零日目(2)
母親は朝も夜も飲食店で働いていて、帰ってくるのはいつも日を跨ぐ頃。それでも帰ってきては寝ている俺の枕元で「ただいま」と声をかけて頭を撫でてくれた。
それは“記憶がある頃”からずっと、一日たりとも欠けたことはない。
だから当時の俺は寝たフリをしながら母親の「ただいま」を待っていた。例え眠くても、目を擦り我慢していた。
たった一言、一分にも満たない時間。
それでも当時の俺にとってあの時間は母親の愛を感じられて幸せな時間だった。
目を閉じれば今でも瞼の裏に浮かび上がって、涙が出そうになる。
一方で父親は俺の小さい頃に病気で亡くなったと母親から聞いた。発見が遅く、末期のガンだった。
俺は正直、父親がどんな人物かは分からない。もちろん小さい頃に亡くなったこともあるだろう。
でも一番の原因は俺の記憶が"欠落"しているからなのかもしれない。
──そう。俺には七歳よりも前の記憶がない。
まるで壁があるように前のことはまったく思い出せない。何も分からない。
だから俺は九歳の時に記憶がないことを母親に打ち明け、理由を聞いた。
すると母親は目に涙を浮かべて記憶がない理由をぽつりぽつりと話し始めた。
『きっと覚えていないだろうけど……カズくんはね、七歳になる前に交通事故に遭ったの。公園でボール遊びをしていたら道路にボールが出ちゃって、私が気づいた時にはもう遅かった。頭を強く打って意識不明の重体だったのよ』
『それからカズくんは一ヶ月眠っていて、やっと意識が戻ったの。でも……カズくんは私達のことを覚えていなかった』
母親の言う通り、交通事故に遭った記憶もなかった。
けれども話を聞けたおかげで俺の記憶が欠落している理由が分かったからよかったと思う。
もし知らないままでいたら、きっと。
きっと両親……母さんも父さんも辛かったかもしれないから。
その後、事故に遭う前の話をたくさんしてくれた。
俺のことを話す母親の笑顔は、とても温かかった。
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