれ、太鼓の音に取って代わった手拍子がだんだんと速まる。
湧き起こる拍手喝采。
ハッと気が付けば、一口も飲む気がなかった
やがて拍手が止むと、酔いと興奮で頬を上気させた女帝が声を張った。
「さあ、踊り子たちよ!
心地よい返答があり、それから
オレは乾燥果実をつまみながら、この天国のような眺めを堪能していたが、不意に女帝の前で視線を止めた。
そこにいたのは、羊毛の少年――ジェロブぅ!
ずるいぞゼノビア! 女帝の特権だかなんだか知らんが、ジェロブを独占するなんて!
オレが羨ましそうな視線を送り続けていると、女帝はクスリと笑って、ジェロブになにやら耳打ちした。
うなずいたジェロブが、こちらを見てニコッと微笑んだ。こっち見て笑った!
まさか……まさか……そのまさかだった。
ジェロブが、オレの所にやって来た。
「はじめまして、ベテルギウスさん。テシオン幼精歌劇団のジェロブです。今日は僕たちの踊りを見てくれてありがとうございました」
「ああ、オレの方こそ、いいものを見せてもらった」
オレはキリッとカッコイイ顔を作ってみせ、酒杯を差し出す。
禁酒の戒律なんて、この際どうでもよかった。女帝とジェロブがせっかく気を利かせてくれたんだ。ここはありがたく頂戴するのが、紳士であろう。
それにしても……いい眺めだ。こんなに近くていいのか?
踊っていた時のままの薄手の衣装。この光沢となめらかさ……恐らくは東方から伝わった、絹でできているのだろう。
篝火に火照る色白の肌は、見れば見るほど艶やかで、気のせいか、ほんのり甘い香りすら感じられる。
ジェロブが酒瓶とともに体を傾けると、オレの目は自然と鎖骨に吸い込まれていった。それから、ひらひらの衣装からのぞく胸元――
「ウホッ……」
思わず、紳士らしからぬ声を出してしまった。
隣のヴェルダアースが引いている。
いや、これは違うんだ!
オレがのぞいたんじゃなくて、胸元がオレをのぞいたんだ。
あんなものを見せられたら、誰だってウホッ……
至福のひと時は、あっという間に過ぎて行った。
宴の締めは、踊り子たちが歌を歌ってくれた。
ジェロブは歌劇団と言っていたな。そうすると……こっちが本職なのだろうか?
高く澄んだ少年たちの歌声は、オレの汚れた心を洗い流すかのようで……
聴き入っているうちに、それがさっき夢の中で聴いた歌声のような気がしてきた。
きっと、あれは天使のお告げだったんだ。
ようこそ! 地上の天国――パルテミラへ!
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