預言者の話

宵の国の片田舎に住むソーリアは、物心ついた頃から奇妙な夢を見ていた。昼に寝ても、夜に寝ても、必ず同じ夢を見る。瞼を閉じると現れるのは、星の輝きも霞んでしまう明るい満月の夜。月明かりに照らされ、穏やかな風にそよぐ銀色の草原。遠くから聞えてくる川のせせらぎと、時折、鈴を転がしたような美しい音が響くその不思議な夢で、ソーリアは翼を持つ銀色の虎と草原を駆け回って遊んでいる。その虎の背丈は幼子である自分よりも大きく、身体は毛足の長い美しい銀色の毛並みに覆われ、満月よりも鮮やかな金色の瞳は虎の性格を映し出したように穏やかな眼差しをしていた。背から生えた銀色の翼は鳥の持つそれとよく似た形をしているが、両翼を広げれば虎の体をゆうに覆ってしまえるほどに大きく、毛並み同様に美しい。その不思議で美しい銀色の虎は、決して自分に襲い掛かることはなかった。自分によく懐いてくれるその虎を銀虎と名付け、夢の中で何度も遊んだ。追い掛けっこの真似事のようにお互いを目指して銀色の草原を駆け回り、疲れたら銀虎の背に乗って音を頼りに川のせせらぎを探し、透き通るような透明度の小さな川を見つけては川の畔で水の掛け合いっこをしてまた遊ぶのだ。その不思議な夢の話を父と母に伝えると、二人は「きっと近くの山に住み着く森の聖霊が、お前と遊びたがって同じ夢を見させるんだろう」と笑っていた。森の聖霊とは、言葉の通り森の中でよく目撃される聖霊で、見る度に姿が変わる。どの姿も様々な動物の姿を模したような奇妙な姿をしているが、どの姿になっても必ず羽が生えているのが特徴だ。森で道に迷う人がいれば姿を現して山の麓まで案内してくれるという人に近しい聖霊でもあり、宵の国の人々から「森の案内人」と呼ばれ親しまれている。そんな森の聖霊は、宵の国の木こり達にとって守り神のような存在でもある。夢の話を聞いた父は銀虎を森の聖霊だと信じ、木こりを家業としている自分にとって縁起の良い夢だと、母と二人して喜んで夢の話を聞いてくれていた。

ある日、夢の中で銀虎といつものように川の畔で遊び、疲れて近くの岸で銀虎の背に凭れ掛かって休憩していると、自分たちが遊んでいた川の中央付近、その表面に何やら不思議な紋様がぼんやりと浮かびあがっていることに気付いた。子供の自分が精一杯両腕を広げても届かない大きさのそれを、初めは「川が夜空の満月を映しているのだろうか」と思っていたが、それにしてはやけに色が多い。満月だけではない色味を映して輝くそれは、穏やかに波打つ川の表面を彩るようにぼんやりと浮かんでいる。あれはいったい何だろう、と幼心に湧いた好奇心に誘われるまま川に入り、その紋様に近づいて目を凝らした。紋様だと思ったそれは、川に浮かび上がる一枚の円形の絵だった。見覚えのある景色の絵だ。家の裏山にある小さな山によく似ている。日照時間が短く、植物が育ちづらいこの宵の国で唯一育つギツの木が群生する数少ない山であり、国からギツの木の管理を任された木こりの父が仕事で入り、母と二人で生活に必要な薪を拾いに行き、近所に隣家が無いことから遊び相手も無く暇を持て余したソーリアが一人の遊び場にしている、そんな見慣れた山だ。そんな見慣れた山が円形の絵になって、川に浮かんでいる。日常的に見る山が何故夢に出てきたのか分からないが、見慣れたそれに思わず拍子抜けして肩を落とすと、慰めるように銀虎が擦り寄ってきた。自分達の足元の川に映る円形の絵が気になるのか、小首を傾げる銀虎の様子が可笑しくて思わず笑ってしまった。

「銀虎、あのね、この山は私の家の裏にある山で、」

絵の中の山について説明しようとそこまで言葉を口にして、何気なく足元の川に浮かび上がる絵に視線を向けて、言葉は途切れた。そこには相変わらず円形の絵が浮かんでいる。否、ただの絵ではない。絵の中の見慣れた山が轟音を立てて崩れていく。ギツの木々が流されるように下へと崩れていき、山が茶色の地肌を晒していく。流れたギツの木々はゴロゴロと転がり落ちていく岩と共に濁流となり、轟音と砂煙を上げて山の麓まで流れていき、山の近くに建つ見慣れた一軒の家をも飲み込んで押し流した。流された家が自分の家だと気付いた時には、家はすっかり緑と茶色の濁流に巻き込まれて見えなくなっていた。絵が、動いている。

驚きと恐怖とで叫び声を上げたと同時に目覚めた。自分が直前まで何をしていたのか、自分はどこにいるのか、それらが思い出せない程思考は混乱していた。慌てて辺りを見回せば、そこは自分の家の居間だった。お昼に母と二人で森に薪を拾いに行った後、居間の使い古されたソファでうたた寝をして、先ほどの夢を見ていたのだった。そこまで状況を思い出したソーリアの脳裏に、先ほど見た夢が過った。夢。あの夢。自分が先ほど見た夢が、鮮烈な映像となって再生される。木々と岩の濁流で家が押し流される、あの恐ろしい光景を。あの家には自分と母がいたのではないだろうか。そこまで想像して、恐ろしさのあまり声を上げて泣きじゃくった。泣き声を聞きつけた母が駆けつけてくれたので、母の腰に縋るように抱き着き、泣きじゃくりながら見た夢の説明をした。

「あぁ、ソーリア。恐ろしい夢を見たのね」

母は眉を八の字にして自分を抱き上げ、慰めるようにあやしてくれた。

「ここ最近雨も降っていないし、土石流は起こらないわ。安心しなさい、ソーリア。貴女の見たものは夢。現実ではないわ。夢なのよ。お母さんも貴女もこうして家にいるでしょう?山も崩れてないわ、ほら」

母が窓を大きく開けて山を見せてくれた。母の言葉の通り、山はいつものようにギツの木々の緑に覆われ、どこも崩れている様子はない。いつも通りの光景だ。母の言う通り、あれは夢で、現実の出来事ではない。家はこうしてあるし、母も自分も無事である。目の前の現実を噛みしめていると、母からお菓子の甘い香りが漂っていることに気付いた。母からお菓子の甘い香りが漂ってくるということは、山に入った父がそろそろ帰ってくる時間帯の筈だ。昼過ぎに木こりの仕事を終えて帰ってくる父を、母が手作りのお菓子で労うのが常だった。その為、父が帰ってきたらちょっと早いおやつ時間タイムになる。母お手製のお菓子であるクッキーを父と母と三人で頬張りながら、山の様子や今日見た夢の話を話し合う。それがいつもの日常だった。きっと、今日もその日常を繰り返す。いつもの日常の光景を脳裏でなぞっていると恐怖は萎み、涙も止まった。鼻をすすり、涙でぬれる目を服の袖で拭って母に抱き着いた。微笑む母にあやされて、脳裏で流れていた恐ろしい夢はすっかり消え去った。

代わりに頭の中を占めたのは銀虎のことだった。いつも、目が覚めそうになると銀虎がお別れの挨拶として鼻面を押し付けてくる。その鼻面を掻いてあげるのがソーリアなりの別れの挨拶だった。今回はお別れの挨拶をする前に起きてしまったので、銀虎は突然夢の中で一人になってしまって、寂しがっているかもしれない。銀虎に悪いことをしてしまったという罪悪感で胸がいっぱいになった。

「銀虎とお別れする前に起きちゃった……」

「あら、じゃあ今夜の夢で銀虎にごめんなさいしないとね」

母が穏やかにそう言うので、素直に頷いた。今夜の夢で銀虎にちゃんと謝って、いつも以上に一緒に遊んで、目が覚めそうになったらしっかりお別れの挨拶をしよう。お別れの挨拶をしないで目を覚ますなんてこと二度としないと誓ってあげなくては、と心に固く誓った。

いつも通りの日常に戻ろうとしていたソーリアに異変が生じたのは、その時だった。それまでソーリアを穏やかな眼差しで見守っていた母が突然、驚いたように目を見開いた。

「ソーリア、あなた、額が光って、」

母の言葉は部屋に満ちた閃光で遮られた。視界が白で塗りつぶされた突然の出来事に驚いていると、ソーリアの額から大きな銀色の"何か"が音もなく飛び出し、閃光に目を眩ませた母の足元に体当たりをした。ソーリアを抱えながら倒れかける母を、"何か"はしなやかな広い背で受け止め、開かれた窓から素早く飛び出し、翼を羽ばたかせて空を

「ひっ」

視界が回復したらしい母が、下に見える自分たちの家を見て短い悲鳴を上げた。自分たちの家はあっという間に小さくなって見えた。かなり高い位置で、自分たちは空を飛んでいる。その現実離れした光景に身を竦ませた母の腕の中で、ソーリアは自分達を逞しい背に乗せて空を飛んでいる銀色の毛並みの"何か"の正体を漠然と思いつき、その名を口にした。

「銀虎?」

問いかけにまるで返事をするかのように、猫よりも低い喉を鳴らす音が聞こえた。"何か"は首を僅かに捻り、ソーリア達に横顔を見せてくれた。銀色の毛並みに覆われた虎の顔。満月よりも鮮やかな金色の瞳。全身の毛並み同様に美しく輝き、力強く羽ばたく銀色の翼。ソーリアと母を背に乗せて空を羽ばたくそれは、夢の中で会う銀虎そのものだった。

「銀虎!」

思わぬ再会に喜び、母の腕の中から抜け出して銀虎の首に抱き着いた。耳元いっぱいに広がる喉を鳴らす音がその名を肯定しているように聞こえた。背後で「銀虎……夢で見るあの銀虎……?」と訝しむ母の声が聞こえたが、気にもならなかった。夢で会う銀虎が、現実にこうして存在して、自分と母を背に乗せて空を飛んでいる。その事実で胸がいっぱいで、何も考えられなかった。興奮のあまり、銀虎の首に抱き着いたまま喋り出した。

「銀虎、あのね、さっき、夢でお別れの挨拶できなくてごめんね。怖い夢みちゃったから驚いて目が覚めちゃったの。銀虎も見たでしょ?あの山が、」

ふと視線を山に向けたソーリアの目に、それは映った。見慣れた小さな山が、唸り声のような低い地響きの音を上げて震えている。じしん、と思わず口にしたその現象を否定するかのように、銀虎が急降下した。ふわり、お腹の内臓が宙に浮かぶような浮遊感と共に、下から吹き上げる風が頬と髪を弄り、暴力的な風圧がソーリアの小さな体を銀虎の背から吹き飛ばそうとする。咄嗟に銀虎の毛並みを両手いっぱいに掴んで飛ばされまいと耐えていると、ソーリアの上に覆いかぶさる者がいた。母だ。母は両足で銀虎の背をしっかりと挟むように跨りながらソーリアの上に覆いかぶさり、風圧に飛ばされまいと銀虎の毛足の長い美しい銀色の毛並みに指を絡めて耐えている。そのおかげで、ソーリアが吹き飛ばされることは無かった。何故、銀虎は突然急降下したのか。その疑問は直ぐに解決した。銀虎は自分達の下を走り抜けようとしていた人物、男性目掛けて急降下し、その人物の足元へ体当たりした。

「うわっ!?」

男性は呆気なく宙に吹き飛ばされる。銀虎はその宙に浮いた男性の腰目掛けて突進し、器用にも男性の腰のベルトを咥えてまた空へと力強く駆け上がった。明らかに体を傷つけまいと意識したその咥え方に、銀虎なりの配慮が見えた。それを見たソーリアは漸く疑問に思った。いったい、銀虎は何をしようとしているのだろうと。銀虎が人を襲う虎ではないことは夢でよく知っている。夢の中で共によく遊ぶが、このような突然の悪戯を人に仕掛けて楽しむという性格の持ち主でもない。それ故に、まるで質の悪い悪戯のように人の足元に突進しては人を回収し、空へと駆け上がる今の銀虎の様子は不可解でしかなかった。それに、先ほど目にした山の異変も気になる。山は先ほどと変わらず地響きを上げて震えている。否、先ほどよりも大きく震えているようにも見える。いったい何が起きているのだろう。そして、今度はいったい誰が回収されたのだろう。胸を過る不安に怯えながらも、母と二人して銀虎の口元を覗き込み、そうして同時に驚いた。

「お父さん!?」

「貴方!?」

状況がさっぱりつかめていないと表情で語るその人物は、山で木こりの仕事をしていて、そろそろ帰ってくる筈の父だった。父は銀虎の背に跨るソーリアと母に気付くと、困惑の表情を浮かべた。

「そ、そーりあ?りおーね?何でお前らそこに……ってそれよりこの虎は何なんだ何で俺は咥えられてるんだ俺は餌なのか食われるのか俺を食っても美味かねぇぞ!?いやそれもよりもこの虎翼が生え、て……まさか森の聖霊様か……?」

父は顔色を青くしたり赤くしたりと忙しなく百面相しながら銀虎の口元でじたばたと暴れたかと思えば、突然真剣な表情になって動きを止めた。父の視線がソーリアを通り過ぎ、母へと注がれた。

「リオーネ、これはどういう状況なんだ?」

問われた母は困惑した表情で首を横に振った。

「私にもさっぱり……突然、ソーリアの額が光り出して、気付いたらこの状況だったの。そしたらソーリアがこの虎を銀虎だって言い出して……山の様子も変だし、いったい何が何やら……」

「銀虎……?夢で見るあの……?ソーリア、本当なのか?」

父の視線を受けて、頷いた。

「本当だよ。夢で見た銀虎のまんまだし、銀虎って呼んだら返事したもん」

銀虎がまた返事をするように喉を鳴らした。頭を撫でると、銀虎がご機嫌な様子で耳をピコピコと動かした。これは夢で見た銀虎の癖だ。頭を撫でられると気持ちがいいのか、耳を動かしてご機嫌であることを知らせてくれる。その癖はこの空飛ぶ虎が銀虎であることを示していた。

「ソーリア、銀虎が何故、俺達家族を空に連れていくのか聞けないか?」

困り果てた様子に父にお願いされて、言葉に詰まった。実は、夢の中で銀虎とたくさん遊ぶものの、会話をしたことは無かった。銀虎へ話しかけると銀虎は小首を傾げてそれを聞いており、名前を呼べば喉を鳴らして返事をするので恐らく人の言葉は理解しているとは思うのだが、滅多に鳴き声を上げないし、返事を求めても、普通の虎よりも毛足の長い尻尾を揺らすだけで人の言葉を話すことは無いのだ。

でも、銀虎が夢の世界ではなく、こうやって現実で姿を見せて自分達家族を空へ運ぶことに何か必ず意味があるはずだという確信だけはソーリアにあった。どうか答えてほしいと願いながら、銀虎の耳元へそっと囁いた。

「銀虎、何が起きてるの?どうして山の様子が変なの?」

問いかけに、銀虎は僅かに首を逸らしてソーリアを見た。金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、金の瞳が逸らされ、銀虎の体が山の方向へ向いた。震えが大きくなった山を真正面に見据えたその時、それは起きた。山が一層大きく震えたかと思うと、突然木々が崩れ始めた。見覚えのあるそれに、あぁ、と言葉が漏れた。後ろから父の「そんな……土石流の兆候なんてなかったのに!」と叫ぶ声や母の「どうして、そんな」と戸惑う声が聞こえてくる。しかし、耳に入ってはきているが気に留めることはできない。耳に入ってくる音全てが遠くに感じた。今、こうして目にしているこの光景も、まるで、夢の中の川に映って見えたあの映像のように平べったく、あの夢の続きでも見ているのではと思えた程で。それくらい、目の前の光景は現実味が無く、。恐ろしい夢が、現実に起きてしまった。濁流となって押し寄せてくるギツの木々と岩が斜面を流れ下りながら麓へ到達し、そのまま止まることなく自分たちの足元にある家も押し流し飲み込んでいった。夢で見た通り。全て。叫び声を上げることもできぬまま、ただ茫然とその光景を眺めていた。母が、肩を掴むまで。

「ソーリア」

呼ばれて、ゆるゆると首だけ振り返る。そこに見えた母の顔は、今まで見たことが無いほど真剣なものだった。

「他に、夢で何を見たの」

「……なにも。これだけ」

目の前の光景を指さすと、母は唇を噛みしめ、銀虎の口元の父へ視線を向けた。

「貴方、直ぐに神殿へ向かいましょう。ソーリアを神官様達に診てもらわなくっちゃ」

「何?」

目の前の光景を呆然と見つめていた父が、ぼんやりとした眼差しで母を見上げた。

「向かう場所が、違うだろ。町へ行って、町長へこの事、伝えないと。何の兆候なかったのに、土石流が突然発生したんだぞ。もしかしたら他の山でも似たような現象が起きるかもしれない。この国にとってギツの木の山が一つ無くなると大事になるのはお前もよく知っているだろう」

父の言うことが正しいということは、子供のソーリアが聞いてもよく分かった。ソーリア達が住む宵の国は、日照時間が短いせいで食料となる植物や穀物が育ちづらい。家畜へ与える植物もなかなか実らないことから家畜すら飢えてしまい、食料の調達が難しい。他の国へ輸出できる資源もそう多くは無いため国交もほぼ閉ざされており、国民も国土もどんどんやせ衰えていく一方で、国王も頭を悩ませていると聞く。遥か昔に他の国よりも栄華を誇った時代が宵の国にもあったらしいと今は亡き祖父が語ってくれたこともあったが、今やこの国にそんな面影は微塵もない。片田舎に住んではいるが、別段貧しくない筈のソーリア達の食卓もここ最近どんどん乏しくなっていて、腹いっぱいにご飯を食べられることは珍しい。子供である自分ですら漠然とした危機感を抱いていた。そんな中で、父の管理しているギツの木々が群生する山が崩れた。ギツの木になる実は、宵の国に住まう者達にとって大切な食糧の一つだ。その木が群生する山が、何の予兆もなくたった一日で崩れた。それによってますます自分達の生活が苦しくなっていくのは明らかだった。自分たちが住んでいた家も土石流によって押し流されて壊れてしまった。これからいったいどうなってしまうのか。先の見えない真っ暗闇に覆われた未来への不安が小さい子供の心を締め付け、泣きそうになる。そんなソーリアの小さな肩を掴む母の掌に、力がこもった。

「聞いてちょうだい貴方……ソーリアが、この事を夢に見たのよ」

母のその言葉に、父は口をあんぐりと開いた。

「夢、だと……?まさか、予知夢か?」

父と母が同時にソーリアを見つめた。視線で話をするように促されて、狼狽えながら口を開いた。

「銀虎と夢の中で一緒に、川で遊んでたの。そしたら川にさっきの山が崩れるところが映って見えて、驚いて目が覚めたの。川に映ってたの、さっき山が崩れたのと、同じだった」

そこまで口にして、ソーリアは目頭が熱くなっていくのを感じた。こうなることを夢で見て知っていたのに、夢から覚めた自分はただ泣きじゃくるだけで何もできなかった。今こうして生きていられているのは、銀虎が助けてくれたからだ。夢で同じ光景を見た銀虎が、きっと自分達を心配して夢の中から助けに来てくれたのだ。だから銀虎は自分達家族を連れて空の高いところまで飛んだ。避難するために。自分達を助けるために。銀虎がいなければ、三人とも何もできないままあの土石流に巻き込まれて死んでいただろう。自分一人だけでは、誰も助けられなかった。銀虎が助けてくれたから、自分達は生きている。ただ恐ろしさで泣きじゃくっただけの自分一人だけでは、決して助からなかった。そう思ったら、涙が流れていくのを止められなかった。

「わたし、ゆめでみたのに。ぎんこもおなじゆめをみてた。だからぎんこはわたしたちをたすけてくれたんだ。わたしも、おなじゆめみてたのに。なにもできなかった」

泣きだすソーリアを、母が慰めるように抱きしめた。

「ソーリア……聞いてちょうだい……貴女は確かに、この事を夢に見たわ。お母さんにも教えてくれた。危ないって教えてくれたじゃない。貴女は貴女にできることをちゃんとしたのよ。お母さんはそれを知っているわ」

「でも、いえが、家が流されちゃった……」

「家はまた皆で建てればいいわ。あの家もそうやって建てたもの。壊れたものは直せばいいの。今は、神殿へ向かいましょう。国の古い決まり事で殿。怖いことを経験してそれどころじゃないけど、お母さんと一緒に神殿へ行きましょうね。大丈夫、お母さんは貴女と一緒にいるわ……町長の下へ貴方を下ろしてから、私とソーリアは神殿へ向かうわ。それでいいでしょう、貴方?」

母が父に問いかけると、父は何か言いたげにしながらも、渋々といった様子で頷いた。

「予知夢を見たのなら、確かにそちらが最優先だな……すまん。町長への報告が終わったら俺もすぐに神殿へ向かう」

「えぇ、分かったわ。ソーリア、銀虎に町までお父さんを運んでくれるよう頼めないかしら」

父と母が交わした言葉に妙な引っ掛かりを覚えつつも、母に言われるがまま銀虎に町まで連れて行ってくれないかと頼んだ。銀虎は了承したと言わんばかりに喉を鳴らして、頼んだとおりに父を町まで運び、それから神殿にも母とソーリアを連れて行ってくれた。出迎えてくれた神官達に母が事情を説明すると、神官達は顔色を変えて直ぐにソーリアを診てくれて、そして――その日以来、ソーリアが家に帰ることは無かった。


土石流の事件以来、宵の国に古から存在するにより、両親と引き離されて神官達と共に神殿で暮らすようになってから数年の歳月が流れた。その歳月の中でソーリアは己の正体を学んだ。ソーリアのように人々のことを、宵の国では畏怖の念を込めて預言者と呼んだ。預言者は宵の国の国民にしか現れない能力者で、百年に一人現れる。歴代の預言者達は国と神殿からの手厚い保護を受けて、その特殊な夢見の力で宵の国の繁栄を支え、国のために夢を見たという。

あの土石流を自分が引き起こしたのかと最初はショックを受けたが、神官達から「訓練すれば見たい夢を自分で操作できるようになる」と言われてからは、毎日訓練に勤しんだ。自分で見たい夢を操作できるようになった頃には、ソーリアも歴代の預言者達のように色んな夢を望んで見た。ありとあらゆる夢を見た。豊作の夢。新たな地下水脈を掘り当てる夢。宵の国の新たな資源を見つける夢。日照時間が延びる夢は残念なことに見られなかったが、特に豊作の夢を好んで見たので、飢えに困っていた宵の国の国民からは『豊穣の預言者』として崇められ、敬われ、慕われた。国王からも感謝をされた。だが、顔も知らぬ大勢の民衆から感謝の手紙を受け取っても、国王から直接御礼を言われても、ソーリアの心には響かなかった。貴女は凄いことを成し遂げているのだと神官達に言われても、ちっとも実感が沸かなかった。そんなソーリアの心を動かした感謝の言葉は、たった二人から送られてくる一通の手紙に記されたものだけだった。


夜も更けた頃。神殿の中で唯一、神官達に無理を言って一人で過ごすことを許可された、大小様々な大きさのクッションで埋め尽くされる白を基調にした自室の中で、ソーリアは一通の手紙を繰り返し読んでいる。先日届いたばかりの両親からの手紙だ。手紙には、今年も父の管理する山でギツの木の実が豊作だったこと、母が新たな菓子作りを習得したことなど、豊作の夢をみるソーリアへの労わりと感謝、そして身近で起きた小さな新しい出来事が記されている。どんなに小さな新しい出来事でも、漏らすことなく我が子へ伝えたいという両親の想いがこもったその手紙は、ソーリアにとって顔も知らぬ大勢の人々や届けられる豊作への感謝の言葉よりも、国王からの感謝の言葉よりも、神官達から向けられる労わりの言葉よりも、何にも代えがたいとても価値のあるもので、大切な心の支えだ。それを支えに、大好きな両親の為に夢を見続けた。特に、今や宵の国にとって他の国へ輸出する大事な目玉商品となった、ギツの実が豊作になる夢を。

何度も手紙を繰り返し読み耽る大切な時間。普段は決まりごとに煩い神官達でさえも気を遣って一人にしてくれるその貴重な時間を邪魔するように、ソーリアの脇を鼻面で突くものがいた。脇を擽るその突きに耐えきれず、堪らず笑い声を上げながら上半身を逸らした。

「ちょっと!邪魔しないで銀虎!今手紙読んでるんだから!」

怒られた銀虎は拗ねたように耳を伏せ、髭を戦がせるように動かした。ソーリアと共に神殿へ引き取られた銀虎の体は、数年前より一回り大きくなった。一時期、銀虎の正体は森の聖霊ではないと怪しんだ一部の神官達が正体を調べようと度々ちょっかいを掛けた事もあったようだが、今やそんな無体を働く神官は、この神殿に一人として存在しない。幼い頃から父に「銀虎は森の聖霊だろう」と言われてその言葉を鵜呑みにして生きてきたのだが、神殿に来てからどうやらその認識は間違いだったという事が発覚した。銀虎は森の聖霊ではなく、幽幻虎と呼ばれる貴重な幻獣の種だった。森の聖霊どころか、存在が伝説と言われる程もっと貴重な生き物だったらしい。古くから残る資料によると、人の夢に現れては神のお告げを残していく幻の獣だとか。構ってもらえず拗ねたように耳を伏せてこちらに背を向け、不貞寝するように巨大なクッションの一つへ体を沈ませて尻尾をぶんぶんと左右に振り回すその情けない銀色の虎の姿は、とてもじゃないが神のお告げとやらをする神聖な生き物には見えないが。何故、希少種である幻獣の銀虎が自分の夢に居座るようになったのか、ソーリア自身も神官達も解明できていない。だが、どうやら自分と銀虎は従魔契約というモノを無意識のうちに交わしてしまっているらしく、国が定めた法律に従って預言者であるソーリアに何者も近づけさせまいと神官達がいくら銀虎を追い払っても、従魔の契約によって生まれた帰巣本能を駆使して、銀虎はソーリアの下に帰ってきてくれた。今や神官達の方が折れて、銀虎がソーリアと共に神殿の中で共に暮らせるように国王に願い出て、許可をもらってくれた。主従と使い魔という関係のレッテルは貼られているが、銀虎とはあの不思議な夢の世界で気儘に遊んでいた頃と何ら関係は変わりはない。変わったとすれば、夢の世界だけでなく、現実の世界でも銀虎と過ごせるようになったことくらいだ。銀虎の正体を知り、その銀虎が実は自分の使い魔となっていたという事実を知ったところでソーリアにとって銀虎は夢で出会った大切な友達ということは変わらないし、自分が不思議な能力を持っているということが分かったところでソーリアという少女が両親から愛される一人の娘であること、そしてソーリアも同じように両親を愛していることにも変わりはない。

大切な友人が不貞腐れている後ろ姿に苦笑しながらも、仕方ない、と口を開いた。

「銀虎、あと一時間待って。お父さんとお母さんへ手紙の返信書き終わったら約束通り一緒に散歩に行くから」

散歩、という言葉が聞こえたらしい。銀虎の耳がピクリと立った。尻尾も左右に振ることをやめ、真っすぐに伸びている。楽しいことを目前に控えてソワソワしているときの銀虎の癖だ。素直な銀虎の感情表現に思わず笑いだしてしまった。散歩とは、神官達に内緒で神殿を抜け出し、星が輝く夜空の中を銀虎の背に乗って自由に駆け回ることを示している。風を切って夜空を駆ける散歩は、ソーリアと銀虎のお気に入りの遊びだった。神官達の中には散歩に気付いている者もいるが、今のところ苦言や小言を言われたことはない。散歩に出かけようとこっそり自室を出るソーリアに鉢合わせした神官がいたとしても、さり気無く外套を手渡ししてくれるくらいだ。恐らく、幼い頃から両親と引き離され、幻獣である銀虎を唯一の友としているソーリアに少しでも自由を、と思ってくれているのかもしれない。数えきれない決まり事で縛られて息の詰まりそうな神殿で、ソーリアが少しでも過ごしやすいように、と。普段は仏頂面でソーリアに接する神官達が、本当は心優しい人達であることを、ここ数年、共にした歳月で知っていた。散歩の途中で珍しいものを見つけたら、神官達にお土産として持って帰ろう。そして、神官達が許可してくれたら、両親にも送ろう。きっと、皆喜んでくれるだろう。そんな未来を脳裏に描きながら、ソーリアはにっこりと微笑み、両親の手紙へ返信をしたためる為に筆をとったのだった。

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