第一章・第二節 枯渇する心と闇と――。

(ねぇ、どうしたら幸せになれると思う?)

少女は橋を見下ろしながら、心の中で自問自答を続けていた。

彼女の名は幸之癒乃【こうの・ゆの】。

現在、ある女子高の三年生である。

そんな彼女の自問自答は、もはや日課であった。

しかし、その日課は決して最初からしていたものではない。

ある事件が切っ掛けであった。

それは今から五年前に遡る。

当時、癒乃はとても活発で前向きな少女だった。


彼女は嫌な事があっても、持ち前の明るさで軽く受け流す、そんな少女だったのである。

しかし、そんなある日、癒乃に心に突然、暗い影が差し込む。

その影の原因は両親や姉との突然の別れであった。

だが、皮肉というべきか、その切っ掛けを作ったのは癒乃本人だったのである――。

夏休み、両親と遊園地に行く約束をしたのだが、その日は晴天とは程遠い曇り空であった。

両親は日を改める事を提案するが、癒乃はそれを良しとしなかったのである。

そして、その日、癒乃達は遊園地である園田ランドへと向かった。

園田ランドに到着すると、微妙な天候故か余り客は居なかったのである。

癒乃は貸し切り状態だと喜びながら、様々なアトラクションを利用した。


一方、癒乃の姉はというと渋々ではあるが、園田ランドのアトラクションを楽しんでいたのでいたのだが......。

やはり予想通りと言うべきか、その後、天候は一気に崩れた。

訪れたのは突然の大雨と、台風に変化する可能性の高い暴風である。

ラジオによると園田ランドもその暴風の範囲に含まれているとの事で、癒乃達は急いで帰宅する事となった。

だが......その帰り道、癒乃達が乗る車の目前で突然、土砂崩れが発生したのである。

そして、車は突然の土砂崩れにより動くこともままならない状態にあった。

暴風や大雨で更なる土砂崩れの可能性もあり、ここに居るのは危険――。


癒乃の両親はそう判断し、やむを得ず癒乃達は歩いて街まで向かう事となったのだが......。

それが癒乃達の運命の大きな分岐点だったのだろう。

何とか、街に向かおうとした癒乃達だったが暴風により、癒乃はガードレールの外側に押し出され落下した。

しかし、その直後、癒乃の父が癒乃を庇いながら癒乃を抱き抱えるように落下したのである。

その後、幾度も幾度も父の体を伝い、癒乃に衝突による衝撃が走った。


そして、気が付くと癒乃は救助隊によって助けられていたのである。

しかし、癒乃の父は癒乃を抱き抱えたまま絶命しており、癒乃の姉もまた新たに起こった土砂崩れに巻き込まれ死去。

唯一、重症でありながら息のあった癒乃の母もまた、再会より数日後に帰らぬ人となった。

【どうか私達の分も幸せになって】との言葉を残して。

その後、癒乃は父方の祖母に引き取られたのだが、癒乃には以前の活発さは無かった。

癒乃は母の言葉を守らんと頑張って、明るく振る舞おうとし続けたのだが――。


しかし、その度に癒乃の意識の中に父や姉の痛みと苦しみに染まった死に顔が、母の悲しげな表情が甦り癒乃を苦しめた。

そして、癒乃はその度に考える。

――私は本当に生きていて良いのだろうか?――

――本当に皆の分も幸せになって良いのだろうか?――

――と。


だが、どう足掻こうと癒乃に出来る事はそれしかなかった。

母の想いを継ぐことだけ......。

癒乃が癒乃で在り続ける為には......そして、癒乃が出来る唯一の償いは、一生懸命に生きて死んでしまった家族の分も幸せになる事だけだったのである。

だから癒乃は自問自答を繰り返しながら、幸せになる方法を模索していた。

その問いに答える者が居ないが故に――。

そして、その日も癒乃は橋を見下ろしながら自問自答を繰り返す。

そこは車が多数通り過ぎる巨大な橋......。

橋から水面までの距離は十メートル以上あり、もし橋から落ちる事があれば恐らく生きては戻れないだろ。


(ここから飛び降りれば楽になれるのかな......?)

癒乃はふと、そんな事を考える。

(駄目!

私にそんな事は許されない!)

だが、癒乃は慌てて、死への誘惑を振り払った。

何故なら、それはただの逃げでしかなかったからである。

そう......自分には許されない。

そんな死に方は――。

だが、死への誘惑をどうにか振り払った直後、不意に癒乃の背中に衝撃が走る。


(えっ――!?)

次の瞬間、癒乃は状況を理解出来ぬままバランスを崩し、手摺から身を乗りだした。

その直後、徐々に徐々にと水面が、癒乃の眼前へと迫りくる。

まるで時間がゆっくりと流れているかのように、近付いてくる水面。

癒乃はそんな奇妙な感覚の中で、様々な事を考えた。

落下の原因になったのは、自転車に乗って橋を渡っていた何者かだろうとか――。


自分が死んだら残された祖母は、悲しむだろうかとか――。

そして......そんな中、癒乃は最後にこう思った。

まだ、死ねない――と。

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